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百合根若大臣

ちょっと気になるお惣菜を発見。それが百合根の湯葉巻き揚げ。
名前のまんまで、百合根を湯葉で巻いて揚げた物。銀杏とか木耳も入っている。
このまま食べても十分に美味しいのですが、料理愛好家の性というべきか、カスタムしながら、典型的な貴種流離譚を妄想した記録。


材料

百合根の湯葉巻き揚げ  3個
片栗粉         適量
七味唐辛子       お好みで
醤油          カップ1/4
味醂          カップ1/4
水           カップ1/2
鰹節          一つかみの半分位

身分の高い人物が放浪を余儀なくされる物語が貴種流離譚。
代表的な物語はギリシャの長編叙事詩、オデュッセイア。日本神話のスサノオとかヤマトタケルも当てはまる。
嵯峨天皇の御代というから、平安時代の豊後(大分県)に百合若という貴人。弓の達人で人徳もあり、左大臣の子でしたが国司に就任して豊後を統治。百合若は春日姫という美しい妻を娶り、順風満帆な人生。
しかし、海のむこうから、むくりこくりという国の大軍が攻め寄せて来たことから、百合若はその討伐を命じられる。
むくりは蒙古、こくりは高句麗。つまり元寇?それにしては時代が合わない。


百合根湯葉巻き。

百合根、食べたことがありませんでした。結構な値段がするし、料理法もよくわからず、もし自分好みでなかったらと思うと、なかなか手が出ず。
しかし、予め調理してあり、手軽な値段。試しに購入。

対馬沖で見事に外敵を撃退した百合若率いる船団。激戦の疲れを癒そうと、玄海島という無人島に船を着けて休息。
百合若が寝入ってしまうと、部下の別府太郎、次郎の兄弟は悪だくみ。百合若の武具や鎧を奪い、百合若は急死してしまったと他の者達に告げて、船を出してしまう。
置き去りにされてしまった百合若は止む無く魚を取ったり、木の実で命を繋ぐ生活。
国に帰った別府兄弟は百合若は戦死したと報告、外敵撃退の功績も独占。
百合若に代わって豊後の国司に就任。
更に兄の太郎は春日姫に言い寄る始末。更に春日姫が自分に靡かないとなると幽閉。それどころか池に放り込んで殺してしまえと命令。百合若に仕えていた門番の娘が春日姫の身代わりになって池に沈んだと言われます。

中に入っている白い物が百合根。

滋味というべき味わい。これは結構、いける。淡白な味わいなので濃い味に変換してみることにした。

島で二年の月日を生き延びた百合若、或る日、空から降りて来た鷹を見る。
百合若が飼っていた鷹、翠丸でした。
その足には百合若の死を信じられない春日姫が託した手紙が結び付けられていた。それを読んで豊後の実情を知った百合若ですが、どうすることも出来ない。百合若は自分の指を切り、滴る血で返事を書いて翠丸に託して放つ。
伝書鷹となった翠丸、見事に役割を果たす。
しかし春日姫の返書と筆と硯を持って来たものの、途中で嵐に遭い、力尽きる。遺骸と返書を浜辺で見つける百合若。
何としてでも国に帰りたいという願いが通じたのか、同じく嵐で打ち寄せられた難破船。それを修理してついに帰国を果たす。


調味料と鰹節を加熱、沸騰したら百合根湯葉巻きを投入。弱火で暫く煮る。10分程煮たら、水溶き片栗粉でとろみを付ける。

無人島でロビンソン・クルーソーみたいな生活だったせいで髪も髭も伸び放題。垢がこびり付いた体に襤褸切れのような着物。とても元国司とは思えない風体に成り下がった百合若。
苔丸と名乗って首尾よく別府兄弟の屋敷に下人として仕え始め、復讐の機会を待つ。
やがて迎えた正月、別府兄弟は余興として鉄の弓を引けた者には褒美を取らすと言い出す。
その弓こそ百合若が使っていた物。
何人がかりでもびくともしない強力な弓。歩み出た苔丸こと百合若はやすやすと引き絞り、矢を放って別府太郎を射殺す。
逃げる次郎も射殺し、この弓を引ける自分こそは元々の国司、百合若であると正体を告げる。
こうして百合若は自分の地位と生活を取り戻す。


百合根若大臣

カツオ出汁が沁み出た醤油ベースの餡がよく絡む。
割と淡白な味わいの百合湯葉巻き根揚げが濃い衣を纏って、ご飯が進む逸品に変身。
百合根は余分な塩分を排出してくれるカリウムが豊富。食物繊維やビタミンCも頂ける優れた食材。
鎮静効果や高血圧予防も期待出来る効能。
湯葉からは良質なタンパク質。

百合若大臣の物語、オデュッセイアとよく似ていると言われます。
オデュッセイアのラテン語読みはユリシーズ。名前まで似ている。西洋から伝えられた叙事詩を日本風に翻案したのが百合若大臣ではないかとは、よく言われること。
この物語は幸若舞や浄瑠璃の題材ともなり、全国的に普及。そのためか全国あちこちに百合若大臣の伝説。

大分県には百合若の墓と伝えられる古墳。その名も大臣塚。
副葬品に鎧が含まれていたことから、関連付けられたのではないかと言われていますが、敵の名は別府兄弟。別府は大分の有名な温泉地。
大分にはモデルになった人物がいたのかもしれない。
玄海島も実在。但し現在は無人島ではありません。
戦国時代の大分、つまり豊後は貿易の拠点となっていて多くの異国人も訪れていたので、そうした人々からオデュッセイアの話が伝えられて、それが日本風に翻案されたとも考えられる。
大分の有名な観光地の一つに臼杵の石仏。それらを作らせた真名野長者こと炭焼き小五郎の息子が百合若だったなんて話もありますが、これはこじつけっぽいかなあ。そんなことを妄想しながら百合根若大臣をご馳走様でした。

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