
【人生ノート 219ページ】 愉快は愉快を呼び、不愉快は不愉快を呼ぶ。
光をもとめ、向上を求め、希望に燃えている人は、見ても愉快だ。
不愉快なときには、場所とか人とか物とかによって、気分を転換する工夫をしなければならない。
人を怒らせ、不愉快にすることは、いかなる場合にも益はない。自己を愉快にし、他人をも愉快にすることに努めるべきである
愉快は愉快を呼び、不愉快は不愉快を呼ぶ。積みは罪なり。精神的にも物質的にも、じっとものを停滞、抑留しておくということは大なる罪悪である。
流転はこの世の姿であって、停滞は腐敗を意味し、毀滅を意味する。スラスラと流れてやまない水のように、思った時に、思ったようにすることほど愉快なことはない。そして、これが真の人生である。
もっとも有意義な生活とは、自己の欲するままにすることである。
人の性は天地に属し、天地は完成を目的とする。だから欲するままにおこなうことは、自己を完成さすことである、「欲するままに」ということは諸悪の根源かのように考えてきた人がある。これは、おおきな誤りである。
社会に容れられず、天地に容れられないことを、人は決して欲するものではない。たとえ、一時こうしたことを欲しても、やがては悟るものだ。
いろいろ考えてみたが、やっぱりそうだ、その瞬間瞬間に、ベストだと信じることに自己を捧げつくすよりほかに幸福はない。
むろん、前のベストは後のベストでなく、今のベストは未来のベストではあるまいが、それでいいのだ。ベストの内容は無限に変化していっても、いまの自分に忠実でさえありさえしたら、悔いというものはないのだ。
『生きがいの創造』、出口日出麿著
【これまでの振り返り】