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授業参観、娘の白い画用紙に表現されたものは。

今週は、週に5日小学校に通っている。
最終日となる今日は、授業参観だった。

科目は国語。
内容は、「冬から連想されることばをどんどん出す」→「それを使って文章を書く」というもの。

言葉を出していくフェーズでは、クラスの子どもたちがどんどん手を挙げていく。
娘が挙手しないのは織り込み済みで、私も手を挙げることだけが素晴らしいなんて感覚は一切持たないので、ただただ、「元気だなあ」と眺める。

文章を考える時間になると、娘はスッと画用紙に向かった。
サラサラっと書き上げたのち、挿絵を描いて彩色のため色鉛筆を取り出す…その慣れた一連の動作に、家での様子とは異なる、凛とした姿を見た。

席と席の合間をぬい、先生が文章を書きあげた子をチェックしていく。
娘の横で立ち止まり、手元のタブレットで撮影した。
すぐさまそれは、ホワイトボードに投影されたプロジェクター画面に表れていた。

親バカとでも何とでも言うといい。
あの短い時間で考えたとは思えないような、情緒に富んだ小さな作文。
ことば選びも美しく、書き手の人柄さえ見て取れた。
彼女にしか表現し得ない、繊細で、純粋で、愛らしい世界。

なんてすばらしいんだろう。
もの静かに、白い画用紙に自分の世界を表現した娘も、それを見逃さずに受け取ってくれた先生も、それを可能たらしめた現代の技術も。

ひみつの宝物みたいな娘のキラキラしたちからを、ほんの少し覗いちゃったような、それをみんなにもこっそり教えちゃったような、なんだかこそばゆいような、しあわせ。




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