瞬間をスッパ抜く妙技『蝶々と柘榴にみる凝着の時間』茨城県近代美術館・速水御舟展から
(注意)本稿は、多分に書き手の主観が支配的原稿となっております。したがいまして、パクリなどは一切ありません。参考素材・出典は文中後半に添付
文責 飛鳥世一
なんと_________本稿が、ふたつの記事まとめにフォローされました。
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美術展記事まとめ さま
有難いことです。書いて良かった。本当に。書いて良かったです。
心から感謝御礼申し上げます。
アップから七日間で1144pv !
皆様のお運び誠に有り難うございます !
茨城県近代美術館
速水御舟展 ぜひ、お運びいただきたく存じます。きっと驚くような発見があるでしょう♬
さて例によりまして、この画にわたし流の解釈を加えてみましょう。
みなさんは、この画をどの様にご覧になられるでしょうか。
■御舟はどの様な角度からこの静物を眺め観たのだろう。一つ目のポイントです。
■なぜこの柘榴は、あんなにも鍋島の皿の奥にあるのだろうか。二つ目のポイント。
■なぜ、柘榴と鍋島の皿の接地面に影が描き込まれていないのか。三つ目のポイントです。
■なぜ、左の柘榴の先端は左を向いて倒れているのだろう、そしてなぜ、浮いているように見えるのだろう__________四つ目のポイント。
これらすべてのポイントを埋めることが可能な条件を考えてみると「楽しい」のですねぇ~
幾つか考えられるでしょうが、わたしは、ここで一つだけを紹介したいと思います。この四つのポイントを満たす、この画が置かれた条件です。
この柘榴_____________転がる寸前なのです。転がる瞬間なのです。
誰かの手によって、鍋島のお皿の上にポンと落とされたかもしれません。
その一瞬、柘榴は動きを止めたかもしれませんが、奥の傾斜から手前に向けて転がる寸前「一瞬の時間」を切り取るために、鍋島の「空間」「余白」が必要だったのです。
この画は、1921年、大正10年の画ですから、カメラが次第に高性能化し始めた時期(マグネシュームを発光させたフラッシュなど)にも重なります。カメラ・写真の持つリアリティーを、絵画の写実化を通して「実験」してみた作品とみると、「一瞬」を切り取ったこの画の意味はとても大きく思えてくるのです。
昨日の原稿に「瞬間的効果」と「突出効果」について書かせて頂きましたが、オモシロいでしょ ?
わたしには、飛び交う蝶の一瞬と、転がり落ちようとする柘榴の一瞬に、作者の強い執着、同質の凝着時間を観ずにはおれないのです。
画って、本当にオモシロいですよね。
描き手の哲学が覗えますよね(笑)
世一
以下参考素材
『我々は我々が見るところのものに執着するのではなく、それを超えた思索に赴かねばならない』
※ヴァールブルクコレクション・シンボリックイメージ「前書きと覚書き」からの抜粋
均斉は美の原理ではない。美が感知されるのは何か精神を引き付けるものが存するからで、すなわち精神と同質のロゴスが存しなければ物は美しくない。したがって美の根源はロゴスの明るさの中心として光に譬喩される神であり、超越美である一者としての神を頂点として、以下、ヌース、諸徳のイデア、諸存在者の形相、質料、という美の序列が成立する。この構想はプラトン的であり、その証明法はプラトンのようにミュトスによらず美的経験の分析による。この考えによれば芸術美を自然美と原理的に区別し得ないが、芸術は自然的事物を摸倣してはならず、自然美を成立させる原理を摸倣しなければならない。すなわち芸術家にとっては精神の直観力によってロゴスとしてのイデアの全体像を把握するのが先決問題である。
■プロティノス エネアデス抄 Ⅱ 「美について」
■ウィキペディアからの抜粋
■フンボルトフォーラム・ベルリン国立東洋美術館収蔵
速水御舟 作 『夜雪』を触媒として書いた小説『凍裂』 22/暮れ 作 飛鳥世一
※本稿は、多分に書き手の妄想が支配しております。
したがいまして、読み手の皆さんが、ご自分で楽しまれる際の参考と留めて頂きますように。
文責 飛鳥世一