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理解と距離
誰でも、自分を最もよく理解しており、その次には、自分に近いものを、それについで良く理解し、自分との距離が大となるに従って理解し難くなる。
われわれに神が判らぬのも、その隔たりがあまりに大なるがためである。
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すべて、大局をつかむということが最も肝腎である。でないと、ちょっとした変動にもあわてる。
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人間の気持ちは実によく変わるものである。雨がちょっと降りつづけば、個の世がモウつぶれてしまうのではないかとまで心配したり、それが、カラリと晴れてしまえば、まえの心配はモウすっかり忘れてしまって、永久に天空海闊、人生は愉快なものだよという気分になってしまう。
少しの病患にでも、俺(わし)はモウ駄目だと悲観したり、ちょっと健康になると、病気になんてなる奴の気がしれぬというふうにハシャグものである。
人の気持ちの変化は、実際、たよりない程クルクルと極端から極端へとゆくものである。
だから、この社会の状態さえ少しよくなってゆきさえすれば、思ったよりも人々は善人ばかりなのである。すべては境遇に支配されているのである。これを脱することは、いかなる達人といえども至難のことであろう。ただ、その程度の問題だけの話しである。
出口日出麿著、『信仰覚書』第二巻、理解と距離