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牛蒡ハー武士道とは死ぬことと見つけたり

先の大戦中、特攻隊員等の戦地に赴く兵士達が心の指針とした本の一つが『葉隠』
日本の軍国主義を進めた危険な思想ということから戦後はGHQにより禁書とされ、或いは日本人自身が戦争への忌避感から顧みられなくなった書物。
三島由紀夫も愛読していた『葉隠』とその生みの親達を妄想しながら、牛蒡を料理した記録。


材料

牛蒡    1本
パプリカ  1個
オレガノ  小匙1
タイム   小匙1
塩     大匙1と少々
胡椒    少々
オリーブ油 大匙2
白ワイン  大匙1

GHQが禁書とする以前、そもそも江戸時代では『葉隠』は禁書に近い扱い。地元の佐賀でも読んだら牢屋入り、最悪は切腹とされていました。活版印刷が盛んになった江戸中期以降でも印刷はされず、密かに写本で出回る。
内容は武士としての心構えを説いたものですが、儒教的な武士道とは相容れない上に佐賀の領主、鍋島家に都合が悪いことも記述されていることが読むことが憚られた理由。


牛蒡を斜め切りにして水につけておく。

万治二年(1659)肥前國佐賀に誕生した松亀が後の山本常朝ですが、父親は当時七十歳。父はとても成人するまで生きていられないだろうし、本人もひ弱で武家奉公は務まらないだろうから商家に養子にやろうかとも思っていたそうですが名付け親の取りなしで留め置かれ、九歳で殿様、鍋島光茂に出仕。案の定というべきか十一歳の時に父は死亡。
市十郎と名を改めた後、年上の甥という血縁上、不思議な縁の山本常治に教育を受ける。
ちょっとしたことで出仕を止められた間、仏教、儒教、神道等を學ぶ。


パプリカ細切り。

出仕再開後は役目で江戸や京都にも赴いて奉公。
元禄十三年(1700)主君、鍋島光茂が逝去。
追い腹を切ろうと思ったものの当時、幕府は殉死の禁止令を出していたので、それもままならず出家。法号は名前の常朝(つねとも)を音読みして、『じょうちょう』と称した。
城下郊外に草庵を結んで隠棲。
それから十年後、お役御免となった祐筆、田代陣基が訪ねて来て、常朝が語る武家奉公の心構え等を聞き書きしたのが『葉隠聞書』


牛蒡を塩少々と共に茹でる。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉が独り歩きして、終戦まで國や天皇陛下のために戰って死ぬことが武士であり、日本男児という風に読まれていたようですが、よく読めば、常朝はそんなことは言っていない。
生死を分けるような岐路に立たされた時、多くの人は生きる方を選び勝ちだが、迷わず死ぬ方を選ぶべしというのが大意。
必死になるとか、死ぬ氣でやるということ。その方が上手くいくことが多い。仮に本当に死ぬようなことになっても犬死ではない。
人はいつ死ぬかわからないのだから、常に死を意識して今を大事に必死に生きよということ。
私の妄想に近い理解なので異論もあるかもしれませんが、思う所を述べていきます。


茹で上がったら軽く焼き目が付くまでオリーブ油で炒める。

重要なことは七回、息をする間に決めろと説く。
あれこれ考え過ぎても仕方がない。機を逸する。この教えは現代にこそ通じる。
便利な時代になったもので、大概のことはネットで直ぐに調べられる現代ですが調べ過ぎ、考え過ぎで腰が重くなっている人が多い。
調べて考えている内に自分の至らなさや知識不足を感じると、尻込みしてしまう。
最低限のことを知ったら、後は決断して動けということ。


パプリカ投入。

若い内は傲慢でいい。分別くさいことを言うのは五十を過ぎてからでいい。
分別も過ぎればねまると言ったのは、鍋島家以前に佐賀を治めていた龍造寺隆信。
分別くさいことばかり考えていては命がない戦國時代を生きていた武将らしい。常朝もそれを踏まえていた。
いつかやると考えていても、いつかは來ないかもしれない。
人は死ぬ。当たり前だが多くの人はそれを普段、考えない。いつか死ぬと思っていてもそれが今だとは考えない。
いつかではなく、今を大事にして死を恐れず進むことが武士の生きる道。
それが常朝が語ったことではないか。


ハーブ類と塩投入。炒め合わせる。

常朝は佐賀藩祖、鍋島直茂を理想の武士として敬慕。
生け花をやったこともない直茂が秀吉の前でそれを行い、あまり上手ではなかったが、その心意気を褒められた話等が語られている。
考え過ぎずに思い切った行動の手本という意味か。
江戸時代、禁書のような扱いだったのは対外的な理由。
忠臣蔵を批判。
見事に主君の仇討を果たした武士の鑑として持ち上げられていた赤穂浪士達ですが、常朝にかかると形無し。
主君が辱めを受けたら、どうしてすぐに吉良を討たなかったのか。高齢の吉良が仇討の前に死んだら、どうする。
更に吉良を討った後、浪士達がすぐに切腹しなかったのも批判。
騒動を起こしたのだから切腹を命じられるのはわかっていただろうから、さっさと自裁しなかったのがよろしくないということらしい。


白ワインを回し入れて、いい感じ。

鍋島家は吉良家の親戚。藩主、光茂の母が吉良上野介と姉妹。
親戚が関係した事件のことばかりではなく、鍋島家中での衆道(つまり男男関係)騒動等も記載されているので外聞がよろしくない。
常朝自身もそれを感じていたようで、この本は焼き捨てよと記している。
それでも焼かれず密かに読み継がれてきたのは、武士としての生きる指針になると感じた人が多かったということ。

牛蒡ハー武士道とは死ぬことと見つけたり

タイムとオレガノというハーブが牛蒡の泥臭さを中和してくれる。
味は塩のみのシンプルさですが、十分に牛蒡の味わいを引き出している。
各種ビタミンやむくみ防止に効果あるカリウムを含むパプリカもよく合う。
食物繊維たっぷりな牛蒡をしっかりと頂ける。

死が身近にあった武士の生きる道を説いた本と言われますが、よく考えたら常朝も筆記した田代も戰がなくなった江戸時代生まれ。
命を懸けて戰っていた戦國武士達ではない。
平和な現代に生きる我々が戦國や幕末という動乱期の武士に憧れるように、或いはもっと強く敬慕した山本常朝は、そのように生きたいと考えたのではないだろうか。
いつかではなく今を大事に必死に生きる。そんなことを妄想しながら、牛蒡ハー武士道とは死ぬことと見つけたりをご馳走様でした。




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