双極性障害を抱えて生きるということ。
ないものに不安になるよりも、あるものに感謝していたい、なんて綺麗事をつぶやく土曜日のお昼。将来のお金のこと、FPさんにシュミレーションをしてもらって、現実を知った。わたしはまだお金を稼ぐ力があまりなくて、旦那に頼って生活をしていることを思い知らされる。やっと、やっと働けるようになって、フルタイムのパートでいい時給をもらいながら、さらに働けるように、行ってしまえば正社員になれるように環境を整えている。結果はどうなるかわからないけれど、これがうまく行けば、現在と未来の生活は今よりも余裕が出て、もっと豊かになれる。ほんとうに?お金があれば、心の余裕ができることなんて、4回も休職をしたわたしならわかっているはずだ。環境を整えながら、でもなんだか、なにかにどうしても引っかかる。お金を稼ぐことに対して、不安の緩衝材みたいな感覚を持つ。
双極性障害、いわゆる躁うつ病という診断を受けて4年ほどが経った。躁状態の時は衝動的に一人旅をしたり、散財をしたり、人に会いに行ったり、突発的な行動をしてきた。気分が上がった分だけ、ちゃんと落ちるのがこの病気の厄介なところだ。身体が鉛のように重たくなり動けなくなり、動かない体の中で回り続ける頭の中の思考だとか、無性に泣きたくなる感情だとかに散々苦しめられてきた。時にはパニック発作のように手が震え、動悸、希死念慮に襲われた。
休職により収入がなくなり、明日どうやって生きようと不安になったって、毎日お腹は減る。お腹が減ることが残酷なことに思えて仕方がなかった。自分の欲を憎んだ。それでも希望を捨てきれなくて、ただ普通に、お金を稼いで、お腹を満たして、生活する毎日を想像していた。
双極性障害は寛解しても完治しない。気分の波とは一生付き合っていかなければならない。いつ気分が上がるか、いつ落ちるのか、予想もつかない。だからこそ、誰よりも自分のことを理解する必要がある。わたしはなにに感情が動くのか、どういう時に疲れるのか、そもそも疲れた時はどんな行動を起こすのか、細かく分析する。自分のことを言語化できて初めて、病気を理解できると思う。
わたしは、誰よりもわたしのことを理解してあげたい。だから毎日noteを書いている。誰よりも、感情を言語化する練習をして、言葉を外の世界に出して表現させてあげたい。そして好きなもので囲んで、美味しいものを食べさせて、不快なことはできるだけ排除して、自分を俯瞰しながら自分が喜ぶことをさせてあげる。そんな生活をすることを意識している。それが、双極性障害とともに生きると決めた、わたしなりの覚悟の生き方。
これから、たくさんの大きなライフイベントが待っている。それらのストレスに負けないわたし自身を作るために、環境を整えていきたい。1人の時間も、大切な人との時間も、変わらずわたしを1番に大切にできるように、生きていきたい。