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瓦そ馬場信春

山口県で有名な瓦そば。
名前の通り瓦に乗せて焼いた蕎麦。下關に妹が嫁いでいることもあり、昔はよく食べた。ということで瓦そばを作りながら、まったく關係ない武田四天王の一人を妄想した頭のおかしい記録。


材料

たかせの瓦そば 1パック
大豆肉     好きなだけ
卵       2個
大根      適量
唐辛子粉    少し
海苔      好きなだけ
なんでもごたれ 適量
出汁つゆ    小匙1

なんでもごたれは出汁入り醤油。以前も使用。↓

馬場信春、内藤昌豊、山県昌景、高坂昌信の四人が武田四天王。
永正十一年(1514)或いは翌十二年(1515)生誕と言われる教來石景政(きょうらいし かげまさ)が後の馬場美濃守信春。武田信玄よりも七歳年長だったという。
教來石氏は武川衆と呼ばれる甲斐に土着していた豪族で武田家に仕えていたので、景政も武田信虎に出仕。十七歳の頃に初陣を飾ったという。
天文五年(1536)海ノ口城攻めに参戰。これは武田信玄の初陣でしたが、この時に敵将、平賀源心を討ち取っている。この時に退くと見せて奇襲を掛けて城を落とした信玄の采配に感じる所があったのか、以後は信玄に忠誠。


茶そばを茹でる。

信玄が父、信虎を追放したクーデターにも参加。
武田家中では名門として知られた馬場家。信虎により当主が誅殺されて名跡が絶えていましたが、その家名を継ぐように信玄に命じられて、教來石景政は馬場信春と名乗ることになった。(一説には信房)
以後、信玄に従って戰場を駆けること七十回。身に一つのかすり傷すら負わず。
德川四天王の一人、本多忠勝が五十七戰無傷なのを上回る記録。
武勇に優れていただけではなく山本勘助に築城術を、小幡虎盛に軍學を学んだ。
昔の大河ドラマ『風林火山』で高橋和也演じる教來石こと信春は勘助と行動を共にしていることが多かった印象がありますが、史実でも師弟というべき親密な関係。


大豆肉を水に浸して戻す。

深謀遠慮と言うべき逸話。
諏訪の寺を訪れた信春、住職に武田家の居心地が悪く、逃れて來たと語り、愚痴をこぼす。
武田家の内情を知る機會として住職は諏訪に逗留することを勧める。
ところがこれは軍略。信春が語る内情は虚言。反対に巧みに諏訪のことを聞き出していった。そのまま三年も逗留。武田家の諏訪侵攻が始まると信春が得た情報が大いに役立った。


水気を絞った大根おろしに唐辛子を混ぜて紅葉おろしを作る。

原虎胤という名将が負傷により隠居。
虎胤が名乗っていた美濃守を継ぐように信玄に命じられて、信春は承諾。
馬場美濃守信春となった。
以後、不死身の鬼美濃が通り名となった。ますます忠勤。
信玄もそれに応えるように信春を家老に抜擢。
大名家は家柄とか血筋が物を言う。実力主義で家臣を抜擢、出世させたのは織田信長が最初のようにイメージしがちだが、武田信玄も既に実力主義。


出汁つゆを混ぜた溶き卵を焼いて、錦糸卵を作る。

武田家は駿河侵攻。
今川館から財宝を運び出せと信玄は命令。しかし信春は
「財宝を奪うことはならん。すべて焼いてしまえ」と将兵に命令。
後に信玄に何故、自分の命令に逆らったのかと問われると、
「財宝を奪うなど、盗人めいたことをしたと後世、御館様が笑われます」
「流石は七歳上の分別よ」


同梱の出汁を温める。

信玄が都に旗を立てるべく西上作戦を開始すると信春も当然、出陣。
三方ヶ原で德川織田連合軍を撃破。
この時、浜松城まで逃げ帰る徳川家康をどこまでも追い詰めた。
どうにか逃げ切ったが恐怖のあまり、家康は馬上で脱糞。(料理しながら使うべき話ではありませんね。失敬)
武士の情けを知る信春は、三方ヶ原で討たれた德川兵を見て呟いた。
「俯せの者は皆、こちらに頭を向けている。仰向けの者は皆、こちらに足を向けている」
つまり逃げようとして背中から斬られた者はいないということ。
德川も織田も蹴散らしたものの、総大将の信玄が都に向かう途上で死亡。(病死か?暗殺か?)
止む無く武田軍は本拠へ引き返す。


茹で上がった茶そばをフライパンで焼く。

信玄の跡を継いだ勝頼と、信春を始めとする老臣は反りが合わず。
そして迎えた運命の天正三年(1575)長篠の戰い。
一万五千の兵力で長篠城を囲む武田軍に、織田德川連合軍は三万を超す援軍を引き連れて來る。
一時撤退を老臣達は進言するが、勝頼は強気一辺倒。
それならばと信春は引くと見せて自領に引き込んでの決戦という地の利を生かした戦法を主張。それも却下。
設楽原で激突したが、やはり武田軍は打ちのめされる。
勝頼を逃がすために信春は殿軍を引き受けて戰う。
無事に主君が逃げおおせた後、戰場の真ん中で自害。享年は六十一。
「馬場美濃、その働き比類なし」と『信長公記』は伝える。


瓦そ馬場信春

或る程度焦げ目がつく位までそばを焼いたら、なんでもごたれを絡めた大豆肉、錦糸卵、海苔、紅葉おろしをトッピング。
加熱を続けながら、温めた出汁に漬けて食べる。
焦げてクリスピーな部分と柔らかい部分と二種類のそばの食感、紅葉おろしを出汁に混ぜると程よい辛味。

本家の瓦そばは山陰、川棚温泉が発祥。本家や元祖では牛肉のしぐれ煮を乗せますが、私はなんちゃってベジタリアンなので大豆肉使用。
蕎麦粉は北海道産、抹茶は京都産を使用。国産原料に拘っているのも嬉しい所。
瓦そばの由来は西南戦争の折り、瓦に乗せて野菜や肉を焼いて食べたという話を参考に考案
つまり武田家や馬場信春はまったく関係ない私のこじつけ。
それ故、今までお蔵入りしていた熟成下書きでしたが、今年も間もなく終わるので思い切って蔵出し。

馬場美濃守信春。馬場という苗字も美濃守という通称も信玄から与えられた名誉ある名乗り。
言わば与えられた名誉を守るために戰い抜いた。今では絶滅危惧種となった侍と呼べる。
一方、瓦そばに使われる瓦ですが、昔ながらのざらついた瓦でないとうまく焼けない。釉薬が掛けられた瓦は使えない故に、古い家が解体される時にはすかさず瓦を貰い受けに出向くとか。
最近の家屋は瓦自体をあまり使わなくなっているので、近い内に瓦そばも絶滅危惧種になるかも?
絶滅危惧種となりつつある武士らしい生き方を貫いた馬場信春を妄想しながら、瓦そ馬場信春をご馳走様でした。





#熟成下書き
#蕎麦食推進クラブさざれ石

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