『2022年に読んだ本』3選
映画を後回しにして、例年目標の100冊到達。
色んな意味で自分がめでたい。
はじめに
くくれない! と言い訳していたものを、ジャンルだけでなく、期間でも区切り立体的に括って書くことした。
これでほぼ無限だ。
noteで読書感想文を書くのはおそらく初めてだ。
紹介したい! と思った本は、帰するところというべきなのか、いわゆるビックネームたちの書いたものになってしまった。
でも、本屋さんで、きっと一番最初には手に取らないであろう本たちを。
内容にとっても触れています。ご注意を!
1.王国〈その3〉ひみつの花園
(よしもとばなな)
温泉が苦手です。のぼせるから。
湯についての、
「ゆるめるというより、力を吸いとられる」
という生々しい言及に納得。
206ページがいい意味で大問題、と思う。
猛烈に世界とかかわっている描写がある、とだけ書き残しておきたい。
あとは是非読んでみて欲しい。
熱帯が人間に及ぼすこと。
熱帯が人間に抱かせるものについて。
初読時の、真一郎くんがもっていかれちゃったことだけを、幼い恨みとして鮮烈に覚えていた。
10数年後の今年に読んだ後には、あの女性が、もっていかれちゃうような人なんだということを、幼い頭のままで、少しだけ理解した。
吉本さんの本は殆ど持っているし、読んできたのですが、本に触っているときに、歳の差とか、立場の違いとか、いささか奇抜な事柄どうしの取り合わせにギャーという気持ちと、ときめく気持ちとが半分ずつになることが多いです。
何なら語り手の主人公のことは、嫌いになることのほうが圧倒的に多い。
でもそんな主人公の感性とか瞳(つまりばななさんの物差し)を通して見る登場人物は魅力的で、否応なしに好きになる。
楓だけじゃない。
『キッチン』のえり子さんもそう。
『吹上奇譚』の墓守くんだってそう。
『王国』シリーズは全3巻+1(アナザーワールド)の絵本だと言っちゃっていいと思っている。
〈その3〉のための〈その1〉〈その2〉であり、それどころか時間に逆行して、〈その3〉のための〈その4:アナザーワールド〉ですらあると思うのだ。
その証拠にアナザーワールドを生きるノニのことも、遡って雫石にも、前向きな(前述の)嫌悪感をしっかりと持ったし、片岡さんさんの毒舌シーンまでも遡ってその人となりを傑作だと思った。
積極的に嫌って、徹底的に慈しんで読んだ。
2.終末のフール
(伊坂幸太郎)
私のオールタイム伊坂幸太郎作品上位に躍り出ました。
どうやらノーブルな一言が多い作品が上位に来るようだ。
とかっていう文脈の中に輝く一言(これだけじゃ光らない)を切り取って自分の中にもっておきたくなる。
いったん本に指はさんで、手帳に書くもん。
切れ味のあるピカピカを読み返して、記憶に留めておきたいと、そんなことを願っている。
特に伊坂さんの作品では、設定や登場人物、話の転がりの重要性が一段下がる印象を持つ。
ストーリーなんて何でもいいのかもしれないな。
私はいつも、読んでいるうちに存在感溢れる台詞の点滅をいの一番にキャッチしてしまう。
次にこの物語の設定の話をするならば、、
遠くに確実にある絶望の中で際立つ生。
寧ろ非ディストピアなんじゃないかとすら思う。
伏線回収ガチガチなのも大好きなのだけれど、今回は各ハライチタイトルが互いにふんわりと関わり合っているのが作品のテイストに適合しているのではないかと思う。
先に待つ現実がとても受け止めきれるものではなくて、終末のぼんやりとした感じ。
終末の感覚になんで私は共感しているんだろう。
分かっては可笑しいはずなのに。
伊坂さんもなんで書けるんだろう。
非日常を共感させる筆力のことを、自分との果てしない力の距離を、今ここが終末であるかの様にぼんやりと思う。
3.それを読むたび思い出す
(三宅香帆)
特大名著。
生年月日が一緒なの(それを知ったのはずっと後のことだけれど)。
あとがきを読んで、えっ全然暗くないよ!?と思った。
じめじめしたエッセイになりがちな自分のお手本で仕方がない文章たちだ。
矢印が深く自分に向いていることと、安易に暗いことは、ちゃんと似て非なるものだと思う。
『春の歌』がすき。
言語の引力性の話に頷き、
『ロールパンナちゃんの孤独』には救われる。
私もこれから風邪をひいたみたいに孤独を考え続けるだろう。
三宅さんが引いてきた「問十ニ」短歌は、穂村さんが登場したことにも増して大興奮してしまった。
この人が語るのだから読みたいと思う本がある。
私にとって三宅さんは、まさにそんな人だ。
誰かにとっての自分がそうだとはゆめゆめ思わないけれど、それでも書くのは楽しいね。
おわりに
7階図書室の本棚と本棚の間を、友達と声をひそめて走り回っていると、可愛らしいハードブックが数冊並んでいるのを見つけた。
読書に集中できなかった私は、そうして、まず、鬼ごっこをやめた。
中学の頃、吉本ばななを読み始めた。
ギンギラ装丁で話もギンギラの『アルゼンチンババア』に心を持っていかれて、読書感想文を書いたら何かに選んで貰った。
何かは忘れた。
大量に朱色のペンで直されて、家で何度も直して、放課後持っていって、でも何だかその先生も困っていて、私も困った。
いやでもきっとその先生が正解なんだろうけれども(しかも最近再会した!!仕事で!!嫌!!)読書感想文って結局何を書いたらいいのか分からなくなってしまって苦手でした。
高校の頃、風邪をひかないようにスカートの下にジャージを履いてずーっと受験勉強をしていた。
数列だの三角関数だの積分だのに、記憶違いでなければ自分の時間を惜しみなく使っていた。
そんな中、自分の理解の範疇にある数少ない教科・現代文の課題で書いた『こゝろ』の読書感想文を、何かに載せてもらった。
何かは忘れた。
自由にサッと書いたあれを選んで貰ったことが今の自分の執筆意欲を支えてくれている気がするなぁ。
選んで貰うことって大事なんだな。
そして黙ってて選んでもらうことと、ひたすらに自由であることは不可能なのだと、今、改めて、ハッとしています。
あの紙何処行ったんだ。
おしまい
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