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梅ワカ丸
隅田川沿いの公園と団地がある場所に建つ木母寺。ここに傳わる母子の悲劇等を妄想しながら新たなふろふき大根を料理した記録。
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大根 1/3
八丁味噌 大匙2
梅干し 2個
和布 好きなだけ
醤油 大匙1
平安時代、都の北白川にいた吉田少将と花御前の夫婦に梅若丸という息子。
五歳の時に父は亡くなる。七歳の時に比叡山に預けられる。
?
一人息子だったのに?跡取りには幼過ぎるということか?
数年後、預けられた寺では1,2を争う賢い稚児として名高くなり、法師達に襲われた。
❓
賢いからではなく見目麗しいので性被害に遭ったということじゃないの?
逃げた梅若丸は山中をさ迷って大津に出た。
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そこで信夫藤太という者に出會う。
逃げて來た梅若丸を言葉巧みに宥めすかしたと思われる。そのまま東への旅に連れて行く。実はこの男は人買い。
元手タダで見目麗しく賢い子供が入手出來たのでほくそ笑んだ。
貴族の子に生まれ、寺に預けられ、襲われ、山中をさ迷い、果ては東の國へと連行。
運命の激変に心身共に疲弊し切った梅若丸は病に。
信夫は金にならないと見ると、さっさと見捨てた。
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一方、都では息子が寺から消えたことを知った母は狂乱して、東へ連れて行かれたという噂を頼りに後を追う。
辿り着いた武蔵國(東京都)隅田川で渡し守から一年前に梅若丸が亡くなったと知らされる。
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母は悲しみのあまり、鏡ヶ池に身を投げた。
以上が『隅田川』という能、そして謡曲として語られる物語。
人身売買が主題になっているのですが、他にも似た話が能には存在。
『桜川』『信夫』等々。
能に限らず、人身売買が主題になっている物語で有名なのは森鴎外の『山椒大夫』つまり『安寿と厨子王』の話等。
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日本には奴隷は存在しなかったという人がいますが、大嘘。
西洋諸国より何ぼかマシだったというだけで、確実に存在していた。
『魏志倭人伝』等によれば、倭國の王は中華皇帝に『生口』という貢物。これこそが奴隷。自國民を奴隷として輸出。
統一王権が成立すると、建前として人身売買は禁止になったが、抜け道とか都合のいい解釈というものはいつの世でもある。
平安時代に梅若丸のような少年が存在したことがそれを示している。
中世、鎌倉幕府は飢饉の時に限っては人身売買を認める布告を出した。
飽食の時代と違い、昔の冬から春先は食べ物が枯渇しがち。
その時期に地震とか噴火が起これば、容易に餓死者。
そんな時に親は子供を売った。
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人買いに委ねることで子は最低限の衣食住は保証された。親も幾何かの銭を得て生き延びることが出来た。
奴隷として生きる位なら誇りある死をというのは、暖衣飽食の現代人の戯言。中世を生きた人々にとっては生き延びることが最優先。
戦國時代になると、人身売買の状況は悪化。
上杉謙信が毎年、關東に出兵していたのは關東管領として秩序を取り戻すためというのは謙信本人のみが掲げた大義名分。従っていた将兵は略奪が目的。最大の獲物は人間。
武田信玄も戸石城を落とした時、城に居た者達を人買いに売却。
東だけではない。
九州の戦國大名は鉄砲や火薬の原料になる硝石を輸入する対価として日本人奴隷をヨーロッパに輸出。
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人身売買が野放しの状態だったのを一応、終わらせたのは秀吉。
天正十八年(1590)に小田原征伐が終わると關東の大名達に人身売買を行った者には成敗を加えると布告。
庶民或いはもっと下の階層から成り上がった秀吉は、もしかしたら自分も人買いにかどわかされた経験があったのかもしれない。或いはそんな事例を身近に見聞したか。
秀吉の人身売買禁止政策を引き継いだ家康も若い頃、人買いに売られたことがあると述懐。大名の息子が普通、そんなメに遭うとは考えにくいことから徳川家康は影武者がすり替わっているという説。私もその可能性が高いと思っています。
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現代の日本では一見、人身売買なんて無縁になったように感じるかもしれないが、その闇は口を開けて落ちてくる者を待っている。というより触手を伸ばしているので、我々もいつ引きずり込まれるか。
多額の借金に縛られ売春を強要される女性、研修生という美名で酷使される外國人、日本人の中にも劣悪な環境で働かされる人はいる。
そればかりではない。
約八万。
一年間で日本で行方不明になる人の数。毎年、この数字はほぼ横ばい。
この中には人身売買絡みの人がかなり入っていると考えています。
警察庁が発表している数字ですから、届出がされていないケースも入れれば、この数は更に跳ね上がる。
消える人々は何処へ?
性奴隷や奴隷労働というだけではなく、更に恐ろしい使い道。
もっと知りたい人がいれば、以下の記事の有料部分へどうぞ。但し自己責任で。↓
この世にはまだまだ闇が深い。
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圧力鍋でしっかりと柔らかく煮えた大根には、和布出汁がついた薄い醤油味が染み込んでいる。
梅和布味噌を乗せて頂く。塩味と酸味が正にいい塩梅。大根がしっかりとその味を受け止める。
塩味が濃い八丁味噌だからこその味わい。普通の味噌だったら甘味と酸味になったかもしれない。それもいいかも。
食物繊維やビタミンB群が豊富な大根が美味しく頂ける。
カルシウムやカリウム、ビタミンKが豊富な和布。日本人だけが海藻を消化出来るという。日本人に生まれてよかった。
因みに残った煮汁は和布共々、味噌を溶いて味噌汁にして頂きました。これも和布からいい味。
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梅若丸が葬られた寺は梅という字を分解して『木母寺』と名付けられた。
正確には母の上の部分が欠けてますが?
梅若塚の隣には梅若堂。隅田川沿いで防災重点地域ということから、御覧の通りお堂はガラスの囲いの中。
梅若丸は昔話ではない。現代でも人身売買は過去の遺物にはなっていない。
現代社会の闇の一つであり、多くの人に關心を持って欲しいので問題提起。
歴史は繰り返す。
だから人間はいつまで経っても進歩しない。
そう感じる人もいるかもしれませんが、私の考えは少し異なる。
歴史は螺旋階段。
同じ所をぐるぐる回っているようでも、少しずつでも上に行っている。
『梅若丸』が本当に過去の物語となることを妄想しながら、梅ワカ丸をご馳走様でした。