閲覧注意・俺流読後かんそう文『三島由紀夫の愛した美術』第二弾
さて、先日「三島由紀夫の愛した美術」の読後かんそう文をアップさせて頂いたのだが、どうも、一部の心優しい "世一マニア" が納得していないようであり(笑)、わたしの管理する「本家ブログ」の方に心温まる強烈な足跡を残して帰られた。それはまるで「お前、何でキチンと書かないんだよ、ちゃんとここまで読めてるんだろ ? 読めてるなら書けよ、ここまで」そう仰っておられるような足跡を残して帰られたのである。
正直申し上げて、最初のかんそう文を書く際に随分悩んだ。そこまでのことを書くべきかどうするべきか。その結果の選択として、当たり障りのない書き方としたのだが、どうやら私の原稿を穴のあくほど読んでおられる一部のマニアにとっては、上滑りしたかんそう文、お手盛りのかんそう文が物足りなかったようである。それにしても読者というものは有難い存在だ。
さて、チョットここから重くなる。
苦手な方はバックを踏んでおかれた方が良い。それから、スキは押す必要はないので、どうか気にしないで欲しい。
では参りますか。
美が感知されるのは、何か精神を引き付けるものが存在するからである。Beauty is perceived because there is something that attracts the spirit.
ある物体は、ある時は美しく、ある時は美しくないのだから、物体であることと美しくあることとは別のことである。このような美の原因としては均斉 symmetria が挙げられることがあるが、しかしこれが美の原理であるならば、美は合成体にのみ存し、単純な美は存在しないが、光線、あるいは単音のように単純で美しい物があり、また「節制は愚行である」という命題と「正義は勝者である」という命題とは均斉はとれていながらこの倫理観は美しくない。したがって均斉は美の原理ではない。美が感知されるのは何か精神を引き付けるものが存するからで、すなわち精神と同質のロゴスが存しなければ物は美しくない。したがって美の根源はロゴスの明るさの中心として光に譬喩される神であり、超越美である一者としての神を頂点として、以下、ヌース、諸徳のイデア、諸存在者の形相、質料、という美の序列が成立する。この構想はプラトン的であり、その証明法はプラトンのようにミュトスによらず美的経験の分析による。この考えによれば芸術美を自然美と原理的に区別し得ないが、芸術は自然的事物を摸倣してはならず、自然美を成立させる原理を摸倣しなければならない。すなわち芸術家にとっては精神の直観力によってロゴスとしてのイデアの全体像を把握するのが先決問題である。
要は、『三島由紀夫の愛した美術』を手にした人々が、本書を己の中に溶かし込むためには、このぐらいは読んでおかなければ理解することは簡単ではないということなのである。
三島の考え方であり三島の美術論、三島の考える美とエロスは「アポロの杯」を読み込めば理解は出来よう。しかし、それでは三島を形成した根っこまでは見えてこないのだ。そこまで掘り込まなければ三島由紀夫の求める美とエロスは見えないだろう。
ねっ嫌でしょ(笑) だから書きたくなかったのよ。こうなっちゃうから。
なぜそうなるのかは「三島由紀夫が愛した美術」を読んで頂くしかないのである。その辺のところは読めば解かる。しかし「あー駄目だ、これだけじゃ分からん、足りない、短い……」こうなることは本読みなら必ず理解できるだろう。
ただね、わたしはこの系統を50も半ばを過ぎてから勉強したのね。
Leonardo da Vinciの『サルバトールムンディー』を解析するために。
レオナルドダヴィンチの考え方を勉強するために。
もしもお若い方がこの原稿を読まれたとしたら_________一つだけ申し上げると、学びに遅かった……ということは無い。
これが足りなかった……、これを学んでおけばよかった~という後悔は止められない。だとするなら、幾つになっても良いので根本は身に着けておくことをお勧めしたい。
だから書いたでしょ ⤴
勉強は裏切らない。
ちゃんとね、勉強していることを見ていてくれる人は居る。要はそういう中に身を置くことが大切であって、ひけらかすことが大切なのではないということなのでした。
三島の作品だけを読んでも見えてこないこともある。それ故に見たくないこと、知りたくないことも目にすることにもなる。
そういうものが見えてくると_________恐ろしくなるのであるヨ(笑)
美もエロスも哲学________みたいですねwww
世一
口直しに美しい画をご覧いただきましょうか。
速水御舟の手による芍薬かなぁ、ボタンかなぁ…… 普通に見れば美しいのよ。
わたしに云わせれば「エロい」となるのね。
速水御舟の持つエロスが炸裂してるのよ。花弁一枚一枚の空間や葉っぱの一枚一枚に至る余白のすべて、頂の雌蕊がのぞいた可愛らしさまで。
なんて美人なんでしょうか。
芸術は自然的事物を摸倣してはならず、自然美を成立させる原理を摸倣しなければならない。プロティノス エネアデス抄 2 「美について」
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