どこからが大きなお世話なのか、いつも悩む
今年は町内の自治会の当番の年だ。古くから住んでいる高齢者世帯と若い世帯が混ざっていている町内で、数年に一度、組長という役回りが回ってくる。
そして、来年度の組長が集まった中から区長その他の役員が選出される。組長ですめば、回覧板回し、会費集金、町内会掃除、祭りのお手伝いをするくらいですむが、区長になってしまうと一年間バッチリ町内会のお仕事が待っている。
過去に、涙目のおばあさんにほだされてクジで免れたのに区長を引き受けてしまい大変な事になったことがあったので、今回は心を鬼にして余計な事はすまいと組長会議に臨んだ。そして、みんなでロシアンルーレットの様なクジを引き、私はセーフだったのだが、また高齢の女性に区長が当たってしまい、その方はガックリうなだれていた。本当は私ぐらいの中年おばさんが引き受けるべきなんだろうけど、ごめんなさい。と心の中で呟きながら、解散したのが、3月初めだった。
そして5月から新体制が始まり、初めての集会があった。新区長のおばあさん、どんな感じだろうかと心配しつつ参加した。新区長さんは、頑張っておられた。全身ユニクロのゆるゆるでだらしない私とは対照的に、パリッとしたブラウスを着てしゃっきりと働いておられた。多少もたつく場面もあったものの、今年度の仕事をやるしか無いと腹を括られたようで、私の心配は杞憂に終わった。この間の地獄の抽選のときよりも、明らかに若返っておられた。これはこれでよかったんじゃないの?
ご近所みんなで年をとっているので、もう年だから町内会の役員は勘弁してくれというのはよほどの高齢者でないと言えない雰囲気になってしまっている。若い世代と同居していれば、各世帯で若い人にバトンタッチできるが、高齢のご夫婦、あるいは独居の方もいる。この状態は気の毒だと思う一方で、高齢者にはできないと決めつけるのも良くないのかもとも思った。
夫は、あんたサイコパスか!というぐらい、おばあさんが困ってても見捨てよう(町内会役員レベルの話し)という姿勢で、私が中途半端な親切心みたいなのをチラつかせると鼻でわらう冷血漢なのだが、それもあながち間違っていないのかもとまで思う。そこまで割り切れない未熟な私は、どこからが大きなお世話なんだろうといつも迷うのであった。
ちなみに夫は、町内会そのものを面倒くさいから辞めようという派だ。何か変な事を口走り、揉め事起こされても嫌なので、我が世帯の外務担当者として私が町内会にでている。その事なかれ主義こそが、もしかしてよくないのか。いやいや、ご近所で揉めるとややこしいので、ここは、まあまあ私が…。大きなお世話が止まらない。