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尼(御)鯛

甘鯛、又の名を尼鯛。
のっぺりとした顔つきが何となく尼っぽいと感じた人がいたのか、そう呼ばれる。
尼御台或いは尼将軍と呼ばれた人物が重要な役割を果たした戦乱を妄想しながら、甘鯛を料理した記録。


材料

甘鯛 1尾
塩  適量

源頼朝が草創した鎌倉幕府。頼朝の死後は息子達が将軍位を継承したのですが、二代目の頼家は幽閉の末に暗殺され、弟の実朝も頼家の息子つまり甥の公暁により殺される。
源氏の血統が絶えたのを好機と見て、武士から政権を取り戻せと画策したのが後鳥羽上皇。


三枚下ろしにして、塩を振る。

後鳥羽は天皇としては異色で、武張ったことを好み、自ら刀鍛冶。自身が鍛えた刀には十六花弁の菊紋を入れた。つまり皇室の紋章である菊の御紋は後鳥羽上皇が多用したことから広まった。
幕府の三代目将軍、実朝と後鳥羽は共に坊門信清の娘を妻としていた義兄弟ということもあり、朝幕関係は安定。ところが蜜月だった実朝が暗殺されたことが後鳥羽にとっては不満だったのでは。
更に幕府が諸国に配置した守護や地頭が兵糧米の名目で年貢を押領するため、皇室も公家も収入減。朝廷が政治を行っていた時代に戻すべく動く。
承久三年(1221)四月、まずは配下である北面や西面の武士等を招集。招集令に応じなかった京都守護の伊賀光季を血祭に挙げて、北條義時追討の院宣。これが承久の乱の始まり。


適当な大きさに切って、油で揚げる。

名指しされた北條義時は頼朝の妻、政子の弟で幕府の二代目執権。
対応を見るに、どうも腰が引けていたようにも思われる。
箱根の關を固めて東下してくる敵を迎え撃つ戦略。
しかし、これに異を唱えたのは大江広元。
こちらから積極的に攻め上るべしと主張。
因みに広元の息子は上皇方に付いた。これも広元が積極策を主張した理由ではないか。息子と戦うことを躊躇していると思われる訳にはいかないと考えた?


油を切る。

幕府に仕える御家人達の間でも動揺が広がっていた。
何しろ上皇の命令で集まった軍勢つまり官軍に弓引くことを躊躇う者も少なくない。何しろ義時自身が守りという消極策を取ろうとしていた程。
幕府存亡の危機に敢然と立ち上がったのは義時の姉、北條政子。↓

「皆、心を一つにして聞きなさい。これが私の最後の言葉です。
頼朝公が關東草創以来、自分達の土地を持つことが出来、官位をも得ることが出来るようになりました。この御恩は山よりも高く、海よりも深い。ところが今、上皇に讒言して攻め寄せようとする者がいる。
名を惜しむ者はすぐに藤原秀康、三浦胤義を討ち、三代続いた源氏の遺跡(ゆいせき)を守り抜くのです。
朝廷に付きたいと思う者は今すぐに名乗り出なさい」
館に集まった御家人達に、尼となっていた政子は演説。
これを聞いた御家人達は奮い立ち、迷いを捨てて幕府のために戦った。
これが承久の乱の大要。

油を切っている間に甘鯛に掛ける餡を作る。


材料

あおさ  適量
片栗粉  大匙1
人参   1/4
昆布   7センチ位
ピーマン 2個
醤油   大匙2
味醂   大匙2

結果、鎌倉方は勝利。首謀者の後鳥羽上皇は隠岐島へ配流。幕府は朝廷を監視、指揮下に置くために六波羅探題設置。
武家政権を潰そうという目論見は却って幕府の権力強化と朝廷の権威凋落に繋がった。


細長く切ったピーマン、人参、昆布を味醂と醤油で煮る。

この戦乱、世界史の常識からは大きく外れたこと、如何にも日本的な事象や精神というべきことが幾つも含まれる。
まず、どうして北條義時や政子は後鳥羽上皇を殺さなかったか。
後鳥羽の方が先に義時を殺せと命じている。それを撃退したのだから正当防衛として殺してもおかしくない。というより日本以外の國ではこういう時に王朝交代が起こる。
つまり後鳥羽を殺して、皇族も皆殺しや国外追放して、これからは北條家が天皇位に就く。という宣言はしなかった。というよりも出来なかった。
これは当時、既に皇室とは特別な存在で誰もそれに取って変わることは出来ないという信仰が成立していたことを示す。


煮えてきたらアオサを投入。

鎌倉の中心、鶴岡八幡宮では後鳥羽上皇を祀る摂社が存在。これも恨みを抱いて死んだ貴人は怨霊となる恐れがあるので神として祀るという日本特有の信仰を示している。

朝廷、幕府共に敵の本丸を目指していない。
後鳥羽は「義時追討」を命令。本音は幕府の解体。
政子の演説でも後鳥羽を討てとは言っていない。あくまでも讒言した藤原秀康や三浦胤義を討てと命令。
本当の狙いをはっきりと言わない。これも日本的。
この構図は後世の関ヶ原でも当てはまる。
関ヶ原は徳川家康が天下人になるための戦。関ヶ原で勝った後、このまま大坂に攻め寄せて秀頼の首を挙げろとは決して言えなかった。
あくまでも君則の奸、石田三成を除くとしか言えず。
というより家康は鎌倉幕府の公式記録の吾妻鏡を愛読していたので、それに倣ったのではないか。


尼(御)鯛

火を止めて水溶き片栗粉を入れてとろみをつけた餡。
あおさには老廃物を排出してくれるカリウムや食物繊維が豊富。つまり腸内環境を整えてくれる。
人参やピーマンも食物繊維。正に整え飯。
甘鯛からはタンパク質だけではなくビタミンB12も含まれる。
写真ではわかり辛いけれど、鱗を付けたままで揚げています。これは松毬揚げといって、鱗の食感も楽しめる技法。


餡に付けたり、掛けたりで美味しく頂く。

承久の乱で大きな転換点となったのが、北條政子の演説。
これは『承久記』では政子本人が行ったと記されていますが、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』では安達景盛が代読となっています。
公式記録ともなると、女が前面に出たというのはよろしくないと判断して、そのように改変したのかもしれません。
日本では度々、強い女が歴史を動かす。というよりも日本の最高神は天照大神。女神です。
日本史に最初に登場する個人名は卑弥呼。これも女性。
世界初の女流文学者は紫式部という風に、昔から女が男に劣らない活躍。
これも日本の歴史が他国と大きく異なる点。

夫の頼朝が亡くなり、自分が産んだ息子二人も殺された政子という女性にとっては、夫と共に作り上げた幕府という機構が守るべき子のような存在になったのかもしれません。

日本史の重要な転換点というか、進むべき歴史の方向性を決めたとも言える承久の乱と、そのキーパーソンともなった尼御台こと北條政子を妄想しながら、尼(御)鯛をご馳走様でした。

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