東京路地紀行 40 四谷荒木町
荒木町といえばかつての花街。
いまでも当時の面影がところどころに残っています。
特に夜の雰囲気は花街を思わせるものがあります。
いま荒木町とよばれている場所は江戸時代は松平摂津守の屋敷だったところ。新宿通り(甲州街道)を尾根として北の靖国通り(紅葉川)へ向かって傾斜していく地形。この地形を生かして、途中に池をしつらえた池泉式庭園を屋敷内に持っていました。
その池、策の池(ムチの池)、地元の人はカッパ池とも、を谷底に360度全方位が坂または階段に覆われたスリバチ地形を形作っています。
池とその周りの様子は以下の記事を参照してもらえると助かります。
この谷底に立つとなんというか安堵します。人は谷底の一番エネルギーが低そうな場所が落ち着くのかもしれません。
さて、谷底から再び横丁のある高台へ向かってのぼります。
荒木町の花街と池をつなぐ小路はどれも蹴上げが浅くて、奥行きたっぷりの段構えの階段でできています。坂道に段がついているというほうが近いですね。これは着物姿の芸者さん達が歩きやすいように設計されていると思われます。渋谷円山町にも同じような構えで芸者階段、花街階段と呼ばれている階段がありますね。
そして現代の荒木町はスリバチの聖地でもあります。
東京スリバチ学会会長の皆川典久氏が提唱した「スリバチ地形」。その最上級である1級スリバチの構造を持っているのがこの荒木町です。
モンマルトルの階段と呼ばれている長い階段があります。ここは荒木町の台地と谷底の池の高低差を如実に表してくれています。階段の上から振り返ると手前が凹み、奥のほうで再び盛りあがっている構造がよくわかります。
ちなみになぜ「モンマルトルの階段」なのか?
一説にはパリのモンマルトルの階段に似ているからということで地元の方たちがそう呼んでいる、ということを聞きましたが、地元の人に話を聞く機会があったとき、だれもそんな呼び方をしていないといわれました。
真実は闇の中へ。。。いや津の守弁財天の池の底へ。。。