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終わりゆく夏、天草で変わらないものを見つけたんだ。

(2018年9月の日記の再掲です)

終わらないで、夏。

願えど夏が終わりますね、いえ、終わったのかな。夏が終わるということは皆様どういうことか知っていますか?秋が来る?ちげーよ、もう年末ということですよ、年末なんです。そう、年末。紅白ってこないだ見たはずなんだけど、「安室ちゃーん、アビヨヒーロー!!!!(ToT)」あれから約一年です。だってここからどうせあっという間ですから。私達ホモ・サピエンスはまた年を重ねようとしています。ゆく年もくる年も主張が年々激しくなってきているのです。

夏、楽しかった。いくつか旅行した。そうだ、今年の夏、私は本当の寿司を知りました。天草でね。熊本県天草にて、奴寿司という、日本三大寿司に形容される寿司を食べました。ランチなのに8千円くらい払ったけど、下手したら安いと感じる衝撃でした。だからその話をしよう。現実逃避だ、年末回避ともいうよ。

これまで食べてきた寿司は、お酢おにぎりに、ただ刺身を乗っけただけのSomethingだった。私はお寿司を食べたことがありませんでした。奴寿司の衝撃、波動。森羅万象。酢飯と刺身の完全な融合。運命に絡み合った二人は、決して解けることはなく私達の血肉となり、心に幸せを届けてくれました。完璧な、そう完璧な「SUSHI」がここにあるのです。辺境の地、天草に。訪日外国人の方々には、どうか、どうか本当の寿司を知ってほしい。

嗚呼日本人で良かった。でも前述の通り、世界の人にも知ってほしいのです。天草の奴寿司を食べるのは、正味の話ハードモードでしょう。遠いもん。天草自体が遠いのに、車でしか行けない場所に店がある。東京から何時間、そして何円かけて来たのでしょうか。ですが、まやかしの酢飯おにぎり刺身味を、どうか、どうか寿司だと思わないで欲しい。せっかく日本食に興味を持ってくださったのですから。

天草は、イルカがたくさんいました。イルカシティでした。でも、昔からイルカがうじゃうじゃいすぎて、彼らが観光資源という自覚が皆無だったそうです。最近観光に活かし始めたのだとか。不器用さが可愛いだろうが。イルカよりもかわいいわ。そういった資産が、まだ日本に残されているような気がします。日本再発見!

天草はつい最近、世界遺産になりました。天草と聞いて連想するものベスト5に、必ずや天草四郎時貞が入ると思います。全部で5個も連想できるものがあるのかという課題もあります。そうなんです。四郎なんです。隠れキリシタンで有名な地域なんです。だからね、漁港のすぐそばの小さな港町に、唐突に美しい教会があるの。そしてこの町一体が世界遺産となりました。正直、まだ世界遺産フィーバーによる町おこしをうまくできていなそうなところも愛おしい。Uターンした若者が、地元の名産を都会風味にアレンジして売るおしゃれカフェなどは特にありません。正直買う気の起こらない貝殻のお土産などがほそぼそと、でもたくましく売られています。昔ながらのかき氷を軒先で売るお店に入ったので、町の方にお話をお伺いしました。

「観光の人増えました〜?」

町人A「増えましたねー、明日なんかもっと多いんじゃないですかねー」

「そうなんだー、やっぱ世界遺産効果すごいですねぇ。世界遺産に住むなんてすごいですね。」

町人B「GWなんかはもう人すごかったよ〜。んー、住んでたらどこがいいのか私達はよくわからんけどね。」

「いやいや、とってもいいとこじゃないですか〜」

町人C「こっちに慣れちゃったら、もう東京なんて住めないでしょうね〜、うふふ」

あー、なんていいところなんだ。天草の時の流れは、私の過ごしているそれとは違うんじゃないのか?ここだけ歴史が止まっているの?なんだか何のゆかりもないのに涙が出そうだよ。私はここに住むことはないでしょう。それでも、人生が点であれど交わった。そのことだけでも、こんなに遠くに来てよかったと感じます。一句詠みそうになるオレンジの夕陽にも感動させられました。ギリこらえたので句はないぞ。

天草に世界遺産サクラダファミリアを見るような意気込みで行ったら?おそらくがっかりするでしょう。ですので、ですからこそ、この暖かく流れる時間を、ぜひ味わって欲しいのです。もう国内の観光地はそれなりに行き尽くし、慣れてしまった私。景色だけでは、閾値を超えた感動に出会えません。そこで活用したいのが、そこにしかない出会いであります。出会い。それこそが人生で、それこそが旅ですからね。場面に応じて、食こそが旅だよなぁと言ったりもします。旅の形は都合よく変わっていきます。それこそが旅。あしからず。

あとね旅では「ここで産まれたら、どんな人生だったかなぁ」って考えながら町を歩くのが好きなのです。天草の中心地では、小さなお祭りが開催されていました。ここで生きてたら、年に一度のそわそわフェスティバルなんだろうね。小さいけれど、何もないけれど、不便なこともあるだろうけど、ここにしかない芳醇な幸せを、ここで確かに感じました。

これが私の夏の想い出のひとつです。

夏が終わりゆくとしても培った想い出は消えません。想い出が重なって、季節がめぐっていく。それが人間の年輪なのだと思います。ビールを飲んでいるので、ポエミーなことを書いています。この他、バリや、釜山にも行ってきました。そいつらに関してもしたためたい。読んでも年収は上がらないし、健康にもならない。そんな旅行記でよろしければ、差し支えがあれど、また読んでくれますか?そしたら書きたいです。たくさん撮ったけど使い道が見当たらない写真たちも報われます。

昔ってさ、写真、自分のために撮ってたよね。今やSNSのために撮ってるんじゃないかなぁ。SNSに上げれないのであれば、フォルダに鎮座する写真たちの存在意義を見い出せません。おかしいなぁ。自分のための、自分の楽しさのための写真であり人生であるはずなのにね。私達はいいねを求めていいねに踊らされ旅に出てシャッターを押すのかな。生きているのではなく、生かされているのかな。ところでシャッターを押すという表現は消えるかも知れないですね。

踊らされているのかもしれない。されど同じ短い人生ですから、どうせなら踊らにゃ損なのです。生かされていても、あがける範囲で精一杯生きなきゃ勿体無いです。だから私はまた旅に出ます。私というマリオネットがゆく何気ない旅の旅行記が、私と、願わくばあなたの人生を一滴でも潤しますように。そう思って、また旅に出るのです。

ちいさい秋みつけにいくのです。



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