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泥亀毘沙門天

京都のおばんざいに泥亀煮あり。どういう物かというと、茄子と厚揚げの煮物。
ということで泥亀煮を料理しながら、神がかっていたと言われる戦國武将の宗教に纏わる逸話を妄想した記録。


上杉家霊廟

米澤市の上杉家御廟。
歴代藩主の墓が集まっている場所ですが、この中心にあるのが上杉謙信の墓。
越後の春日山城を本拠にしていた上杉家ですが謙信の次代、景勝の代に會津、そして米澤に転封。
藩祖である謙信の墓や所縁の品もこの地へ。


法音寺

霊廟の左側に位置しているのが歴代藩主の位牌が安置されている菩提寺、法音寺。
ここでお目に掛かったのが泥足毘沙門天。
それを思い出しながら、泥亀煮を調理開始。


材料

茄子    2本
厚揚げ   1枚
出汁つゆ  150cc(二倍濃縮)
生姜    半欠け
葱     青い所を少々
ししとう  2本
インゲン  4本位
黒摺り胡麻 たっぷり
胡麻油   適量
醤油    小匙2
味醂    小匙2
味噌    大匙1

仏教、特に密教では北方の守護神とされているのが毘沙門天。
上杉謙信は毘沙門天を深く信仰、どころか自身を毘沙門天の化身だと信じて疑わず。
都からは北である越後に居ることから、余計にそう思ったのか?
居城の春日山城に毘沙門堂を作り、謙信は月に三日は其処に籠って祈祷。
出陣の前などは特に深く祈りを捧げていた。


茄子を四等分にして皮に格子状の切れ目。水に5分程漬けておく。

ある時も毘沙門天に祈りを捧げてから出陣。
戰の後、毘沙門堂に入ってみると毘沙門天の足が泥だらけ。
これは、毘沙門様も我等と共に出陣して戰ってくれたに違いないと深く感謝して、ますます毘沙門天に帰依するようになった。
以降、この毘沙門天像は泥足毘沙門天と呼ばれるように。
鎌倉時代の製作と推測されている毘沙門天像は法音寺に安置。
実見しましたが、流石に今は泥はついていない。
上杉謙信が実際に拝んでいた毘沙門天像。國宝級のお宝ですが、残念ながら國宝ではなし。山形県の指定有形文化財。


厚揚げを食べやすい大きさに切る。

理由ですが、文化財というのはやはり原型そのままということが重視されますが、この泥足毘沙門天像、火災で左肩部分が焼損。
昭和に入ってから修復されたため、後世の手が入っているので文化財止まり。
この修復を担当したのは高村光雲。
皇居前の楠木正成像等を手掛けた高名な彫刻家。
昭和の名工が修復を手掛けたのですから、後百年位したら更なる価値が付加されて、いずれは國宝に指定されるかも?


水気を切った茄子を皮目から焼く。

法音寺には、修復を担当させて頂いた御礼にと高村光雲が製作した観音菩薩像も奉納されています。
その他にも謙信が高野山に昇り、出家した様子を描いた絵や、その時に後ろに掛けられていた曼荼羅も収蔵されています。
上杉謙信と言えば、多くの人がイメージするであろう法衣姿の肖像画も見られます。
正に上杉家の御宝満載の菩提寺。


焼けてきたら厚揚げ投入。

謙信は毘沙門天だけではなく不動明王も信仰していたということで、やはり謙信が拝んでいた不動明王像も拝観。
高野山で出家した謙信は真言宗。当然、菩提寺の法音寺も真言宗。
密教である真言宗は護摩を焚いたり、祈祷したりと魔術っぽい。
揺らめく炎を見ながらマントラを唱えていると、トランス状態になって神がかってくるのかも。


インゲンと出汁つゆ、醤油と味醂投入。一度沸騰させたら、蓋をして3分弱火で煮る。

自分の戦いは正義の戦いであり、決して私利私欲に基づいてはいないと信じていた謙信。
彼が信じる正義とは乱れた戦國の世にあるべき秩序を取り戻すということ。
それが正しいかどうかは別として、天皇や将軍という権威に治められる中世的な秩序?
欲のために領土の分捕りを繰り広げている大名はもっとも許せない存在。
川中島で幾度も干戈を交えた武田信玄についても、『武田晴信悪逆のこと』という箇条書きを願文として神に捧げている。恥ずべき行為をしている信玄を自分は必ず滅ぼすという神に誓った文書。


蓋を取って味噌を溶きいれる。

軍神とも呼ばれる上杉謙信ファンには怒られそうな妄想が浮かぶ。
謙信自身は正義のためと思っていても、従っている将兵はどうだったか?
正義のためと聞こえはいいが、大多数の人間は欲で動く。
領土取りの戰ではないのでは、大した褒美も望めない。死ぬかもしれない戰に正義感だけで向かえるものか?
関東管領就任後、毎年のように關東に出兵していた上杉家ですが、略奪や暴行を許していたという話があります。
領土拡大が望めないので、褒美として敵の財産や女子供を奪えという訳。
謙信はこの実態を正義のためには致し方ない犠牲と思っていたのか?


黒摺り胡麻をたっぷり。

謙信が拝んでいたのは本当に神仏だったのか?もしかしたら神仏を装った惡魔が出現したのだとしたら?
毘沙門堂に籠っての祈祷では、何を拝礼しているのかは周囲からはわからない。本人の心にしかわからないこと。
神仏と信じて拝んでいた存在が、もしかしたら神仏を語る惡魔だったとしたら?
出現した何者かに、信じる正義を後押ししてやる代わりに生贄を要求されたとしたら?


泥亀毘沙門天

擦り下ろした生姜、輪切りのししとう、青葱を振りかけて頂く。
葱や生姜がさっぱり感を加えてくれる。
じっくり煮た茄子が柔らかく、切れ目から甘めの煮汁が沁み込んでいる。ししとうの辛みがアクセント。
茄子の格子状の切れ込みを亀の甲羅に見立てて、泥亀煮と言われる。
厚揚げからタンパク質、インゲンや茄子から食物繊維、胡麻からゴマグリナン等の抗酸化物質を頂ける。
秋の夜は少し冷えるが、生姜が体を温めてくれる。

惡魔崇拝者は性別を転換するそうです。
現代の政治家やセレブにも、実は性転換者が多いとか。
小浜なファーストレディとか、恵な雷アンとか。
そうすることで惡魔の助力が得られると聞きます。
実は上杉謙信は女だったという説あり。
月に三日、毘沙門堂に籠ったのも月経の期間中だったと考えれば辻褄があう。
何より謙信は生涯不犯。つまり正室も側室もなし。多くの子をもうけるのが大名の責務でもあったのを放棄。これも女だったから?
出現した人智を超えた者の助力を得るために女から男になったのかもしれない。

上杉謙信は自分の遺骸には甲冑を着せて甕に入れて漆で固めて土葬せよと遺言。恐らく御廟の地下にはその甕が埋まっているのでしょう。
しかし仮に女だったとすれば、火葬してしまった方が証拠を残さず、女だったことを隠蔽出来るのに?
上杉謙信は惡魔崇拝者で女?というとんでもない妄想をしながら、泥亀毘沙門天をご馳走様でした。

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