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【感想】映画『オッペンハイマー』

先日、第96回アカデミー賞を受賞した話題作『オッペンハイマー』という映画を見ました。
物語は、第二次世界大戦下における天才科学者のオッペンハイマーの生涯を描いた本作は作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、撮影賞、編集賞、作曲賞の7部門を受賞した作品であり、映画を見終わってからも色々と考えさせられることがたくさんありました。
私なりに『オッペンハイマー』という映画を見た感想を簡潔にまとめると、理論物理学者のオッペンハイマーの半生をスクリーンを通して、彼が頭の中でイメージする原子粒子やエネルギーの波動を映像として創造するノーラン監督の技術力と描写力は、凄まじいものを本作から感じられ、まさにオッペンハイマーの頭の中を覗いているかのような錯覚を覚える映画体験でありました。
五感を通して、映画は時間と空間の実験的な拡張からリアリズムへと移行していき、ここではノーラン監督が映画の中で描く為の独自の手法のようなものが働いており、見ている私たちの意識はオッペンハイマーの過去と現在、未来へと飛び渡ることが可能となり、常に時間軸を意識しなければ今いる、ここがどこにいるのかが分からなくなってしまう恐れがあると感じられるものがありました。
映画を見る上で、オッペンハイマーを始め、妻のキャサリンと恋仲であるタトロックとの関係性やローレンス、ラビとの友としての絆などに注目すれば彼の内面性がより浮き彫りとなり、人間像への着眼点が行き届き、理解力へと繋がるものがあると考えさせられました。
マンハッタン計画からトリニティ実験、赤狩りへと彼の生きた時代背景を見つめることで、共産主義者としての彼の実態も明らかとなり、彼の周りにいた人物たちに注目するという映画の見方を取り入れることで、物語の中のオッペンハイマーの人生を本作から‘‘感じる’’ということが重要になってくるのではないかと思いました。
主演のキリアン・マーフィーが演じる心身性はオッペンハイマーと重ね合わさる引力が働くことによって、伝記映画とアブストラクトの二つの特性を兼ね備えた作品として成り立っているものだと感じられました。
映像の中で語られるべきことに限界はありますが、語られる現実を私たちが映画体験から通して知る上では必要なことだと考えさせられました。
本作で描かれたオッペンハイマーの生涯、その業績などを知り、理解するには専門用語と物語を追いながら解釈するには非常に難解である為、困難であると私なりに感じました。
オッペンハイマーの科学的な業績とその社会への影響を知る為には時間軸における、オッペンハイマーの核兵器開発に関するエピソードや逸話、社会的な政治背景の裏側なども視野に入れなければ、複雑化した本作を読みほどけないものだと考えられます。
『オッペンハイマー』を作品構造的に見れば、哲学的な要素が深いことが考えられます。
それは、量子力学とも結び付くものがあり、哲学の関係との関わり合いを見れば、また新たな問題を考えるヒントにもなるのではないかと思います。
量子力学と一般的な物理学の法則とは異なるもので、不確定性の要素が含まれていて、哲学的な観点としての特性が影響されるのではないかとも考えられます。
こうした科学と哲学といった、違うもの同士を重ね合わせた時の視点というのはかなり重要な位置を示すものだとも思いました。
私たちは『オッペンハイマー』を見て、何を知り、何を学ぶことが出きるのか。
多角的な考察が生まれ、それが実現可能だからこそ、複雑で難解であることが考えられ『オッペンハイマー』はある意味では私たちに考える時間を与えてくれる、余白のある映画といった考え方も出来る映画なのかもしれないと考えさせられるものがありました。



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