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人がきて、なにげなく話していくことのなかに、ふだん気づいていないことを教えられることがあります。それは、自分と関連のない話のようであっても、なにかの意味をもっていることがあります。 意味なく人がきて、意味なく話していくということは、ほんとうは、ありえないことではないかと私は思います。人がなにげなく話していることのなかに、天の声がさしはさまれているかもしれません。 めんどうでも、さっそく実行しなければならない場合もありましょう。かりに徒労におわっても、その徒労がありがたいこ
楽しい時も、苦しいときも、それは事柄ではなくして気分です。自分のやってをることが非常に苦しく、難局であっても、自分を助けてくれる人、自分を知って居る人が、周囲に少し居っても生き甲斐があり、幸福感がある。世の逆境から立って立身出世した人の背後には、必ず神仏、両親、師匠等よりの絶えざる愛と信との流入があった。愛信の授受、そこに眞正の和がある。和から来た仕事でなければ本当のものではない、永遠性がない。和は神の心で、宇宙自然の姿であります。 其の和には順序と云うものと、それから犠牲
人間は、こちらに愛情があれば、相手に少々わるいところがあっても、案外、気にならないものです。 その時のコツというか、呼吸というか、そういう経験を、よくとらえておいて、どんな人にもひそかに好意をもってもらいたいと思います。 これが、とりもなおさず地上を天国化するのに大切な要素でありましょう。それで、自分の思うことを主張するのであれば、人のいうところも理解しなければなりません。 これまでのお示し 焦らず、あわてず、おどろかずー安心立命の秘訣ー https://note.com/
問「智恵証覚が一致せないと、夫婦はおなじ霊界に住むことは出来ぬということですが … そうすると、ただ今の現界での夫婦は大抵みな離ればなれになってしまいますか」 答「夫婦は特に愛によって結合しているものであるから、たとえ智恵証覚の度が多少相違していても、その勝れた一方が、劣れる他方のために一段さがってしばらく生活している時は、やがて両者の想念が平均してくるから、その時はじめて両者は一体となる喜びを得、足なみをそろえて向上することが出来ます。 現界はすべてが理想の世界ではないの
そうだ、すべてのものに、心からの好意を持たねばならぬ。 ○ 善意からする偽悪は、悪意からす偽善に、どれ程まさるかも知れぬ。 ○ 私のあやぶむところは、はたして、これが真の神意か否かということだけだ。 ○ 神の思し召しならば、指も切ろう、爪もはごう、可愛い女房も(もし、あるならば)人に与えよう。 それが神意であるならば、親のかたきの草履もとろう。火の中、水の底、くそ壷の中でも辛抱しよう。 ○ 争い憎み恨むことだけは、私には、どうしてもできぬ。 おおそうだ、愛