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妻であり母の料理奮闘記

プロフィールでも書いた通り、私は料理というものがとても苦手だ。
どのぐらい苦手なのかと言えば、普段の食事作りは九割五分、主人に任せているほどである。
その分皿洗い等は私が行っているのだが、本当に頭が上がらない。

料理への苦手意識に対する理由を挙げれば枚挙にいとまがないのだが、自分ではその主なものとして、

不器用で調理に時間がかかる

正解が単一ではない

そもそも自分が食事への執着が薄い

ということが挙げられるだろうと思っている。

私が料理を苦手とする3つの理由

まず第一に「不器用で調理に時間がかかる」という点だが、これは数をこなすしかない、あるいは自分の性格を変えなければいけないと思っている。

経験値というものが圧倒的に不足しているからだろうが、私は基本的に料理中、一度に一つの料理のことしか考えられない。
ようやく少しずつ慣れてはきたものの、一品作ってはまた次の一品、というのが私の料理の基本スタンスだ。

しかも台所が散らかっていると気が散ってしまうため、私の料理はまず「台所の片づけ」から始まる。
水きりラックに乾いた食器があれば全て片付けてからになるし、調理台は使い捨ての消毒ウェットティッシュで綺麗に拭いてからようやくスタートとなる。
当然こんなことをしていると、そもそもの調理開始が遅れてしまうのが常だ。

また、料理中も野菜が入っていた袋などは「一旦脇に置いておく」ことができず、一々洗ってゴミ箱に捨てに行く。
肉や魚を切った包丁は放っておけず、なるべくすぐに洗わないと気が済まずにお湯で丹念に洗う。

そんなこんなで、調理終了後は台所は比較的綺麗な状態なのだが、その完了までにかなり時間を要することはご想像の通りである。

また第二の理由である「正解が単一ではない」という点だが、これは私の捻くれた理系的思考の一つだと思っている。

数学や物理の場合、基本的に解は一つか、あるいは明確に示される。
正しい手順を踏んでいけば基本「正解」にたどり着けるが、料理はそうはいかないというのが私の持論(あるいは凝り固まった価値観)である。

いやいや料理にもレシピがあるでしょう、という声もあるだろうが、困ったことにいわゆる「レシピ通り」に調理をすると、大抵の場合我が家にとって味の濃いものが出来上がってしまう。

我が家はかなり薄味派であることを自覚しており、本やネットに掲載されている分量で調味料を配合すると、出来上がったものを食べて(申し訳ないのだが)首を傾げてしまうことが多々ある。

しかもその「濃さ」の程度が料理によってまちまちのため、料理初心者の私にとってはレシピからどのぐらい足せば良いのか、あるいは引けば良いのかがわからなくなってしまいフリーズするのが常である。

そして第三の理由として挙げた「そもそも自分が食事への執着が薄い」という点だが、これはもう半ばどうしようもないかなと諦めている。

私は基本食事を「活動のための栄養補給」として捉えている節があり、「脳あるいは体が欲しているからカロリーを摂る」「体が不調をきたさないように各栄養素を摂る」のだという意識がどこかにある。
旅先の夕食はホテルでコンビニ飯、なんてこともザラにあるのだから、この意識は中々に筋金入りなのだろう。

なお私の母は決して料理下手ではなく、独立まで常に大好きな料理を提供してくれた。
ので、この食に対する意識は幼少期から培われた訳ではないということを、母の名誉のためにきちんと記載しておきたい。

そんなこんなで、私は自分で料理へのハードルをくぐれるレベルまで上げてしまっているのが現状である。

本題:とは言えそうも言っていられない

私が普段の料理を九割五分主人に任せていることは先に書いた通りだが、その最たる理由は「調理に時間がかかる」という点である。

我が家は共働きで3歳の子供がおり、送りを主人が、迎えを私が担当している。
送りは主人が自転車でスッと連れて行ってくれるのだが、この7月に出産を控えている私は、自転車を使う訳にもいかない。
息子は周囲への好奇心が強く、あっちをフラフラ、こっちをフラフラと、気付けば迎えから自宅到着まで1時間弱は歩き詰めとなる。
必然、帰宅してから夕食までの時間はかなり猶予がない状態である。

その頃には(大変ありがたいことに)主人が帰宅してくれることが多いため、調理が速い主人が一気に作ってくれるのが我が家の日常だ。

休日もなあなあで主人が作ってくれることが多く、私もそれに甘えてしまっていたのだが、先日夕食中に主人に次のようなことを言われた。

いつかはしなきゃいけないことだし、少しずつでも慣れていけば?

曰く、自分だけがずっと作り続けていくのも現実的ではないし、自分だけが作っていると味や食材にも偏りが出る。
それは子供にも良くないだろう、ということなのだが、ど正論なのでぐうの音も出なかったことは改めて言うまでもない。

……確かに将来「お父さんのご飯も、お母さんのご飯も好き」と言われた方が嬉しいよなあ、なんて思考が巡ったのはさておき。
かくして、月に一度程度だった私の料理を、まずは週一くらいで頑張ってみようとなった次第である。

先ずは少しずつ、休みの日から

週一くらいで頑張ると言っても、時間に余裕のない平日を担当するのは正直荷が重すぎる。
ということで、まずは比較的時間に余裕のある休日にちまちまと挑戦を始めている。

調理に時間がかかるということは、それだけ子供を主人に一人で見ておいてもらう、そして子供に待っていてもらう必要があるということだ。
それでも文句を言わずに(主人も子供も)待っていてくれるのだから、本当に有り難い限りである。

そんなこんなで、このゴールデンウィークに私が1時間弱をかけて作った夕食がこちら。

梅干しご飯、魚河岸揚げのお吸い物、焼き鮭
ブロッコリーとパプリカのサラダ、小松菜のおひたし

うーん、1時間かけて作ったとは思えないこのクオリティ。
とは言えこれが今の自分の限界のため、ここから一つ一つ積み重ねていくしかないのだろうなあと覚悟している。

先に挙げた3つの理由から、私は自分一人であれば料理にこだわったりはしないだろう。
だからこの今の努力は、伴侶を得たという「妻」として、そして子供の「親」となって初めて生まれたチャレンジなのだろうなと思う。

「妻」だから、あるいは「親」だからという理由で必ずしも料理ができなければならないとは、正直私は決して思わない。
が、将来主人や子供に「今日のご飯美味しいね」と言ってもらえると嬉しいな、などという夢を一瞬でも見てしまったからには、少しずつ自分のペースで頑張っていきたいと思う。

大地の恵みに感謝して、今日も子供と「いたーだきます!」。

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