アーネスト里芋
チャップリン、彌助に続いて日本と関わった外国人シリーズ第三弾。
日本が大きく揺れ動いた幕末維新という時代、多くの事件現場に居合わせた英國人を妄想しながら、里芋を料理した記録。
里芋 10から15個位
出汁パック 1
醤油 150㎖
味醂 150㎖
水 300㎖
片栗粉 適量
青海苔 適量
大根おろし 適量
青海苔と大根おろしが写っていませんね。作りながら思い付きで加えたのでこうなる。
写真もスマホで適当に撮っているので、あまりよろしくはない。
いずれ、料理本を出版する時には最初から段取りを整えて、それなりのカメラマンに撮影してもらおう。
といっても出版の予定なんかまったくないけど。
1843年にロンドンに誕生したアーネスト・メイソン・サトウ。
日系人とか歸化したのかと思いそうですが、Satowというのはスラブ系の苗字。まったくの偶然。それでも彼は日本のありふれた苗字と同音なのも利用して日本に溶け込んだ。
少年の頃、図書館で読んだ本に紹介されていた日本という國に強い興味を抱く。
18歳の時、英国外務省の通訳生募集に応募。合格後、まず派遣されたのは北京。ここで漢字を学んだ。
サトウの漢字での揮毫が遺っていますが、かなりな達筆。
19歳の時、ついに夢見た日本へ着任。
この六日後に大事件。
薩摩の國父、島津久光の行列を英國人商人達が騎馬で横切り、無礼打ち。所謂、生麦事件。
賠償問題で幕府や薩摩藩との交渉にサトウも加わる。
続いて起こった薩英戦争にもサトウは関わる。
因みにサトウは漢字の日本名を使うことがあった。薩藤愛之助。
通常、サトウは佐藤としそうなものだが、薩摩の字を使った所に深い意味や繋がりを感じてしまう。
幕府や薩摩だけではなく、サトウは四國連合艦隊が下関を砲撃した時には、英國艦に同乗。
更に、その講和会議にも通訳として参加。
その時に見た高杉晋助の印象を語り遺している。
「悪魔のように傲然としていた」
晋作はのらりくらりと、時には古事記まで引用して西洋諸國からの賠償要求、特に英國が求めた彦島の租借をけむに巻いて断った。
サトウは長年、日記をつけていたので幕末日本の姿を知る貴重な史料ともなっている。
書いていたのは日記だけではなく、横濱で刊行されていた居留外國人向けの英字新聞『ジャパンタイムス』に匿名で『英國策論』という論文を寄稿。
内容はといえば、
「もはや幕府は統治能力を失っているので、日本の政体を天皇主体で諸大名の連合体として、貿易を盛んにした方が國益に叶う」
サトウの本音は日本人にこそ、論文を読んでもらいたい。
そのために翻訳され、薩長の志士達の目に触れた。
後に成立する明治政府は、サトウの論文通りの政体。
英國政府は他國の内政には不干渉が建前。だからこそサトウも匿名で論文を寄稿。
私はサトウは英國政府よりも上位の存在、つまりDSのために働いていたと考えています。國家を超えた存在からの指示若しくはその組織への貢献。
メイソンという彼のミドルネームがサトウが誰の為に動いていたかを示している。
自分達に都合がいいように日本を作り変えるべく、薩長の志士達へ働きかけた。つまりサトウは黑幕。
やがて大政奉還。江戸幕府が終わった直後、生麦事件めいたことが神戸で発生。新政府の真価を問われた。
備前藩の武士が行列を乱したフランス水兵を攻撃した神戸事件。
慶應四年(1868)一月十一日、既に王政復古の大号令が出された後、備前藩の行列をフランス水兵達が横切り、藩兵が発砲。負傷者が出た。
諸外国と交渉したのは新政府。既に幕府はないということを外國に示すことになった。つまりサトウが英國策論で述べた政体に日本が変わったことを目に見える形にした。
発砲を命じたとされる者を切腹させることで、事件は幕引き。
目の前で人が腹を切って死ぬという切腹の場にもサトウは立ち會った。
刑罰というより、神聖な儀式のようだったと語り遺している。
維新後も西南戦争前に西郷と會談。内戦を回避させようとしたが、西郷を止めることは出来ず。
その後、一時歸國したり他の國に駐在したこともあったが、外交官人生の多くを日本で過ごした。
清國つまり中國に公使として滞在中、日本も関わった義和團事件の後始末。日露戦争で日本が勝利するのも耳にした。
日本人女性、武田兼と内縁関係。正式に結婚はしなかったが子供を認知し、様々な援助。
長女は早世したが、息子達には英語を勉強することを勧めた。
長男の栄太郎は米國に渡り、サトウダイコン農家として身を立てた。(父がサトウなだけに?)
次男の武田久吉は植物学者になった。
晩年のサトウは英國にいたが孤独に苦しみ、家族がいる日本移住を望んだが病のために果たせず、1926年に86歳で世を去った。
生麦事件、薩英戦争、四國艦隊下関砲撃、神戸事件、西南戦争等々、日本を揺るがした事件の現場にサトウが居合わせたのは偶然とは思えない。
英國策論で日本が進むべき道を示したのも、誘導する目的。
勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛らと親しくしていたことからも、サトウは幕末維新の黒幕と言っていい。
黑幕とか國家を超えた存在、DS等というと怪しげで悪者のように感じられるかもしれないが、そうとも言えない。
物事にはいい面もあれば、悪い面もある。人間の世界に絶対の正義は存在しない。善悪二元論ですべて語られる程、世の中は単純ではなし。
近代化したことで日本が豊かになる礎が出来たと言えるが、古き良き日本が失われたとも言える。
國家を超えた存在として語られることが多いフリーメイソンにしても、彼等が掲げる『自由、平等、博愛』が文字通りに行われるなら素晴らしいことだが、権力を握る方便として使われている面があるのも事実。
青海苔から海の香、甘辛いタレを大根おろしでさっぱり感を加えて頂ける。
里芋はビタミンB6や食物繊維が豊富。芋類の中ではもっともカロリーが低い。低カロリー高栄養のすぐれた食品。
茹でて揚げて煮てと三度も火に通しているのでかなり柔らかく、歯が弱い人でも食べられる。
サトウの日記は日本語に訳されて出版されていますが、終戦まで伏字になっている部分がありました。
それは孝明天皇が暗殺されたらしいという噂を記した箇所。
畏れ多くも天皇陛下が暗殺されたかもしれない等とは書けなかったのでしょう。
しかしサトウが望んだ政府に移行するためには攘夷を叫び、政治はあくまでも幕府に委任という考えの孝明天皇は薩長にとって(サトウにとっても?)邪魔。
それならばいっそ都合の悪い玉(孝明天皇)を除いて、言う通りになる玉(大室寅之助)に挿げ替えたほうがいいと考える者がいてもおかしくない。
サトウはあくまでも噂を記しているだけなので、実際に関与していたかは藪の中。そんなことを妄想しながら、アーネスト里芋をご馳走様でした。