見出し画像

悲しみの場に、明るい話題を

つい先日、祖父が亡くなった。
どのぐらい「つい」なのかと言えば、このnoteを書いているのが葬儀に向かう飛行機内だというくらいの「つい」だ。

祖父は飛行機に乗らなければ会えない距離に住んでおり、当然葬儀もそちらでとなった。

祖父との思い出を思い出して書き綴りたい気持ちもあるのだが、今回は「葬儀に出席する」ことについての夫婦の会話について残しておきたいと思う。

このご時世ということもあり、葬儀は親族でのみとなった。
飛行機を使う距離(しかもコロナ罹患者の多い関東)に住む私が出席して良いものか。
しかも私はこの記事を書いている段階で実は妊娠6ヶ月で、安定期とは言えそちらの不安もある。

少し悩んだが、もう6年半も会えていない祖父。
最期の挨拶はしっかりしたいと、入念に感染対策をした上で出席することにした。

出席にあたっては、夫の後押しも大きかった。
妊娠中ということもあり、旅程は余裕を持って一泊。
3歳になった息子と夜を過ごすことになる夫には、当然負担をかける。
それでも嫌な顔一つしなかった夫は、私にこう言ってくれた。

「行くのは大変だと思うけど、その場に君が行く意味は『明るい話題』を提供することだと思う。
お腹の子もそうだし、今いる息子のことだけでもね。
これから先どうしたって悲しい話題も増えてくるから、未来の話がないと」

正直、とても嬉しかった。
それはそう言って背中を押してくれたこともそうだが、何より「そんな考え方を自然にして、それを口にしてくれる人が隣にいる」ということもだ。

葬儀というものは、どうしたって心は沈む。
そこに「私」という人間のプラスの存在意義を与えてくれた夫。
こちらは気にしなくて良いからと、旅程準備を含めて色々手伝ってくれた夫。
どうしてこんな私にこんな素敵な人が、と常々思ってしまう夫。

心から、本当にありがとう。

亡くなった祖父は認知症を発症してから長く、数年前から施設に入ったこともあり、祖母とは離れ離れだった。
それでもこのコロナ禍での数少ない面会では、祖母が帰ろうとすると着いて行こうとしたらしい。

私という人間が、これからどういう終わりを迎えるかはわからない。
それでも可能であれば、ずっと夫と一緒にいたいと思う。
そう思わせてくれた出来事だった。

逝く命と、産まれる命。
そんな連綿と続く繋がりを噛み締めながら、私は飛行機に運ばれて行く。


おじいちゃん。しばらく会いに行けなくてごめんね。
ずっと、会いに行きたいと思ってたよ。
今から最後に、会いに行くね。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?