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蛇腹きゅ瓜生㠀

胡瓜に等間隔に切り込みを入れる技法が蛇腹切り。
蛇腹切りにした胡瓜を漬物にしながら、日本のアトランティスとも呼ばれる幻の㠀について妄想した記録。


材料

胡瓜   3本
生姜   半欠け
赤唐辛子 1本
醤油   大匙3
酢    大匙3
蜂蜜   大匙1
胡麻油  大匙半分

温泉の湧出量世界二位で有名な温泉地の大分県別府市。因みに一位はアメリカのイエローストーンですが、こちらは入浴出来ないので、実質的に世界一の温泉地と言っていい。
町の前には別府湾。静かな海に㠀影はなし。しかし戦國時代まで幾つかの㠀が存在したと言われる。中でも最大の㠀だったのが瓜生㠀。
この㠀は地震のために一夜にして海に沈んだと言われる。


菜箸の間に胡瓜を置いて、菜箸に当たるまで包丁で切り込み。これを両面。後は食べやすい大きさに切る。

むかーし、昔、別府湾には幾つかの㠀があり、最大の㠀は瓜生島と呼ばれておったそうな。
周囲は12キロ、人口は五千人程じゃったが、㠀の人々は夷様の石像を守り神として大事にして、毎朝お供え物をしておった。
㠀の言い伝えでは夷様の顔が赤く染まったら、㠀は沈むと言われておった。
㠀民の大半は夷様を大事に祀っていたが、どこにもへそ曲がりはいるようで、医者の加藤良斎という人物は下らない迷信と笑い飛ばしておった。
「面白いことを思いついたぞ」
良斎はベンガラ、つまり赤い顔料で夜中にこっそりと夷様の顔を真っ赤に塗ってしもうた。
翌朝、夷様の顔が真っ赤になっているのを見た㠀民は大騒ぎ。
船を仕立てて㠀から逃げる者が相次いだが、良斎はそれを愉快そうに笑い飛ばしておった。
「馬鹿な奴らだ。俺の悪戯とも知らないで」
それから数日経ったが、何も起こらない。
「そら見ろ、その内に決まり悪そうに㠀の連中も戻って来る」
十日以上経過。その頃から地震が頻発。由布岳や高崎山、鶴見山といった対岸の大分側の山々も火を噴き始めて、ついに㠀は崩れて海に沈んだ。
逃げ遅れたのか、良斎同様に言い伝えを信じていなかったのか㠀と運命を共にした㠀民が七百人。その中には当然、良斎も含まれていたそうな。
というのが瓜生㠀伝説。


生姜を千切り。

ところで昔は豊後といった大分の守護大名は大友氏。中でも全盛期を築いたのは大友宗麟こと義鎮。
その強さの秘密は忠誠心ある家臣達と南蛮貿易で得た富や大砲や鉄砲。
大友家の貿易港は瓜生㠀にあったという。
フランシスコ・ザビエルが豊後の中心だった府内(大分市)へ来た時は瓜生㠀から小舟で上陸。
他にも明(中国)の探検家、鄭舜功も瓜生㠀へ。ただ、この時は馬で府内へ。

㠀なのに馬?
どういうことなのかと考えると、瓜生㠀とは砂洲みたいな所だったのかもしれない。つまり満潮時は㠀になるが、干潮時には砂浜の道が出来る?


唐辛子を輪切り。

文禄五年(1596)別府湾を震源とする直下型地震発生。この年は九月に慶長と改元されたことから、豊後慶長地震と呼ばれる。
宣教師、ルイス・フロイスの記録にもこの地震は記され、海底調査の結果でも地震の痕跡である断層発見。
ただ瓜生㠀がこの時に沈んだのは確認出来ず。というのも為政者側の記録には瓜生㠀のこと自体が記載されていない。
宗麟の跡を継いだ義統は唐入り(朝鮮出兵)時の失態により改易、その後、豊後は秀吉の直轄地になったり竹中家の領地になったりと支配者がよく変わったために記録が一貫していないのが原因。
ただ民間伝承として瓜生㠀は語られ、大分市内には『瓜生山威徳寺』という寺院が存在。元々は㠀にあった寺だが、沈没後に現在地に再建されたと伝わる。
瓜生㠀は実在したのか、そして伝説通りに沈没してしまったのか。未だにはっきりしない。

袋に調味料と共に詰めて、空気を抜いて冷蔵庫で一晩。

㠀は大分川の河口近くにあったと言われ、川から運ばれた砂が堆積して出来た砂洲だったとすれば、地震により液状化現象が起こり、地盤が脆かったためにもろくも崩れて溶けるように崩壊してしまったという仮説がある。
崩れたために㠀や生活の痕跡は四散した。或いは深く埋もれてしまった?


蛇腹きゅ瓜生㠀

唐辛子や生姜の辛み、蜂蜜のコクある甘味、醤油のしょっぱさ、酢から酸味と様々な味わいが渾然一体となり、切れ込みから胡瓜に沁みこむ。
ご飯が進むばかりか、酒のアテにもなるかも。
カリウム豊富な胡瓜は老廃物の排出を助けてくれる。生姜は適度に体を温める。唐辛子のカプサイシンは脂肪燃焼。正に体思いな漬物に仕上がった。

昔話や伝説には何等かの教訓が含まれていることが多い。
普通に考えると、瓜生㠀伝説の教訓は古い言い伝えを馬鹿にするものではないということになるが、他に隠されている意味があるかもしれないと妄想。

陰謀論とか都市伝説界隈でマッドフラッドという話。
興味深い話なので、いずれ掘り下げてみたいが、かいつまんで書くと、
ロシア周辺にタルタリアという大帝国が存在。日本もその一部。
核戦争で滅びて、その後に泥の洪水(マッドフラッド)が起こり、その遺物や遺構はすべて地中に埋もれてしまった。
後に世界の支配者となったDSはタルタリア文明の遺物等を掘り返して使用。更に捏造した歴史でタルタリアの存在を教科書から消し去った。

瓜生㠀伝説はこれを示唆?
タルタリアを瓜生㠀に仮託、マッドフラッドではなく地震で埋もれたという話にして、タルタリアの痕跡を微かに民間伝承として遺した?
別府や大分には地震後に地滑りで地形が変わった所があるようで、地滑りというのも土が大量に滑り落ちるのは泥の洪水を示しているように思えてしまう。
頭のおかしい妄想を楽しみながら、蛇腹きゅ瓜生㠀をご馳走様でした。


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