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北條高時のこひもかわ

頂いた「ひもかわ」がまだ残っている。

グルテンフリーを標榜しているので、自分では小麦粉で作った麺は買わないのですが、頂いた物はきっちりと使い切る。
ということで、ひもかわを新たな味付けに料理しながら、鎌倉幕府の滅火(ほろび)を体現した人物を妄想した記録。


材料
因みに出汁パックも頂き物。

ひもかわ  2玉
シメジ   1パック
なめこ   半パック
竹輪    1本
大根    好きなだけ
水     600㎖
醤油    200㎖
味醂    100㎖
出汁パック 1袋

嘉元元年(1304)鎌倉に誕生した成寿丸が後の北條高時。
祖父は二度に渡る元寇を退けた名執権として名高い北條時宗。
父の貞宗も優秀な人物だったらしいのですが、晩年(といっても享年は三十九歳)は酒浸り。
成寿丸が九歳の時に貞時死去。
元服して高時となったが、執権になるには幼過ぎるということで、執権職は北條一族間でたらい回しにして成長を待つ。


竹輪を輪切り。

貞時は死に臨んで、御内人の長崎円喜に息子の後見を依頼。
幕府に仕える武士が御家人。北條家に仕える武士が御内人。
十四歳で高時は執権就任。
その頃には長崎円喜と息子の高資が幕府を仕切っていた。
将軍が飾り物のようになっていたように、いつの間にやら執権まで飾り物。
幼い内に父が亡くなったことで、執権がどういう者か、政治とはどういうことかを學ぶことが出来なかったのが原因ではないか。
長崎親子も貞時から遺児を託されたことから政務に専念。


大根を摺り下ろす。

『太平記』では北條高時は闘犬や田楽踊りに耽溺した暗愚な君主と描写されているが、政治が出来ない或いはやり方を知らないという背景。
『太平記』は室町時代に成立。ということは勝者である足利氏を持ち上げているので、敗者である鎌倉幕府や建武政権は余計に悪く書かれていると思う必要がある。
闘犬や田楽踊りだけではなく、高時は仏教に通じていた。
日蓮宗に他宗派との論争を命じた。鎌倉殿中問答と呼ばれる。
日蓮の孫弟子に当たる日印が他宗派と十ヶ月程もかけて論争。
他宗を悉く論破。これにより鎌倉幕府は日蓮宗の布教を公認。
開祖の日蓮が死罪になりそうになったり、流罪になった頃からすれば大躍進。
これを目の当たりにした高時にも悟る所があったのではないか。


出汁パックを入れて沸騰させる。

日蓮の頃から、
「真言亡国、念仏無間、禅天魔、律國賊」と他宗を激しく攻撃していた。ついにそれが成功した。
つまり邪魔な者は攻撃して排除すればいい。
高時はそう思ったのではないか。
邪魔者である長崎親子を除こうということで長崎高資の暗殺計画。
暗殺の密命を受けていた長崎高頼は円喜の弟つまり身内同士を使って長崎氏自体の弱体化も図っていた。
ところが事前に発覚。高頼を流罪として、高時は自身の関与を否定。
この頃には既に出家して執権職も辞していたが、後継問題や東北での反乱もあり、幕府内部はかなり揺らいでいた。


醤油と味醂投入。

この頃、箒星つまり彗星が現れた。これはよくないことが起こる予兆と言われ、妖霊星とも呼ばれた。
空に妖霊星が現れた。そして高時は何者かと田楽踊りに興じる。後にその場を改めると烏のような足跡。烏天狗や異形な者達と踊っていたという話が『太平記』にある。これも滅びに向かう幕府を象徴する怪奇。
常識的に考えれば物語としての誇張。或いは仮装した者達と踊っていた?もしかしたら本当に魔界の者と接触したのかもしれない。
もう一つ妄想すると、仮装した忍びではなかったか。幕府の長として高時は隠密を使い、踊るフリで指示を与えたり報告を受けていた?
田楽踊りの一座は全国を旅するので、諸国の事情に通じていただろうし、それに扮していたとも考えられる。


凍ったままのひもかわを煮る。

優れた諜報網を使って情報を集めても必ず勝てるとは限らない。或いは敵も同様に隠密を使ったかもしれない。
長崎氏排除に失敗。そして後醍醐天皇が倒幕旗揚げ。
幕府に不満を持つ御家人達が徐々に倒幕派に。


キノコと竹輪投入。更に煮る。

御家人達の不満の大元は、鎌倉幕府の基本理念である御恩と奉公が機能しなくなったことにあった。
土地を幕府から給付してもらう御恩。それに対して働く奉公。
元寇で出費が嵩んだが、それに見合った御恩がない。困窮して借金する御家人を救済するために徳政令、つまり借金帳消しを幕府は布告。
一時的に助かったようでも、もう誰も金を貸さなくなり余計に困窮。
こうなった原因の元寇から五十年。その間に分割相続が進んだことで領地細分化で更に困窮。
社会システム自体が制度疲弊。
元寇とは攻めて来た敵を撃退しただけで新たな領土が増えた訳ではないので、幕府にとっても給付出来る土地がない。
スクラップアンドビルドとかガラガラポンが求められていた。


煮上がったら大根おろし投入。

西国の反幕府勢力討伐のために最後の執権、赤橋守時の妹婿、足利高氏を出陣させたが、天皇側に寝返って幕府の在京機関である六波羅探題を攻撃。
高氏の長男、千寿王を戴いた新田義貞の軍勢が鎌倉へ迫る。
滅びの日は近づくばかり。


北條高時のこひもかわ

なめこで程よいトロミがついた汁に大根おろしがさっぱり感を加えてくれる。
キノコだけでは寂しいので加えた竹輪にもいい味が染み込んだ。
ひもかわとは幅広のうどんですが、具を巻き込むように頂ける。
食物繊維やビタミンBやD2豊富なシメジ、なめこに含まれる粘液多糖体には免疫力アップ効果。水溶性食物繊維のペクチンも含まれる。

稲村ケ崎を通って新田軍が鎌倉に侵入。高時達は菩提寺の東勝寺へ。
現地へ行くとわかりますが、東勝寺があった辺りは小高く、川もあり要害。
この時代の武士は平地にある館に住んでいましたが、此処はいざという時に籠る場所として建てられた寺。戦国時代の山城に相当。
ここで高時は自刃。享年は三十一歳。
最後まで付き従った者達が次々に自害して、高時の遺骸に折り重なり、寺に火を放った。こうして鎌倉幕府は炎の中に滅んだ。
大将の首は死んでも渡さないという武士としての最後の意地を示した。

一般的なイメージでは北條高時は暗愚で無能だったために鎌倉幕府の滅亡を招いたとなっているが、果たしてそうだろうか。
東勝寺まで付き従った者達は二百人とも八百人とも言われる。それだけの人間が殉じたということは、それなりに人徳もあったのではないか。
敗者であるために美点は隠されている可能性がある。
後に高時の遺児、時行が一時的とはいえ鎌倉奪還を果たしたのも地元の人々の力添えもあったのかもしれない。
史料がないので教科書には載っていないが、有り得るかもしれない北條高時を妄想しながら、北條高時のこひもかわをご馳走様でした。

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