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自分の集中に「必要なもの」と「不要なもの」

「自分が集中するための肝」を把握しておくことは、仕事でも趣味でも存外役に立つ。

例えば、お気に入りのコーヒーを飲んで気分のスイッチを入れたり。
例えば、睡眠をしっかりとっておいたり。
例えば、テンションが上がるようなネイルをしてみたり。

「集中」という単語はあまりにも一般的で言うのは簡単な状態だが、実行できれば作業効率を2倍にも3倍にも引き上げられる状態であり、物事を進める際には集中できる時間が長いに越したことはない。
(そして集中できた時間が多いほど、それ以外の「余暇」時間が増えるという特典付きだ)

逆説的に「自分はこれがあると集中できない」ということを把握しておくこともまた重要だと言える。

私の集中に不要なもの

思うように集中できないと、人はイライラしがちである。
それが自分の体調のせいなのか、あるいは単に環境を整えられていないせいなのかを客観的に捉えられるだけでも、その後の気持ちの余裕は違うはずだ。

例えば自分を例に出して恐縮だが、私は「音」に極端に弱い。

実は数日ぶりにnoteを書こうと思ってパソコンを開いてみたは良いものの、夫がテレビを見ている横では(文字通り一文字たりとも)筆を進めることができなかった。
聞こえてくる情報が自分の思考全てを塗りつぶすような感覚になり、何をしたいのか、何を考えたらいいのか、その方向性すら整理することができなかったのである。
(因みにテレビを消した途端、この記事の内容がするすると浮かんできてここまでほぼノンストップで書き綴っている)

この「音が苦手」という性質は非常に厄介で、例えば私は普段音楽をイヤホンでほとんど聴くことができない。
これは上記と同じ理由で、「音」が自分の思考を上書きしてしまって何も考えられなくなるからである。
世の中には素晴らしい音楽が沢山溢れているというのに、「ながら作業」ができないのは痛恨の極みと言っても過言ではない。

「集中力の欠如」という状態の冷静な分析

とは言え肯定的に捉えれば、自分が集中できていない時は大抵「音」というアプローチを検証するだけで済む。

作業環境に余計な音が溢れていないか?
Yesであれば、それを改善できるように工夫する。
Noであれば、何かしら体調が悪いことが考えられるから無理をしない。

Yes/Noで答えが出るため無駄にイライラすることがなく、そこから集中力が途切れるという悪循環に陥ることも少ない。
言うなれば、私は「集中」という件に関して自分で自分のご機嫌を取れているのだと思う。

「集中」のための取捨選択

自分が何をすれば集中できるか。
逆に何があると集中できないか。

両方把握できているのが一番ではあるが、そんなことを少し考えてみると、情報過多のこの世の中でちょっと生きやすくなるのではと思う。

なお、このnoteを書きながら「それなら覚えたいことこそ音で聞くべきでは?」と思い至ったので、いつか勉学に応用していきたいなあと思ったのは余談である。

深夜、食洗器が回る音をBGMに。
あなたの「集中するための肝」はなんでしょうか。

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