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『心を見せるということ』
宮本輝の「血の騒ぎを聴け」という著作の中に、
宮尾登美子さんについて言及している個所があるのですが、
昨日ふと思い出しましたので紹介させていただきます。
まず、とある段落で、
宮尾登美子さんのエッセー中に書かれた一文を
宮本輝が抜書きしました。
「自分が傷つかないで
どうして人の心を打つ作品が書けるだろう」
これには本当にはっとしました。
さらに宮本輝は別段でいいつのります。
宮尾さんは、何十、何百もの悲しみや歓びや人生の綾を
結晶化させて我々に見せてくれることができる人なのだと。
だから、宮尾さんにもっと物語を書いてほしい。
彼女はまだ、ほんの一部しかそれを見せていない。
彼女の中で沈殿し、凝縮されているはずの本音を早く見たい。
だがそれが難しいのもわかる。
「宮尾さんはわけのわからない観念や愚痴を、
断じて書いたりはしない。言い換えれば、
うかつに書くことなど出来ない傷を、
たくさん抱え込んでいるということでもある。
傷は深ければ深いほど、そこから発せられるうめき声もまた
重いものだ。うめき声は、物語と化して初めて、
具体的な“心”となる。
私たちは、その“心”がよみたいのである」
以上。
ほんまにそうやと思いました。
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