【昭和町風土伝承館杉浦醫院】地方病の「記憶」を伝え残す資料館(5) 次世代へ届ける授業
2024.1.22 児童の自由研究の続報を追記
はじめに
前回は昭和町風土伝承館杉浦醫院で開催された「第1回地方病を語る会」の模様から「地方病を語り継ぐ」をテーマに紹介しました。その中で「出前授業」についても触れました。後日、館長を訪ね出前授業についてお話を伺ったのですが、地方病が忘れ去られているという現状や、社会科の副読本における地方病の扱いなど、出前授業に至る地方病をとりまく状況と経緯を知り、あらためて紹介しようと思った次第です。今回も地方病を伝え残す取り組みの記事となりますがよろしくおつきあいください。
「第1回地方病を語る会」の内容は拙稿をご覧ください。
地方病とは
地方病とは、正式には日本住血住虫症といい、日本住血住虫のいう寄生虫による病気です。宮入貝を宿主にして成長したセルカリア(幼虫)が水田などで皮膚から人の体に侵入し肝臓の近くに寄生するのです。肝機能を侵されやがて腹水が溜まるなどして死に至ります。
甲府盆地は罹患者が多く、全国一の有病地でした。杉浦醫院の杉浦健三博士ら多くの医師、研究者の尽力により、感染経路が解明されました。また、杉浦三郎博士は、治療薬スチブナールを投与する治療法を確立しました。
中間宿主である宮入貝の駆除のため薬剤散布や火焔焼土機など試みられましたが、決定打となったのは、水路のコンクリート化でした。そうした取り組みの結果、1978年(昭和53年)を最後に新たな患者はなくなりました。
1996年(平成8年)には、山梨県より地方病流行終息宣言が出されました。地方病の対策が始まり115年の歳月がかかりました。
2021年(令和3年)、地方病流行終息宣言より25年が過ぎ、地方病の「記憶」を持つ人は年々少なくなり、地方病は「記録」のみになりそうな状況にあります。昭和町教育委員会と杉浦醫院は関係者の証言や寄稿を集め、2022年6月『地方病を語り継ごうー流行終息宣言から25年ー』を発刊しています。また、「地方病を語る会」を開催するなど「記憶」を伝え残す活動をしています。
地方病は忘れさられている
こうした先人たちの闘いにより終息した地方病でしたが、出前授業に至るスタートは、若者が地方病を知らないというアンケートを紹介した新聞記事だったといいます。
「地方病は忘れさられている」とは「杉浦醫院だより」2020年8月号の見出しによるものです。それによれば読売新聞山梨版2017年6月21日付記事に2017年に比較統合医療学会が山梨県内の中学生と成人を対象に地方病に関するアンケートが紹介されています。
ところで「杉浦醫院だより」とは杉浦醫院が毎月発行する広報紙でA4サイズで昭和町内の回覧板などで見てもらっています。
記事の内容は、2017年に山梨県内の中学生と成人を対象に地方病に関する20項目のアンケートを実施しました。中学生は有病地のあった甲府市、甲斐市、韮崎市、南アルプス市と昭和町の公立中学生1949人、成人は319人を対象にしています。
正答率についてみると
「病原体の名前は(答え・日本住血吸虫)」0.26%
「媒介とする生物は(答え・宮入貝)」2.15%
「どこから感染するか(答え・皮膚)」24.1%
でした。
1961年(昭和36年)に八田村(現南アルプス市)、双葉町(現甲斐市)の中学生785人に同様の質問をしております。その時の正答率は
「病原体の名前は(答え・日本住血吸虫)」83.9%
「媒介とする生物は(答え・宮入貝)」95.5%
「どこから感染するか(答え・皮膚)」98.8%
でした。
結果の一部を比較した一覧は下記のとおりですが、半世紀余りの間に大幅に低下していることが分かります。
成人についても「どこから感染するか」の正答率では、
55歳以上77.8%、40~54歳47%、20~39歳27.4%と年齢が下がるほどに正答率も下がる傾向があります。
ブログからもこの新聞記事に関する内容が読めます。
もみじだより 杉浦醫院新ブログ: 地方病は忘れ去られている!(2021.2.21)
筆者も杉浦醫院を訪問するまでは地方病は名前しか分からない一人でした。また、この頃は県内各地で年配者に地方病について伺うことにしているのですが、年齢が高い方でも地方病を理解していないどころか全く知らないという方にお会いすることも少なくありません。
ところで、橘田活子『茶碗の欠片』の冒頭にもこの読売新聞の記事が引用されています。宮入慶之助記念館の「宮入慶之助記念館だより」第31号(2021.6.20)では新聞記事を冒頭に掲載した著者の意図として以下のようにあります。
2023年8月29日の報道です。日本赤十字社の意識調査で9月1日「防災の日」が関東大震災に由来することを「知らなかった」という人が全体の半数近い49%に上ることがで分かったということが報道され話題になっています。100年が経過し関東大震災ですらそのような状況です。地方病が忘れ去られる日は刻々と近づいているのです。
社会科副読本調査、「地方病」は載っているのか?
若者が地方病を知らないという状況に対し、杉浦醫院では、県内の有病地域だった小学校で使われている社会科副読本に「地方病」に関する記載はあるかを調査しました。
社会科副読本とは小学校社会科3・4年生の地域を学習のために市町村ごとに教育委員会が作成するものです。たいがい「わたしたちの〇〇市」といったタイトルです。執筆は教員や地元の郷土研究者が行います。
社会科副読本については、筆者も論文を書くにあたり足で調査をしたことがありました。その地域の図書館に行ってもすべての改訂版が揃わず苦労したものです。さらに合併が進み旧町村のものが入手できなかったりします。市販で出回らないだけに、入手には苦労するのですが、郷土史の研究では隠れた重要資料なのです。
さて、「杉浦醫院だより」2020年9月号では、副読本に「地方病」の記載はあるかをかつての有病地の教育委員会にアンケート調査した内容が紹介されています。以下、転記しました。
有病地でも非常に多くの感染者を多く出した地域の副読本には記載があります。一方で有病地だったにも関わらず副読本に記載のない地域も多いことも分かります。
筆者の経験上、合併後の副読本は、合併町村の内容を追記した作りのものが多いため、合併前に記載があれば、合併後もなんらかの形で記載があります。また、市町村で副読本を作るようになったのは山梨県からのお達しのあった昭和50年代初頭からです。
館長は後記として読本が初めに作られ時代は地方病に苦しむ患者も多くいた時代で教科書に載せることに抵抗があったのではと推測しています。また、思っていたよりも地方病が子どもたちに教えられていない事実を知り困惑したと記しています。
ブログからも社会科副読本調査の詳細が読めます。
もみじだより 杉浦醫院新ブログ: 教科書に地方病は載っているのか? (2020.9.23)
昭和町の副読本
杉浦醫院のある昭和町の小学校では、地方病に関する学習を9時間余り行っています。杉浦醫院へ見学にも訪れます。そうして地方病を学んだ昭和町の中学生は前述の調査では正答率が高かったといわれています。
そうした昭和町の副読本「わたしたちのまち昭和町」(2021年3月新版)を見てみます。地方病は10頁に渡り紹介されています。
まず地方病の患者が発生していた当時のポスターや患者の写真が示され、不治の病と恐れられた地方病は何か調べることが始まります。
調べるために「風土伝承館杉浦醫院」を訪れます。そこでお話を聞いていくという流れです。館長のコメントのほか、見学をするときのマナーも記載された親切さです。
まず、杉浦健三、三郎親子の果たした役割とともに、地方病の生活環と中間宿主の宮入貝が説明されます。
地方病対策として、宮入貝を駆除する地域の人々による闘いが説明されます。殺貝薬の散布、火焔焼土機、水路のコンクリート化など官民の取り組みが描かれます。
地方病は終息しました。しかし昭和町に群生していたゲンジホタルがいなくなりました。最後にゲンジホタル復活へ向けた取り組みが語られます。
さすが、杉浦醫院を擁する昭和町です。10頁あっても語りつくせない内容を小学生向けにまとめられています。
出前授業
昭和町のような取り組みがされているところはほかにないでしょう。有病地の学校でさえ、あまり教えられていない状況では、確実に地方病は忘れ去られていきます。
現館長は、初代館長の後を受けて2020年度より着任されています。教員を定年まで勤め、その後は社会教育に携わってきたそうです。
まずは未来を担う子どもたちにしっかり地方病の歴史を学んでもらいたいと考え、小学校へ出向いて地方病について授業を行う出前授業を始めたといいます。教員だったからこそできる取り組みだったのです。
2020年度の出前授業
どんな授業をされているのか、2020年度(令和2年度)の様子を見てみましょう。
授業は1時間だけのため「ねらうべき点」を絞らざるを得ないといいます。ポイントとして「地方病はどんな病気なのか」「どうやってやっつけたのか」「いつ終わったのか」を押えることにしているそうです。
以下は、昭和町の常永小での授業の様子です。昭和町の3校は地方病に関する学習を行っていることをふまえ、出前授業では「地方病とはどんな病気なのか」「杉浦医院はどんな病院なのか」に絞っています。
写真などを予め用意して、ホワイトボードに貼っています。「地方病とはどんな病気なのか」として、左半分に日本住血住虫や宮入貝の写真が分かります。右半分は「杉浦医院はどんな病院なのか」として杉浦父子について説明しています。
また、杉浦醫院で実際に飼育し展示している宮入貝を持ち込んで観察してもらっています。もちろん寄生虫は入ってない貝ですが、こういうお話のあとだとドキリとするでしょう。
詳しくはブログをご覧ください。
もみじだより 杉浦醫院新ブログ: 常永小学校での出前授業 (2020.12.10)
続いて、中央市の田富小での授業の様子です。「地方病はどんな病気なのか」「どうやってやっつけたのか」「いつ終わったのか」に沿って授業が展開しているのが分かります。最後には世界には地方病に罹る地域がまだあることも教えています。
「どうやってやっつけたのか」では宮入貝の駆除に使われた火焔バーナーが登場します。
詳しくはブログをご覧ください。
もみじだより 杉浦醫院新ブログ: 中央市での出前授業(2021.1.21)
2学校の見学はブログよりご覧ください。
もみじだより 杉浦醫院新ブログ: 西条小学校・押原小学校は 杉浦醫院を見学!(2020.12.19)
児童たちの感想の一部が掲載されています
率直な感想だと思います。地方病のことを知らずに過ごしていても何も困らないことなのかもしれませんが、逆に地域で起きた出来事も真剣に吸収できる子どもたちの能力は素晴らしいと思いました。
もみじだより 杉浦醫院新ブログ: 子どもたちの感想パート1(2021.1.31)
もみじだより 杉浦醫院新ブログ: 子どもたちの感想パート2 (2021.2.7)
2021年度の出前授業
2021年度(令和3年度)は、甲斐市から2校6クラスが新たに増えました。☆マークが新規実施校
昭和町、西条小学校は感染症対策として1クラスで授業を行い、もう1クラスはその録画を視聴する方法をとっています。
双葉東小学区は県下でも、地方病の罹患者が最も多くいた地域と言われます。
昭和町の西条小での様子です。特効薬のスチブナールを注射するため使われた、今では考えられないような太い針の注射器を見ています。
また、宮入貝は中身の入っていない殻だけのものを実際に児童たちに渡して見てもらっています。
2022年度の出前授業
2022年度(令和4年度)は、南アルプス市若草小学校が新たに加わりました。有病地の学校が徐々に増えています。☆マークが新規実施校
初実施の南アルプス市の若草小の様子です。
続いて双葉東小では火炎バーナーは注目するアイテムです。
宮入貝(の殻)を実際に手にとっています。米粒くらいに小さな貝であることに驚くでしょう。
詳細は、ブログをご覧ください。
もみじだより 杉浦醫院新ブログ: 今年も出前授業しています! (2022.12.12)
詳しくはブログをご覧ください。
もみじだより 杉浦醫院新ブログ: 社会科見学 (2022.12.15)
杉浦醫院の見学と出前授業の感想の一部が掲載されています。
もみじだより 杉浦醫院新ブログ: 子どもたちの感想(2023.1.28)
2023年度の出前授業(予定)
年々、着実に有病地域の出前授業が増えています。
2023年の予定を伺ったところ、3校6クラス増えて11校25クラスだそうです。☆マークが新規実施校
体育館などで1学年を集めてお話するほうがずっと楽なはずですが、同じ授業の繰り返しあってもクラス毎に授業で行うのが大事だといいます。
また、社会科で郷土について学習をするのは4年生の10月~12月で集中します。学校が増えるほど館長だけで手が足りず回り切れなくなります。
そうしたことから2023年度(令和5年度)の出前授業は、本年5月に教職関係者が中心となり設立された「地方病教育推進研究会」の事務局で元教員のE氏に一部受け持ってもらうことになるそうです。E氏は教員時代に地方病の授業を行っておりいわば先駆者といえる人です。
自由研究サポート
次世代に伝えるため、杉浦醫院では「夏休み自由研究(地方病)ポイント」として昨年から自由研究のサポートもしています。
こちらも、地方病教育推進研究会のE氏が担当し、対象は小学校4年生~6年生、参加児童は杉浦醫院に何度でも無料で入館出来て、館長が相談にのるそうです。
詳細は、ブログをご覧ください。
もみじだより 杉浦醫院新ブログ: 夏休み自由研究(地方病)学習会 (2022.8.29)
夏休みのあと、児童の一人が届けてくれたという力作「蛍が消えた町~昭和町の地方病との闘い~」を見ました。小学校5年生でここまで研究したのかと驚きました。地方病の概要から始まり、体験者への聞き取り、町内に残る痕跡を探し、ゲンジホタルが消えたこと。すべて資料を提示したうえで資料から分かること、考えたことが記されています。終盤は、まとめ、感想、参考文献とほぼ論文の体裁です。
この力作は筆者が負けそうなくらいよくまとめられています。
ほかにも、児童の自由研究の成果が2階学習室に収蔵されています。見学と併せてご覧になってはいかがでしょうか。
自由研究続報(2024.1.21追記)
本年度の力作だった「蛍が消えた町~昭和町の地方病との闘い~」は「郷土学習コンクール」の小学校の部の最優秀に次ぐ6作品に贈られる優秀賞を受賞しました。
山梨県立博物館にて受賞作品として展示(2024.1.2~2.19)されていました。
全国版教科書掲載
最後に全国版の教科書に掲載されているということを紹介します。
令和2年度版教育出版の教科書「小学社会4年」に杉浦健造、三郎父子が掲載されています。教科書は杉浦醫院の展示室にあります。
「地域の人々を病気から救う」という見出しです。ただし、この内容が選択的テーマのひとつであること、見開き2頁ということなどから、杉浦健三、三郎父子の活躍が中心に構成され地方病については簡単にふれてあるというのが残念なところです。
おわりに
以上、わすれさられそうな地方病を伝え残すため、子どもたちに向けた取り組みを紹介しました。
NHKの番組だったでしょうか、東日本大震災の津波の教訓として、まずは逃げることを小学生に教える取り組みをしていると聞いたことがあります。大人たちは分かっていもいざとなると一目散に避難ができないのです。子どもたちから逃げるように大人に促すことを期待して小学生に逃げることを教えるのだといいます。次の世代にアプローチしていくことが、何事も残していく有効な手段なのです。
参考文献
昭和町社会科副読本編集委員会「わたしたちのまち昭和町」昭和町教育委員会、2021
「杉浦醫院だより」2020年8月ほか
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