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鰹の佐久間象山

鰹の刺身を1柵(サク)購入。
サク間象山(とんでもないこじつけ)ということで鰹の柵をタタキにしながら、幕末ドラマでよく登場するもののいつも脇役扱いの人物を妄想した記録。


材料

鰹の刺身  1柵(270g)
搾菜    好きなだけ
カイワレ  1パック
玉葱    1/4
大蒜    1欠け
黒摺り胡麻 適量
豆板醤   小匙半分
胡麻油   小匙半分
醤油    大匙2
酒     大匙1
味醂    大匙1

文化八年(1811)信濃國(長野県)松代に誕生した啓之助が後の佐久間象山。
父の佐久間一学は殿様の祐筆を勤めつつ卜伝流剣術の道場を開いていた文武両道な人。象山は妾の子でしたが他に男子がいないことから跡継ぎに。
三歳にして易経をマスターするという神童。易経とは処世術や教訓、物事の変化法則などを説く書物。当たるも八卦、当たらぬも八卦という言葉で知られる占いにも使われる。説明し辛く、ちょっと難解。
身長五尺七、八寸(約175センチ)二重瞼で眼光炯々という迫力ある男子に成長。
和算、詩文、儒教を学び、家督相続後は藩主、真田幸貫の跡継ぎである幸良の近習に。


酒と味醂を沸騰させてアルコールを飛ばす。

天保三年(1832)象山が提出した武藝大会出場者名簿の序列に誤りがあると家老に指摘されたが、絶対に自分は間違っていないと主張。
上からの指示に従わなかったという理由で処分を受けた。
宮仕えというか儒教の弊害ですな。
象山が閉門処分になっている間に、揉めた家老が病氣になったのを機に処分は解かれた。
ということは、象山は正しかったということ。
相手が誰であろうと、自分が正しいと思ったことは押し通す。象山は生涯を通じて、この姿勢を崩さなかった。
この性格のために誤解されることも多い。


鰹を焼く。

翌年に江戸出府。儒学を更に学び、象山書院という私塾を開き、儒学を教えた。この性格からして、上からモノを言う教師という職業は適職?
天保十三年(1842)に主君、真田幸貫が幕府から海防掛に任命されると、象山は顧問に抜擢。
アヘン戦争の研究等をしている内に、迫りくる西欧列強の脅威を感じたことが転機になった。
事大主義に陥っていた清國(中國)が英國を侮ったがために敗北、領土割譲を余儀なくされた。このままでは日本もそうなる。
危機感に駆られた象山は儒学を捨ててオランダ語を二年で習得。洋学、そして江川太郎左衛門に弟子入りして西洋流兵術や砲學を學ぶ。
ところが、ここでも衝突。
伝授とか秘伝に拘って勿体ぶる江川を出し抜いて、象山は独力で読書で砲學を習得。
師を蔑ろにしているとして嫌われる。


調味料と摺り下ろした大蒜を混ぜ合わせる。

身に付けた知識は実際に役立たせなければ意味がないし、勿体ぶらずに公開すべしが象山の信条。
百科事典等から得た知識から原理や仕組みを理解してガラス器、電信機、地震予知機、ついには大砲まで自作。
江戸時代の発明家として平賀源内が有名ですが、象山も負けず劣らず。
自作した大砲の実験時、砲身が破裂。
笑われても、資金を出した松代藩に怒られてもまったくめげないどころか、
「この國で大砲を作れるのは私だけなのだから、諸大名は私にもっと資金援助すべし」と却って意気軒高。


焼き上がったら適当に切る。

身に付けた知識を後進に伝授すべく江戸に再び塾を開く。今度は兵学伝授の『五月塾』
ここには幕末好きなら誰でも知る有名人が続々と集った。
吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬、河井継之助等々。
勝は塾に掲げられていた象山の揮毫、「海舟書屋」を氣に入り、自分の名前とした。更に海舟の妹、順と象山は結婚。
この夫婦には子が出来ず。象山は優秀な自分の子を残さねばならないとして、尻が大きな安産型の女を紹介しろと坂本龍馬にねだった。
因みに勝は龍馬は自分を斬りに來たと『氷川清話』でホラを吹いているが、象山の塾で同門なので、そんな訳あるかい。


微塵切りにした搾菜、細切りにして水に晒した玉葱を乗せる。

こうした日々の中、黑船來航という大事件。
海防掛の顧問なので、象山は浦賀に黑船を見に行く。お供は吉田松陰。
海に浮かぶ黑船を目の当たりにした象山はこともあろうに、弟子の松陰に密航を勧める。若い弟子にアメリカという國を実際に見て來いということ。
真に受けた松陰は小舟で黑船接近、乗せてくれと懇願。
しかし幕府と交渉中なので、勝手に日本人を乗せることは出來ないと断わられた。
虚しく岸に戻った松陰は、國禁を犯したのだからと自首。
この密航未遂に連座して、象山も罷免されて國元の松代に蟄居。
その期間は八年にも及んだ。


鰹の佐久間象山

カイワレと黑摺り胡麻を振りかけて頂く。
カイワレと玉葱の自然の辛さ、微かな豆板醤のスパイシーさと相まって風味よし。
使用した搾菜は茨城県の薬膳中華料理店の物。市販の搾菜は塩辛い物が多いが、この店の搾菜は程よい薄塩味。食感もいい。
鰹のタタキは若干、焼き過ぎた感。ちょっと反省。
鰹は血の匂いが濃いので大蒜や他の野菜でそれを中和。
靑魚のDHAやEPAもしっかりと摂取。
玉葱で血液サラサラ効果。カイワレにはカルシウムやマグネシウム、C、B群、E等のビタミンも豊富。
搾菜からはカリウムや鐡分、ビタミンKが頂ける。

蟄居が解かれた後の元治元年(1864)象山は一橋慶喜に招かれて上洛。
公武合体と近代化の重要性を説いて回った。
これが尊王攘夷派の反感を買い、三条木屋町にて暗殺された。享年は五十四。
手を下したのは河上彦斎。↓

象山が説いたのは西洋の技術や科学は優れているが、道徳や精神は東洋の方が優れている。日本精神を以て西洋の技術を使いこなす和魂洋才。
西洋諸国が世界中に植民地を廣げている時代、日本が独立を守るには敵を知り、その技術を身に付けることが必要。
技術や科学以上に象山が重要と考えたのは数学。
黑船は決して日本の大砲が届く範囲には入ってこない。緻密な計算があるということ。
対して黑船が積んでいる大砲はこちらには届く。技術の差は如何ともし難い。
まずは西洋の技術を學び、同等かそれ以上の力を持つ。そのためには日本人同士がいがみ合っている場合ではない。朝廷と幕府が一体となり、國難に当たらねばならない。その延長線として既に江戸への遷都も考えていたとか。
攘夷を行うのはそれから、言わば大攘夷が象山の考えたこと。
象山は凶刃に倒れたが、その思想は弟子、そして吉田松陰を通じた孫弟子達に受け継がれた。
私は明治維新がすべて正しかったとは思っていませんが、この國を守りたいという象山の思想を受け継いだ志士達は少なくなかったと思いたい。
明治維新の思想的な魁となった佐久間象山を妄想しながら、鰹の佐久間象山をご馳走様でした。

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