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歌詞の解釈

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#終焉

「空蝉」(さだまさし)人生の最終章に何を思う?

「空蝉」(さだまさし)人生の最終章に何を思う?

さだまさしの「空蝉」は、時間の流れとともに儚くなる人間の愛や期待、そして現実を描いた歌詞です。詩全体を通じて、過去の熱い恋や愛情が、時間とともに衰えていく一方で、それを支え合いながら生きてきた夫婦の姿が象徴的に描かれています。以下、詩の解釈を行い、さらに源氏物語の「空蝉」との関係性も探っていきます。

1. 儚い現世の道連れ

「名も知らぬ駅の待合室で 僕の前には年老いた夫婦 足元に力無く寝そべっ

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「風の篝火」(さだまさし)は、愛を照らすのか、はたまた燃やし尽くすのか。

「風の篝火」(さだまさし)は、愛を照らすのか、はたまた燃やし尽くすのか。

さだまさしの「風の篝火」は、儚い別れと心のすれ違い、そして風景に溶け込んでいく愛の終焉を繊細に描いた詩です。自然や風景が愛や感情を象徴的に表現しており、移ろいやすい心と別れの瞬間が重ねられています。以下、この詩の部分ごとの解釈を行います。

1. 儚い命の象徴:蜉蝣と細い腕

「水彩画の蜉蝣の様な 君の細い腕がふわりと 僕の替わりに宙を抱く 蛍祭りの夕間暮れ」

「蜉蝣(かげろう)」は、短命で儚い

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