東京路地紀行 57 台東区三ノ輪
台東区へ。
台東区と言えば、浅草をはじめとして、古い路地がいたるところにある街だが、今回は荒川区の南千住のすぐお隣の三ノ輪の路地を探索。
写真をみてわかるとおり、路地と言うにはやや広め。画面の左の建物横にもう一本同じくらいの幅の道があり、この二本の道のあいだに建物一軒の幅で家屋、そのほとんどは呑み屋系の店と思われる家屋が軒を連ねている構造になっている。
言葉では説明が難しいので地図をみるとこんな感じ。赤く囲った場所が今回取り上げている一角。(青い線はのちほど)
建物に近くまで寄ってみるとなかなか渋く、トタンがいい味を出しているところばかりだ。特に下の写真のほうからは裏感が強く出ていてなお良し。
地図を見るとそんな変わった家の並びが続いているのがわかる。
どうしてこんな形になったのだろうか、と調べてみる。
古地図から情報を得たところでは、かつてこの道の片側は水路だった(川、または運河)。そしてもう一方は水路沿いの歩道というところだろうか。
あらためてさきほどの地図を。青い線を引いたところが水路跡。
上の写真で裏感が出ていると書いたが、そちら側はかつて水路に面していた側。ほんとうに裏だったわけだ、だから玄関にあたる扉、引き戸がない。
ではこの水路は何者なのか?どこからきて、どこへ向かっていたのか。
ここから下流域、つまり地図でいうと東方向、地図の上が北の前提でいえば右側が江戸時代の日本堤の土手とその土手の向こう側の堀につながっている。つまり、隅田川にそそぐ土手の堀、かつて日本橋のほうから猪牙舟(ちょきぶね)に乗って遊郭新吉原へ通ったの水路の一部だったわけだ。いま家屋が建っているところがまさに土手部分にあたっていたということ。
そしてこちらが表側にあたる道と建物。いまでもお客さんはこちらから出入りするようになっている。
隅田川にそそいでいたことはわかったが、では反対側、つまり上流はどこにつながるの?というと、これがどうやら王子の音無川(現石神井川)らしく、音無川から水路として分水されてきたものらしい。このあたりは今回のテーマからはずれるので軽く、さらっと~~~
遠くにそびえるスカイツリーと、昭和のレトロ感満載のトタンの建物のセットが対照的に映し出されて、いい味わいを出している。
特に夜になると、スカイツリーの色が変わるのでいつまでも見ていられることになり、夜が更けるのも忘れてしまいそうだ。