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笑う人間ほど神に近い

どうも、一番最初にフト思い浮かんだことが正確らしい。後から、いろいろと迷って、いろいろと理智の力をかりて訂正してみるが、かえってそのために間違っている場合が多い。

ある一つの世界から他の異なる世界へ行く時には、人間はちょっと面倒と苦痛とを感じるものである。これは、境遇の変化にともなう必然的の手段と苦痛とであって、ぜひもないことである。

人が死ぬる際、少なからぬ煩悶と苦痛とが伴うのもこれがためである。日本に住んでいたものが急に英国へ旅行した場合にもそうである。かたい文章ばkri書きつづけていた人が、急にやわらかい文章に移ろうとする場合にもそうである。見知らぬ人と、はじめて言葉を交わす際にも、何となく気むつかしさを感ずるものである。

わたしの永久の願望というのは、ありとあらゆる世界を経めぐって、ありとあらゆるありさまを観て来たいというにあるのです。

わたしは変化が好きです。

「大器は晩成す」ということがある。動物の中でも、準備時代の長いものほど高等で長命であるとされている。早く一定の型が出来上がってしまうといことは好ましいことではない。世の中がせせこましくなって、人間の寿命が短くなるにつれて、準備時代も短くなって、子供がじきに大人になる傾きがある。人間は少なくも三十才ぐらいまでは、世の中へ出るための修養をせねばならぬ。五十、六十のころが最も働き盛りであらねばならぬ。

神童は一種の変態であって、いかに天才といえど、世の中を知らずして、真の仕事ができるはずのものではない。少なくも結婚生活を経たものでなくては、真の人間の資格はない。

この世では人間が一番尊い。人間の資格がない者は、神さまでも、地上では不完全である。

竜人と鐘とは何か深い関係があるに違いない。俵藤太の伝説や、盲目の竜が地上に残した子に愛着して、その子をして、池のほとりに鐘をつかして、せめてもの思いやりとしたという伝説や、その他、釣鐘と竜神は到るところに残されている。

竜蛇の類は音楽を非常に愛好するものであるが、特に鐘の音をよろこぶものらしい。

滑稽諧謔(こっけいかいぎゃく)は日本人の特質である。

つねに腹の底から笑い得る人間ほど、神に近いのである。神の国は笑いに充たされている。

『信仰覚書』第一巻 笑う人間ほど神に近い 出口日出麿著 

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