主役になりたい~マリー・ド・メディシスとルーベンス(覚え書き)
「主役になりたい」
「舞台の中心に立ってみたい」
こんな願望を、ちらとでも思い描かなかった人がいるだろうか?
たとえ現実は無理でも、例えば写真の中とかなら。
それを叶えてくれる手段の一つは、現代なら自撮り。
そして、写真がなかった時代の人々にとっては、肖像画など、絵画の中だったのではないか。
1621年、フランス王妃マリー・ド・メディシス(下図)が、ルーベンスに依頼した作品もそのタイプと言えよう。
「パリのリュクサンブール宮殿を飾るため、連作をお願いしたいの」
「私と亡き夫の肖像画、そして私と夫、それぞれの生涯をテーマにして」
「人物は全部、ルーベンス本人が描いて」
「娘の結婚式に間に合うようにね」
クライアントの細かい注文(無茶ぶり)は、今も昔も面倒くさい。
しかし、大作の連作は、ルーベンスにとっては初めてのチャレンジであり、ものにしたい仕事だった。
さらにそこに、もう一つ、注文が来る。
「あ、夫よりも私の生涯の方を先にお願いね」
「・・・・・・畏まりました」
外交官でもあったルーベンスは、本心はどうあれ、にこやかに了承しただろう。
マリー・ド・メディシスは、歴史に詳しい人なら察しがつくだろうが、イタリアのメディチ家の出身。27歳で莫大な持参金と共に、フランス王アンリ4世に嫁いできた。
だが、王妃として活躍したわけでも、国や国民に何か貢献したわけでもない。夫の死後、8歳で即位した息子ルイ13世を摂政として補佐するが、彼が成人しても権力を手放さず、最後は息子とも対立して国外追放される。
対して夫のアンリ4世は、ユグノー戦争(フランスにおけるカトリックとプロテスタントの争い)のまっただ中で生きた人物。
プロテスタント(ユグノー)として育ち、盟主として戦うも、最初の結婚でカトリックの王女と結婚した際には、お祝いにかけつけたプロテスタントたちが虐殺され、自身もとらわれ、カトリックに強制的に改宗させられる。その後脱出してプロテスタントに戻り・・・
その後、ヴァロア朝が途絶えたのをきっかけに、フランス王に即位。その四年後には、自らカトリックに改宗し、その上でプロテスタントの信仰を認めるナントの勅令(1598)を出して、宗教戦争にピリオドを打つ。
しかし、最後は狂信的なカトリック教徒によって、1610年に暗殺される。
どう考えても、こちらの方が映画やドラマの題材に向いている。エピソードの宝庫だ。
ルーベンスにとっても、こちらの方がやりやすかっただろうし、やりがいもあっただろう。
ちなみにマリーがアンリのもとに嫁いだのは1600年、宗教戦争が終わった後。なので、夫を支える「糟糠の妻」なんて描きかたはできない。
夫婦仲も良いものではなかった。
例えるなら、苦労人社長に嫁いだ後妻さんが、自分をモデルにした動画の制作を依頼して、娘の結婚式で華々しく公開しようとした、というところか。
エピソードにも乏しいのに、やりにくい事、この上ない。
しかし、そこはルーベンス。
自らの知識や教養、経験(ストック)を総動員して、神話のイメージやアレゴリーを組み込み、大スペクタクルを現出させる。
こちらは、マリーが、マルセイユに到着した場面。上では、天使がラッパを吹きならし、青いマントをまとったフランスの擬人像が、到着した花嫁を出迎える。
下にいるのは、海の神たち。
派手な、オペラの一場面のよう。
このような、コテコテな絵がなんと21枚!
ちなみに、アンリ4世の生涯の方は、マリーの失脚など政治事情から、結局制作されなかった。
ルーベンスも特別残念には思わなかったらしい。
「付き合ってらんねえよ・・・(ー_ー;)」
とでも、内心思っただろうか。
宮仕えの難しさは、本音を隠してにこやかに振る舞うこと、仕事をこなす事も一つか。