ブラジル世界遺産間近のレンソイスで砂漠の湖に飛び込んだ
砂漠に迷い込んだら…って、想像してみたら端的に言って絶望。絶望からはじまるハリウッド映画のよう。
そんでもって、眼前に湖が現れたら。最高でしかない。狂喜乱舞。起承転結でいうと破綻してるよ、まだ湖出てくるの早いって。
想像か夢か、あまりにも非現実的なシチュエーションが味わえる場所が現実の世界にある。
レンソイス。ブラジルの砂漠に、一年にほんのひとときだけ現れる湖。
日本から遠い遠い場所。地球は広い。私達のいるところから反対側。
嘘および夢のような世界を拝むには、それなりの苦労が伴うのだ。
果の地にたどり着くまでは、飛行機を乗り継ぎ、バスに乗り、言葉の通じぬ地を進み、数十時間。気が遠くなる場所に、息を呑むような夕陽が燃えていた。
自然を前にして、太陽の力は圧倒的だ。確実な主役。この広い広い砂漠の中で、私の存在などひと粒の砂と何ら変わりない。自然の一部になれる場所。
透明な湖は、作り物のよう。自然の奇跡が重なると、人間の想像を超えた映画のセットのような瞬間が生まれるのか。
沈みゆく太陽に想いを馳せる。沈みゆく太陽に感傷のきもちを抱いてしまうが、この太陽も、どこかの国では登っていき、また朝を照らしているのだ。そう思うと、太陽はあまりにもブラックな働き方だ。24時間休みなく、どこかで輝き、誰かを励まし、誰かの明日を照らしている。私達人間は、その太陽に、勝手に想いを重ねて泣いたり笑ったりする。勝手な生き物だ。太陽の勤労っぷりに感謝しかない。大自然の主役こと太陽の功績はデカすぎる。
作り物のセットのようだからか、そこには不思議と無機質さが漂う。ほとんど生命の気配がしないのだ。虫もいないし、動物の声も聞こえない。無音の世界に、ただ白い砂と青い水がある。機械で制御されたかのような大自然。
そこに突然のスコール。遮るものは何もなく、温かい雨に打たれ続けるしかない。無力。人間は無力なのに強欲だ。だから雨に打たれて邪念を削ぎ落とすしかない。
荒々しい生命の気配は感じないが、しかしここにも花は咲く。小さな緑が確実に息づいている。年に3ヶ月しかない水の時期でも、植物は必死に生きて花を咲かす。砂漠なのにどこからともなく魚が現れる。生命の必死さあっぱれ。
夕陽を見たあとは、英語はOKくらいしか話せないジモティの運転するバギーに乗って、砂漠を後にする。途中、水たまりや段差、森をくぐり抜け、リアルビッグサンダーマウンテンだ。これまで乗ったどんなジェットコースターよりスリリングで、エキサイティング。当然ノーヘル。
ヒャッホーなんて喜んでいられるのもつかの間。意外と30分オーバーのバギー航路。股関節が悲鳴を上げている。それでもこのかけがえのない瞬間を一瞬たりとも逃したくない。一滴すら味わうのだ。またここに来られる日はあるのか、いつになるのかわからない。そう思うとすべての瞬間はかけがえがないのだが、どう考えてもかけがえがないポイントが高い砂漠の湖。しがみつくすのだ。
泊まったのは、老夫婦が営む宿。言葉は通じなくても、素敵な人達だと確信できる。治安が悪いと言われるブラジルでも、地方はのほほんとしている。老夫婦が漬けている地元の伝統酒を爆飲みしたり、フルーツを切ってもらったりして出会いを楽しんだ。
翌日は、朝日を見に行った。また砂漠に。
ガイドは、朝4:30に迎えに来ると言った。寝不足を振り払い暗闇の中でスタンバイするも一向に来ない。バックレられたのか?レアル支払い済みなのに…と思っているとWhatsAppに連絡。結局迎えが来たのは5時25分。あと30分寝れた。
再びの股関節バギー30分。運転手が朝日の登る方向を心配そうに見ては、その度スピードを速める。完全に寝坊して朝日間に合わないかものやつやん。6月のタイミングバッチリレンソイスにバギーに乗れる気概を持って挑めるのって、最初で最後の確率が高い。何してくれとんねん。
奇跡の朝日を逃すのか????後ろの席で何もできない無力な私も焦る。爆走バギーは、ほぼ明るくなってしまった砂漠の湖にほぼ着いた。ギリギリ太陽は昇っていない。徐々に夜が明けて変わりゆく空を、股関節の安全圏で見たかったのが本音だが、バギーからの横目でも許そう。こんな美しい光景を前に、無力な人間同士がいがみ合う必要など皆無だから。
無加工レンズの無加工朝日。夕陽とはまた違う表情を魅せてくる朝日。多様性で多面性、それに加えてどの面も主役。また忘れたくない景色が増えてしまった。これまでに見た、忘れたくない朝日と、ガラッと表情が違うところがいい。真っ白な砂の中で、水に使ってキラキラのオレンジを眺めることなんてこれまでなかった。だから私はきっと忘れない。
空がすっかり明るくなった頃、湖に入った。砂漠の砂はサラサラで、湖の水はベタつかない。もしかしてこれって泥パックになるのでは?と閃いた私は、水の中の砂を足にこすりつけてみた。きめ細かいスクラブが心地よい。水で洗い流したら、足がトュルットュルになった。こりゃすごい。こりゃ最高のエステじゃないか。
慣れない土地の微弱な水圧シャワーに不完全燃焼だった体に泥をこすりつけまくる。バギーの運転手がもし見ていたら、かなり珍妙な光景だったと思う。しかし湖は貸し切りだし、運転手も写真撮ったり適当に楽しんでいるので、私も自主エステに励んで泥だらけになっておいた。
ツアー内容は概ね謎である。一体何をするのか、いまいちわからない。ぼったくられているのか、得しているのか、あと何分残されているのかもわからない。雑である。ある意味融通も効いてこっちのさじ加減でもある。
運転手から声をかけられたら、終了の合図だ。運転手から呼びかけられため、少し残念な気持ちで振り向くと、彼が必死の形相かつ、切迫感のある身振り手振りで携帯で電話しろ的なことを言ってきた。
どうやらバギーが壊れたらしい。マンガか映画でしか知らない絵に描いたような困難。
エンジンがかからないから助けを呼べと言っている。危機的状況下において、人は何ヵ国語でも理解ができるのだ。ほんで携帯持ってないんかい。こっちは携帯持ってるけど、砂漠って圧倒的大圏外なのよ。ブラジルSIMも無力なのよ。しかも冷静に灼熱。砂漠に日を遮るものは何もない。周囲に他のツアー中の人は見当たらず、砂漠にぽつんである。いい意味で貸し切り、悪い意味で置き去り。運転手は、人を呼びに行くと去っていった。帰ってこなかったらどうしよう。
などと言って、不安になるような人生なら、そもそもこんなワイルドな地にたどり着いていない。どうせなんとかなるだろうと、砂漠貸し切りツアーのボーナスタイムだ。追加の自由時間を楽しんだ。湖で泳ぎ、砂漠を歩く。テーマパーク独り占めよりも豪華な世界。
すると25分ほどしただろうか、運転手は無収穫でうなだれながら帰還した。誰とも出会えなかったらしい。これは本気で積んだのだろうか。ついにサバイバルタイムが始まるのかと覚悟する。
しかしそこで運転手はバギーを再びいじり出し「直った!!!」的なことを言った。直るんかい。直ったほうがいいけど直るんかい。そんなにすぐに直るんかい。HONDAのバギーってすごいな。日本車は素晴らしい。こうしてどこかで遭難しそうな人を救い、通れない道もこじあけているのだ。帰国後にHONDAの株を買った。応援購入だ。
ということで、危機っぽく引っ張ったが、なんだかんだで満喫して無事帰還し、レンソイスを堪能することができた。多分運転手の朝の寝坊により、短縮された時間も取り戻した。むしろその事件忘れてた。いいだろう。
レンソイスは、もうすぐ世界遺産になるかもしれないらしい。まだ見つかりきっていないが、そのうち見つかってしまうだろう。もちろんブラジル内では有名で十分観光地なのだが、まだ国内旅行レベル。世界遺産になれば、世界から人がわんさか訪れ、湖の貸し切りも味わえなくなるはずだ。
今ならば、商業パッケージ化しすぎていないのに最高の体験ができる。行ける人はとにかくいますぐ行って欲しい。行くなら今です。今なんです。ちなみに、砂漠に湖ができるのは6〜9月だけです。3ヶ月だけです。
アクセスは、サンルイスという寂れた街まで飛行機で行って(一泊を余儀なくされる)そこからバスで数時間、バヘリーニャスという田舎町に行って、
そこから股関節バギーで40分。日本からは気が遠くなるほど遠い。でも今だから。行く価値あるから。
このあと行ったアマゾン川も、もちろん素晴らしかったのだが、あらかじめ映像が想像ができない感動の振れ幅でいくと、レンソイスはSSクラスに素晴らしかった。いつか気候変動で水が現れなくなるかもしれない。砂漠が暑くなりすぎてたどり着けないかもしれない。今観れるものは今ふたつのまなこに焼き付けて、死ぬ前の走馬灯に組み入れよう。それくらい素晴らしい景色だった。
幻だったのか。そう思うほど圧倒的。だけど確実に目に、手に、記憶に焼き付いているあの砂と水。
またいけるだろうか。まだまだ他にも行きたい場所がある。全部いきたい。世界は広く、人生は短い。だから飛び込もう。込むんだ。
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