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滅び飯

胡椒っていつから日本にあるのだろうかと思ったら、江戸時代には既にあったようです。胡椒飯という料理もあったとか。それを自己流にアレンジした記録。


材料

玉葱 半分
黒胡椒 好きなだけ
醤油 大匙 2
酒  大匙 1
麺つゆ  1カップ
水    1カップ
塩  小匙 1

あと、薬味として
大根おろし 適量
柚子胡椒  適量

どういう料理を作るのかというと、汁かけ飯です。
現代ではご飯に汁をかけて食べるのは猫まんまと呼んで、あまり行儀がよくないこととされていますが、江戸時代までは別に無作法なことではありませんでした。それどころか、戦国時代には武士達の間では普通な食事。わかりやすく言えば、織田信長が桶狭間の戦いに出陣する時に立ったまま湯漬けを食べたという話があります。手早く栄養補給が出来ることから、忙しい武士には重宝された食事法。

玉葱を薄切り。

汁かけ飯で思い出すのが、北条氏康の逸話。
関東に強固な領国を築いた後北条氏の三代目。外交に戦場にと大活躍。民政にも力を入れて、北条家に全盛期をもたらしました。
嫡男の氏政と食事している時、氏政が飯に汁を二度かけたのを見て、突然、落涙。
どうしたのかと家臣が問うと、
「もはや北条家は儂の代で終わりと定まった。氏政は飯に二度も汁をかけた。食事は毎日すること。適度な汁の量すらわからないようでは、家臣や民の心を計ることも覚束ない」
という答え。


炊飯器に玉葱、醤油大匙1、酒大匙1、黒胡椒適量。米二合と水を入れ、30分浸水。

北条氏康、戦場では勇猛に戦い、顔に向こう傷があり、それは氏康疵と呼ばれたとか。小田原城に攻めて来た上杉謙信も撃退。関東で力を持っていた関東管領の山内、扇ガ谷の両上杉家を河越の夜戦等で駆逐。
武田家、今川家と同盟という風に外交でも手腕を発揮。
税制改正や徳政で民心も掌握と正に名君。
子の氏政ですが、世間知らずだったと思われる逸話があります。
出陣した時、腹が減ったのでそろそろ食事にしようと言い出し、近くにあった田を見て、
「あの稲を刈って、食べよう」と言ったとか。
稲は刈った後、乾燥とか脱穀をしないと食べられる米にはならないことを知らなかった?

浸水の後、炊飯。炊けるまでの間、飯にかける汁を作る。

鍋に麺つゆ、醤油大匙1、水、塩小匙1を入れて温める。

三代目というのは、大身の武家にとっては重要な位置かもしれません。たとえば鎌倉幕府の源氏将軍は三代目、源実朝の代で断絶。室町幕府の三代目、足利義満は南北朝の合一を成し遂げ、日明貿易を開始して、幕府の全盛期を築きました。江戸幕府の三代目、徳川家光は武家諸法度の制定、鎖国政策を固め、幕府を揺るぎない体制に。
幕府ではありませんが、関東に大きな領国を築いた三代目、北条氏康はやはり傑物。


いい色に炊き上がり。


氏康の予言ですが、半ばは当たり、半ばは外れ。
秀吉による小田原征伐で北条家が関東を追われたのは氏康の孫、氏直の時のこと。しかし、氏直は若い当主であり、氏政が後見していたので、氏政の代で潰れたとも言い得る。
北条家が去った後に関東に入った徳川家康、北条家が行っていた民政をほぼそのまま引き継いだとか。氏康が基盤を作った善政を改めて民心が離れてしまうことを恐れたのでしょう。


滅び飯。

出し汁をたっぷりかけて、大根おろしと柚子胡椒を好みの量、混ぜて頂く。
加熱した玉葱の甘味、黒胡椒の刺激がご飯を進ませる。大根おろしがさっぱり感を演出。柚子胡椒もよく合う。

少し前は九州特有な調味料だった柚子胡椒、今やすっかりポピュラー。以前、柚子胡椒を使ったレシピを公開しています。↓


胡椒の成分、ピペリンには血流をよくする働きがあり、栄養の吸収を促す。
玉葱には血液をサラサラにする効能あり。
これらの働きで体の末端にまで血液が行き渡り、冷え性改善にも効果。


秀吉による小田原征伐の後、北条家は滅亡したと思う人が多いかもしれませんが、実はさにあらず。
氏政は切腹、氏直は高野山に追放となりましたが、氏政の弟、北条氏規の系譜が河内狭山藩主となり、江戸時代を通じて存続、明治維新まで続きました。

滅び飯、あまりのうまさにお代わりし、かけ汁も二度、三度とかけてしまいました。これでは私も氏康公に落涙させてしまう?

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