【山梨県立美術館】特別展「ベル・エポック-美しき時代」を見に行く
はじめに
山梨県立美術館では特別展「ベル・エポック-美しき時代 パリに集った芸術家たち ワイズマン&マイケル コレクションを中心に」(2024.4.20~6.16)を開催しています。
「ベル・エポック」とは、19世紀末から20世紀初頭までのパリを中心に繁栄した華やかな文化とその時代のこと。日本初公開となるワイズマン&マイケル夫妻の絵画コレクションを中心に「美しき時代」の華やかな文化を美術作品で紹介する展示です。
本展は、山梨会場を皮切りに、栃木、東京(汐留)、岡山と全国4会場を巡回します。
ベル・エポック-美しき時代
本展は、19世紀末から20世紀初頭にかけてパリが繁栄した華やかな時代である「ベル・エポック」の芸術や文化を紹介する展覧会です。
「ベル・エポック」は「美しき時代」という意味のとおり、華やかなパリやモンマルトルの女性を扱った作品が多数です。女性はブルジョワ階級であったり、カフェやキャバレーで働く女性だったりします。いずれの階層でも女性が華やかに輝いた時代だったのでしょう。世界はその後第一次大戦へと移っていきます。第一次大戦後になると、女性が活動的となり服飾はアール・ヌーボーへと変化していきます。
作品数は280点とたいへんなボリュームのある展示となっています。
本展の特色は大きく次の2点といえます。まずは絵画作品はほとんどがデイヴィッド・E.ワイズマン、ジャクリーヌ・E.マイケル夫妻のコレクションによるものです。そのコレクションは日本初公開といいます。
そして、本展はアニメ映画「ディリリとパリの時間旅行」(2018)をそのままに構成されています。この映画はベルエポック時代のパリを舞台に主人公ディリリがパリで起きる少女誘拐事件を追うというストーリーですが、映画に出てくるベルエポックの世界観をコレクションから再現しています。
図録はずっしり書籍サイズ(菊版)をしています。作品展数が多いので、ゆっくり見返すために買っておいて損はないです。しかし価格も3000円と相当ずっしりきます。
撮影は一切禁止されているため、作品画像は、山梨県立美術館のサイト、チラシ等にて公開されているもののみ使用しております。
本稿は図録と展示のキャプションに依りました。筆者が勉強不足ゆえに内容をうまく伝えきれていない部分もあろうかと思いますがお許しください。
第1章 古き良き時代のパリー街と人々
1-1 ブルジョワジーの都市生活
展示は19世紀後半のパリから始まります。
パリの町の姿を描いた絵画作品が並び、パリの街を概観します。
続いて、パリのブルジョワ階級の女性たちを描く絵画作品が並びます。いずれの作品の女性たちも帽子が描かれ、大きな帽子はたいへんな存在感があります。大きな帽子はこの時代の女性のファッションに欠かせないアイテムでした。
また、一段高く作られた台の上には食卓が置かれマイセンの器やナイフフォークを並べています。中央にあるドレスはベルエポック時代の特徴であったS字スタイルのシルエットを表しています。前方は胸が出て腰は極端に細く締めてお尻の部分はスカートを大きくしています。横から見るとS字の見えるのです。
また、1900年~1910年頃の帽子があります。この時期は絵画にもあったとおり、帽子は大きく羽飾りや花などで装飾されたものが多くみられます。
子供服が1点あります。19世紀の子ども服は大人のミニチュアでありシルエットも流行に合わせ締め付けるものが多かったといいます。20世紀に入り発育に与える影響が認識され、締め付けの無いデザインへと変わっていったといいます。白のワンピースは腰部分を紐で絞るようにはなっているものの、成人女性のドレスとは異なるデザインで子供用のものとはっきり区別がつきます。
さらにバックルとペンダントがあります。こちらはアールヌーボー期のものです。バックルはドレスの中央の一番目立つところに取り付けるもので、展示品は曲線が多用され植物がモチーフとされています。ペンダントもアールヌーボー期のデザインです。
ニュース画像より展示室の様子です。左側にある4つの独立ケースのうち2つが前述した帽子、子供服です。残り2つは花瓶です。その向こうの壁にあるガラスケースにバックル4点とペンダント3点あります。
絵画作品は女性を描いた作品が続きますが、途中扇を持った女性の作品が複数あります。扇を持つ女性は上流階級の女性のほか娼婦もであることを暗示している作品もあります。
第2章 総合芸術が開花するパリ
2-1 芸術家たちが集うモンマルトル界隈
モンマルトルはパリ郊外の丘です。パリの市民は、19世紀なかばのナポレオン3世(初代ナポレオンの甥)による都市整備事業「パリ大改造」にて追われ、移転先のひとつがモンマルトルでした。
パリのランドマークとして18世紀後半モンマルトルの丘の上には白いドーム建築のサクレ・クール寺院が築かれました。少し前にはエッフェル塔も完成しています。
こちらのモンマルトルの風景を描いた作品にも白いドームが描かれています。
また、モンマルトルには19世紀半ば、ヨハン・ヨンキントやカミーユ・ピサロらがパリから移り住みます。
本展の作品ではありませんが、山梨県立美術館が所蔵し常設展示(ミレー館)にあるヨンキントの作品です。こちらは筆者が撮影可能の日に撮影したものです。
2-2 ムーラン・ルージュとダンスホール
モンマルトルの歓楽街にはキャバレーやダンスホール、カフェ・コンセールが軒を連ね、歌手や芸人が舞台に立ち人気を博していました。
ムーラン・ルージュ(赤い風車小屋)やシャ・ノワール(黒猫)といったキャバレーが特に有名でした。
本展のメインビジュアルであるこの作品は、「近代ポスターの父」とも評されるジュール・シェレ(1836年~1932年)による、ムーラン・ルージュの最初のポスターです。ムーラン・ルージュの開店は1889年です。
また、こちらはムーラン・ルージュの前の様子を描いた作品です。
ムーラン・ルージュの出し物としてフレンチ・カンカンショーが人気を博していました。そうした出し物を扱った大衆文芸雑誌「ジル・プラス」が展示紹介されています。
2-3 シャンソンとカフェ・コンセール
カフェ・コンセールはショーを見せる飲食店です。ベルエポックの時代に隆盛し歌手がシャンソンを歌いました。
赤いマフラーに黒いマントの男が印象的なポスターは、19世紀末の人気を博したシャンソン歌手アリスティド・ブリュアン(1862年~1932年)を描いたものです。
1882年に開店したばかりのキャバレー「シャ・ノワール」に出演し、赤いマフラーに黒いマントと帽子といういでたちで有名になりました。
しかし、ブリュアンはオーナーと反りが合わず、1885年のシャ・ノワールの移転に伴い、その跡地を「ル・ミルリトン」という自身の経営する店として独立します。
ブリュアンは、シャノワールと同じく機関紙を発行し自身の歌を発表していきます、この機関紙「ル・ミルリトン」もポスターと同じロートレックがイラストを手掛けています。
2-4 シャ・ノワール
こちらの黒猫のポスターは、キャバレー「シャ・ノワール」の巡業公演を告知するポスターです。描いたのは、猫の画家として有名なテオフィル=アレクサンドル・スタンラン(1859年~1923年)です。
前にも登場した「シャ・ノワール」は、1882年にモンマルトルで酒造メーカーの息子であった、ロドルフ・サリスが作りました。新進の芸術家が集うための酒場を作り、当時人気のあったエドガー・アラン・ポーの小説の題から「黒猫」と命名しました。
1885年には移転し、芸術家、文学者、音楽家に加えて上流社会の人々も集まるようになり、以後10年に渡ってシャ・ノワールはパリ社交界の名所のひとつとなります。
移転した翌年から始めた影絵芝居が話題となります。影絵芝居は映画のルーツとも言われ、会場では、影絵芝居を再現した映像で見ることができます。
1892年、シャ・ノワールの地方巡業(黒猫一座の巡業)が始まります。
1896年には、スタンランが地方巡業のポスターを製作(上記画像)します。しかし翌1897年オーナーのサリが亡くなるとシャ・ノワール閉店しました。
2-5 芸術家たちの交流(文学、美術、音楽)
モンマルトルは、芸術家の集まる街へと変貌しました。
ピカソもモンマルトルにアトリエを構えおり、のちのキュビズムとして発展していく過程の場所でした。
展示はケースの中に芸術家同士の書簡があるほか、ギュスターヴ・フロベール(1820年~1880年)の『ボヴァリー婦人』の初版本があります。当時、『ボヴァリー婦人』の内容については反道徳的であると賛否を呼びました。
ほかにアルフォンス・ミュシャ(1860年~1939年)が挿絵を描いた『主の祈り』などがあります。
第3章 華麗なるエンターテインメント 劇場の誘惑
3-1 舞台上の人間模様
展示は、舞台上の人物や観客の姿を描いたかが作品が続きます。
こちらは、図録の表紙に使われているジュール・シュレのポスターです。
こちらの《コメディ》のほかにも《パントマイム》《ダンス》《音楽》という作品も並んでいます。
こちらは、自然主義演劇を多く上演したテアトル・リーブル(自由劇場)のプログラムです。
3-2 音楽とダンス
音楽やダンスといった演目に着目した作品が続きます。
こちらは、ダンサーのロイ・フラーを描いた作品です。
ロイ・フラーはベルエポック期の革新性を持ち、後世のモダンダンスに影響を与えた人物です。衣装はたくさんの布地を使って作られ、姿の判別もできないほどになっています。
カフェ・コンソールで演奏される歌の小楽譜の表紙や挿絵のために製作された作品です。バリ生まれの画家アルベール・ギヨームの70点に及ぶ素描集の中の1点です。会場には6点ほど素描があります。
3-3 ルオーの見つめるサーカス
サーカスはモンマルトルでは興業の小屋が建ち並び人気を博していたといいます。
ジョルジュ・ルオー(1871年~1851年)の描いたサーカス(パナソニック汐留美術館蔵)が11点展示されています。ルオーとサーカスの登場人物や道化師を描き続けました。作品の3分の1はサーカスが主題だといいます。
一方こちらの作品は、ワイズマン&マイケルコレクションのピエロです。
第4章 女性たちが活躍する時代へ
4-1 サラ・ベルナール、シュザンヌ・ブァラドン
19世紀末のパリでは、フェミニズム運動が高まります。芸術の分野においては、シュザンヌ・ヴァラドン(1865年~1938年)といった女性の画家が活躍するほか、舞台においては女優サラ・ベルナール(1844年~1823年)が人気を集めています。
こちらの作品は、シュザンヌ・ヴァラドンの《フルーツ鉢》です。
ミュシャがサラ・ベルナールを描いた《サラ・ベルナール》《トスカ》といったポスターが展示されています。こうしたポスターが神聖なサラ・ベルナールのイメージ作りに一役買ったといいます。
こちらは、舞台用の冠はミュシャがデザインし、サラ・ベルナールが着用したものです。
4-2 移り変わるモード、アール・デコへ
女性の社会進出は装いにも変化を与えています。1920年代になると装いにも変化がおきます。
ドレスの長いスカート丈は、ふくらはぎを見せるくらいに短くなり、過剰な装飾からシンプルで機能的なものへと変化します。
基本的なシルエットは体の線を強調しない直線的な筒形で、直線や幾何学図形を基調とするアール・デコにも通じます。
こちらのイブニングドレスも全体的にビーズが使われた、木綿地のドレスで、円筒形のシルエットに対してジクザグにカットされた裾が変化を与えているといいます。ほかに黒いドレスなども展示されています。
バックルも展示されていてシンプルな筒形ドレスのポイントとして存在感のあるデザインが用いられて、素材はプラスチックや人造ダイヤなど新しい素材が用いられました。
活動的になった女性の髪型にあわせ帽子もシンブルでコンパクトになります。外出時に持つバックの需要が増しファッションアイテムのひとつとなりました。
ルネ・ラリックのガラス作品が10点ほど並びます。ルネ・ラリックは宝石デザイナーからガラス工芸家となり1902年に工房を設立しています。
香水瓶、花器、灰皿などいずれも見事ですが、とくに見事なのは1909年にパリで公園されたバレエ・リュス(ロシア出身の芸術プロデューサー、セルゲイ・ディアギレフ(1872年~ 1929年)が主宰したバレエ団)の公演「火の鳥」に触発された作品で半人半鳥の女性が大きく描かれています。
展示の最後に記念撮影用のスポットがあります。椅子はベルエポック時代のアンティークだといいます。場内撮影可能な場所はこちらだけです。
ミュージアムショップ
会場でベルエポックの雰囲気に触れたあとは、ミュージアムショップをのぞきます。ところで、奥のレストランは5月から障がいスタッフが接客にあたる「ユニバーサルカフェ&レストラン コレル」に新装されました。
ミュージアムショップですが本展に合わせて華やいだ雰囲気です。
A4サイズのプリント画のほかに、クリアファイル、一筆箋、メモパッドです。シャ・ノワール、ムーランルージュ、ミュシャなどの図柄です。
非売品とは思いますが、黒猫やミュシャの描いたサラ・ベルナールを立体化したフィギアのようなものがあります。
おわりに
本展は、著名な作家の作品もありますが、1点1点の作品というより、多くの絵画やポスターなどで、華やかな時代の雰囲気や当時のキャバレーの出し物や演劇、踊りなど流行を感じるような展示でした。それほどボリュームのある展示数でした。
ベルエポックの余韻にひたりつつ、そのあと園内のバラ園を鑑賞したのでした。(記事公開が前後していますが)
参考文献
図録「ベル・エポック‐美しき時代」アートインプレッション、2024
参考URL
リボリアンティークス
https://rivoli-antiques.com/ (2024.5.30閲覧)