見出し画像

魚肉ソーセー候

信頼出来るスーパーにて、添加物がほぼ入っていない希少な魚肉ソーセージを発見。


素晴らしい。

ということで、魚肉ソーセージと冷蔵庫に入っていた夏野菜を合わせて料理しながら、明治維新の原動力となった藩の主でありながらあまり評価されていない君主を妄想した記録。


材料

魚肉ソーセージ 2本
ズッキーニ   半分
チーズ     好きなだけ
黒胡椒     少々
ウスターソース 大匙1

文政二年(1819)に誕生した猶之進が後の毛利敬親。
永代家老である福原家の生まれですが、父親は毛利本家から養子に入っていた人物。
本家の跡継ぎ問題で父親が毛利宗家に戻ると、猶之進も本家へ。
福原家というのは、毛利家を大大名に押し上げた毛利元就の母親の実家。
そのことが敬親の生き方に大きな影響を与えたのではないか。


輪切りのズッキーニを両面焼く。

父親が毛利本家を継いだ後に大洪水発生。
天保七年(1836)のことですが、その後に父は死去。跡目を継いだ兄も二十日程で死亡。ということで萩藩主の座が回って来る。
十二代将軍家慶から一字を頂いて、慶親と名乗る。
この時の正式な名前は松平大膳太夫慶親。
秀吉が大名達に羽柴の苗字を贈っていたように、徳川家もよく松平の苗字を大名に与えていた。疑似親族とすることで忠誠を誓わせようという配慮?
後に毛利家が幕府と対立した時に松平の姓は剥奪され、将軍から頂いた慶の字も取り上げられたので毛利敬親になったという訳。
煩雑になるので、本稿ではもっとも知られている敬親で通します。
跡目相続の際には徳川御三卿の一つ、田安家から養子を迎えないかという話がありましたが、これを断り敬親が家督相続。
実は元就が家督を継ぐ際にも、その頃に従属していた尼子家から養子をという話がありましたが、それを蹴って毛利元就誕生という経緯。
歴史は繰り返している。


魚肉ソーセージと黒胡椒投入。

幕末近くなると何処の大名家も財政難。加えて洪水の被害。大変な時に家督相続。
藩政改革のために村田清風を登用。蝋や金魚等の特産品生産を奨励。質素倹約を率先して行う。
江戸詰め藩士のために江戸にも藩校。
国元の藩校、明倫館も拡充。教育に力を入れた。
こうした改革で積み上がった資金が後々、尊王攘夷運動に使われ、優秀な人材が多数、輩出。
中でも敬親が注目したのが吉田寅次郎こと松陰。
「普通の儒学者の講義は眠ってしまうが、寅次郎の話は前のめりで聞いてしまう」
ということで十一歳下の松陰に藩主自ら弟子入り。
後年、松陰が若くして刑死した後も祥月命日には手を合わせることがあったとか。


チーズとウスターソース投入。

敬親についていよく言われる綽名が『そうせい候』
家臣がこうしたいとかああしたいと意見上申したら、「そうせい」と返答することが多かったから。但し生きていた頃からそう呼ばれていたのではない。死後、敬親に贈られた諡号が忠生公だったのをもじって『そうせい候』と死後になって語られるようになった。
寛容で家臣を信頼していたと見るか、定見がなく諸事、家臣任せだったと見るかは人によって意見が分かれる所。
但し、ここ一番という重要な場面では自ら決断。
幕府から征伐軍が迫り、どうするか御前会議。臣下達の意見が出揃うと、
「我が藩は武備恭順を旨とする」と発言。
闇雲に言いなりになる降参ということではなく、備えをした上で幕府に従うということ。結構、政治的に高次元な判断。
井上馨が留学の許しを請うと、
「そういうことは予に問うな」
つまり黙ってやれということ。公式には日本は鎖国しているので外国へ家臣を送り出すことは認められないが、勝手にやったとなれば与り知らぬこと。
こうして見ると結構、融通が利いている。

チーズが溶けてきた。

長州の下級武士達は本気で尊王攘夷運動に挺身していたが、敬親自身の考えはそうではなかったと思われる。
諸事、そうせいと命じておかねば、家臣達に寝首を掻かれるかもしれない。それだけ危うい勢いを高杉晋作や久坂玄瑞といった過激な連中に感じていた?
「主君は船、家臣は水。水はよく船を浮かべるが、引っ繰り返すこともある」とは元就の家臣、志道広良の言葉。
万が一の下剋上も氣にしなければならなかった。
敬親は顔面神経痛に悩まされていたと言われる。幕府ばかりか家臣達の顔色を窺っていたのかもしれない。
元就以来の名家を自分の代で潰す訳にはいかない。それが敬親の行動理念だったようにも思える。
「攘夷派、佐幕派のどちらとも対立しないためだった。そうしていなければ暗殺されていたかもしれない」と後年、語ったことからもそれが窺える。


魚肉ソーセー候

溶けたチーズが絡んだ甘辛いウスターソースがよく沁みている。黒胡椒のピリッと感がアクセント。
魚肉ソーセージも美味いが、ズッキーニもしっかりと自己主張。
どちらが主従かわからないという所は、長州藩っぽい?
魚肉の良質なタンパク質、ズッキーニにはビタミンCやβカロチン豊富。含まれているカリウムは過剰なナトリウムを排出してくれる。

慶應四年(1868)に臣下の木戸孝允から版籍奉還の先駆けになってくれるように奏上される。
つまり、それまで大名が治めていた土地や人民を中央政府へと差し出すということ。強力な中央集権國家を作るためには不可欠。
維新の先頭に立った長州が範を示せば、他の藩もそれに倣うことから木戸は主君に願い出たが、敬親は「そうせい」とばかりに了承。
ただ、
「今は戦乱の世であり、これ程に大きな改革を行うと、どういうことが起こるかわからないから、都に行った上でしっかりと時期を見定めて行え」と木戸に告げた。
この返答に、木戸は主君が恐ろしく聡明であると感じたという。
何しろ権力基盤を失うばかりか、大名としての存在理由すら撤廃される変革。当然、反発が予想される。
「そうせい」としか言わない昼行燈と思われていても、決してそうではなかった毛利敬親を妄想しながら、魚肉ソーセー候をご馳走様でした。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?