東京路地紀行 34 港区六本木
六本木に残る昭和な路地の2つめは、旧町名が龍土町、または麻布龍土町と呼ばれていた六本木7丁目エリアです。
龍土町とはどこか?
南の境を六本木通り、東を外苑東通り、北を星条旗通りとして、
西の境を外苑西通りとする変形菱形のエリアです。
地形は、南の六本木通りと東の外苑東通りを尾根として西北方向へ
向かって緩やかに下っていく傾斜地です。
外苑東通りのある表通り側は雑居ビルが建ち並んでいますが、
一本裏にはいると、少しだけ坂道をくだって突然、住宅街にかわります。
それもけっこう歴史を感じさせてくれるいい町並み風景がひろがって
います。
ところで今回の記事に使った写真はすべて夜。
六本木という町の性格からなのか、夜のほうがいい雰囲気を出して
くれています。
…昼間の写真が4、5年前のものばかりでさすがに古いだろうというのも
あるのですが(笑)
表通りの喧騒がうそのように静かな住宅地ですが、そのところどころに
飲食店があり、隠れ家のような感じになっています。
こういうところでしっぽりするのも良いかも(^^)/
ほんとうにこの場所は六本木なの?
と思わずつぶやいてしまう一角。昭和のアパートに、
これも昭和真っ盛りのころに取り付けられた防犯看板。
前の記事(「東京路地紀行 33」とともに昔のこの町の姿をとどめているのがこの龍土町の一角です。
旧町名を「龍土町」と書きましたが、「竜土町」のケースもあるようです。
そもそも「龍土、竜土(りゅうど)」とは?
ウィキペディアによると、
漁師が多く居住していた海に面する村・愛宕下の西久保の猟人村(りょうとむら)が麻布領内に代地を与えられた際に「猟土」→「りょうと」→「りゅうど」→「龍土」と変わっていったという説があります。
ほかに説はないようなので一択のようですね。
猟?海ならば漁師の「漁」では?と思うところですが、昔は海も山も
「猟師」だったようです。
つまり江戸時代に海の猟師たちが海辺から内陸へ移住させられたときに
できた村ということですね。
なぜ移転させられたのか?については記述はありませんでしたが、
愛宕下西久保といえば、愛宕神社や西久保八幡神社のあたりが
該当しますから、麻布台ヒルズ、東京タワーなどがその場所?
とすると、増上寺の境内に組み入れられたか、
大名の藩邸に割り当てられたのではないでしょうか。
以上、六本木に残された昭和の名残シリーズでした。