記憶は「感じる」ことで刻まれる
東京都美術館で開催されているクリムト展に行ってきました。
ふと、これまで旅したなかで大好きになった街や国は、アートと出会って感じた衝撃と相関関係があることに気付きました。
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グスタフ・クリムト「接吻」×ウィーン**
オーストラリア生まれのグスタフ・クリムトとの出会いは、若かりし頃ヨーロッパを旅していたとき立ち寄ったウィーンの美術館。
絵画を見て「立ちすくむ」という経験を生まれてはじめてしたのが、クリムトの代表作「接吻」の前でした。
(『接吻』1908年 Wikipediaより引用)
薄暗い室内。
その絵画は、深紫色の壁面にスポットライトを浴びながら神々しく浮かび上がる黄金の光のようでした。作品を魅力的にみせるライティングやお客さんがほとんどいないことなど、いろいろな条件が重なっていることで特別な空間が演出されていたとは思いますが、文字通りカミナリに打たれたような衝撃を受けました。
写真で見ていたクリムト作品の女子ウケするような愛らしいイメージとは全くちがっていて、熱の籠もった静かなエネルギーを発散させてるように感じました。
クリムトは自分よりもなによりも関心が女性に向いていたようで、その探究心が尋常ではなかったのだと思います。画家としての技術の高さとデザインセンスを合わせ持ち合わせた天才との出会いでした。
その時の経験をきっかけに、クリムトと同時代に生き、モダン・アート、モダンデザインを生みだしたエゴン・シーレの生まれた家を見に行ったり、オーストラリアを代表する、直線を嫌う建築家フンデルトヴァッサーの建築物を巡ったりと、アーティストの作品に会いに何度か足を運び、ウィーンという街は大好きな場所になりました。
クリムト展とウィーン・モダン展は同時に開催中です。
ルイス・バラガン邸 × メキシコシティ
そしてもう一箇所、クリムトの「接吻」と同じような体験をしたのはメキシコシティ。
メキシコを代表する建築家ルイス・バラガンが40年間もの人生を過ごしたスタジオ兼自宅を見学したときのこと。
その場所は「ルイス・バラガン邸とアトリエ」としてユネスコの世界文化遺産にも登録されています。
クリムトから受けたパワーが「動」ならルイス・バラガン邸は「静」でした。
彼の建築の基本は、白を基調とする簡素で幾何学的なモダニズム建築であるが、メキシコ独自の、たとえば民家によく見られるピンク・黄色・紫・赤などのカラフルな色彩で壁を一面に塗るなどの要素を取り入れ、国際主義的なモダニズムと地方主義との調和をとった。水面や光を大胆に取り入れた、明るい色の壁面が特徴的な住宅や庭園を多く設計したことで知られる。(引用:Wikipedia)
ルイス・バラガンの建築物は、メキシコらしいカラフルな独特の色使いやドラマチックな壁や窓、水や光を駆使して作られる空間が特徴です。
ルイス・バラガン邸のあるメキシコシティは標高が高く、富士山の五合目相当になります。酸素が薄いうえに排気ガスで空気は埃っぽく、そして太陽が降り注ぎとても暑いのですが、バラガン邸に一歩足を踏み入れたとたん、まるで教会かお寺に訪れたときのように空気が一変します。
喧騒の中に存在する圧倒的な静寂。そしてそこにたたずむ暮らしの片鱗は、住んでいた本人の存在やその繊細な性格までも(想像ですが)を感じるものでした。
そして、安藤忠雄建築「光の教会」の元ネタとなる、4つの窓枠のスリッドから現れる「光の十字架」は彼の寝室にあります。
この時に感じたのは静寂のなかにある独特の「空気感」。
文化遺産となって、たくさんの人が訪れることになった現在も、その空気は乱れることもなく存在感を纏ったままです。とても言葉にできるものではなかったのですが、メキシコの乾いた空気と風土と喧騒の全てもしっかりと記憶に刻まれています。そしてそれはその場所に訪れないと絶対に味わえないものでした。
わたしはメキシコが忘れられなくなり、その後も何度か訪れています。
そして、先日参加したイベント登壇者のキッシーさん(Nサロン)がタイミングよく紹介してくれたアメリカの女性作家マヤ・アンジェロウの言葉。
People will forget what you said,people will forget what you did,people will never forget how you made them feel.
「あなたと何をしたか、何を話したかは忘れてしまったとしても、あなたといて何を感じたのかは、忘れないでしょう」
言葉にできない感情を体験することで記憶に刻まれ、人でも国でも好きになる。いろいろな偶然が重なってそんな気付きを得ました。
これからはもっと柔軟に素直に、あの頃のような軽やさで生きたいなあ。
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