【霧の中を歩く時に考えること(山エッセイ)】
富士山で夏の山運を使い切ったのか、一日中晴れという天気予報は見事に外れた。
奥多摩の高水三山(高水三山、岩茸石山、惣岳山)は東京の山初心者の御用達の縦走路。「高尾山に登ったら次はここ」と言われるくらい初心者でも安心して歩ける山。そこそこのアップダウンがあり縦走の楽しさと大変さも味わえる。らしい。
話に聞いたことはあったものの、我が家から奥多摩方面は電車のアクセスが悪く、一度も歩いたことはなかった。
今になって登ろうと思ったのは、富士山の山頂に立ち色々な山からの景色を改めて観たいと思ったから。近くの山でも低山でも初心者向けでも、そこでどんな景色が観られるのか、可能な限り自分の目で見てみたい。登らず嫌いは良くない。
朝、家を出た時点で空は曇り模様だった。辿り着いた軍畑の駅前もすっきりしない。それでも天気予報は晴れ。昼に向かうにつれて天気は回復する。なんて信じていた。
しかし予報も予測も大外れ。
天気は一向に回復しない。山道を歩いていると雨まで降りだした。
今までに雨の中を歩いたこともあるし、霧の中を歩いたこともある。富士山を登った時も最初は霧の中だった。でも、今までに経験したことのないくらい霧が濃い。道の先さえ見えない。昼間なのに登山道は薄暗い。まるで何か出そうなくらいに。
霧は晴れることもなく、何かが出るわけでもなく、ひとりで黙々と霧の中を歩く。高水山でも岩茸石山でも惣岳山でも、とにかく霧。
虫の声も鳥の声もしない。足音と雨音、ザックで揺れる熊よけの鈴の音色だけが聞こえる。景色がいっさい見えない中で歩いていると、周りを見ずにひたすら足元を見るせいか考え事ばかりするようになる。
過去のことやこれからのこと。会社、友人、家族、趣味、健康、お金、夢、目標、希望、不安、人生。これまでに登った山やこれから登りたい山。暗いことも明るいことも考える。悲観的にもなるし楽観的にもなる。薄闇の中で深く考え事に没頭して、人生にとって重要で重大なことを考えていたはずなのに疲れて下山すると大抵忘れる。汗だくで山を降りて自販機で冷たいサイダーを買う頃には「お腹すいた」くらいのことしか考えていない。
山を登っている間に考えていた色々のことが、頭の中からすっかり消えている。
山を降りたあとに霧が晴れるのは、山登りではよくあること。
また新しい山に登ります。