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甘エビからヤンニョム蔵坊弁慶

呪文みたいになってきた。
甘エビ、刺身でも食べられる小さく、文字通り仄かに甘い。
唐揚げにすれば、頭から丸ごと食べられる故、唐揚げに。唐揚げの唐だけではなく、甘辛いヤンニョムを作ったので、辛いの辛をかけた。美味しくなる呪文ということで料理開始。


材料の一部

甘エビ    15から20尾
生姜     1欠け
片栗粉    適量
コチュジャン 50グラム
一味唐辛子  小匙2
胡麻油    大匙2
酒      大匙1
醤油     大匙2
味醂     大匙1
大蒜     1欠け

ヤンニョムとは韓国で使われる辛みがあるソース。キムチの味付けとか鍋物、炒め物に使ってもいいかも。ヤンニョム、ム、武蔵ということで武蔵坊弁慶を妄想。
源義経の忠実な郎党として知られる僧兵。吾妻鏡に名前が出てくることから実在したことは間違いないようですが、平家物語等にはあまり登場せず、義経記で超人的な活躍。それを元に歌舞伎や能でよく取り上げられるようになり、伝説はどんどん膨らんだ。
参考、源義経については↓


洗った甘エビを醤油、すり下ろした生姜、味醂、酒に10分漬ける。

熊野神社の別当が二位大納言の娘を強奪して生ませたとも言われ、母の胎内に18ヶ月或いは3年いたとも言われ、生まれた時には髪も歯も生え揃っていたとか。幼名は鬼若と付けられたのが、後の弁慶。
比叡山延暦寺に預けられたものの、僧侶になるための学問や修行よりも武芸の方が性に合っていたのか、僧兵の中に混じるように。
古代や中世の神社や寺院は荘園を持ち、商人が商売する座元になり、経済力を持ち、権利や利益を守るために武装した僧侶を僧兵と呼んでいました。


味醂、コチュジャン、蜂蜜、摺り下ろした大蒜、一味唐辛子を混ぜて火に掛けて沸騰させる。

怪力の持主という話があり、延暦寺には弁慶の担い堂と呼ばれるお堂。建物を丸ごと担いだ?当時、延暦寺は三井寺と抗争。その争いで弁慶は三井寺の梵鐘を奪い取り、引きずってお持ち帰りとか?
かなりな暴れ者だったようで、比叡山から追い出されたか自分から飛び出したかした後、播磨国で圓教寺を炎上させたとか。そして都にやって来て、武士達から千本の太刀を奪おうと発願。


甘エビに片栗粉を塗す。

五条大橋の上で、通行する武士や公卿から太刀を奪い取り、ついにその数、999本。記念すべき1000本目の相手となったのは牛若丸、或いは遮那王?要は後の源義経。
実はこの話、有り得ない。当時、五条に橋は掛かっていませんでした。現在の松原通りが平安時代には五条通りと呼ばれていて、其処にある神社に渡る橋の上だった?という説あり。
怪力で大薙刀を振り回す弁慶を、身軽な義経はひらひらと避けて、あしらう。敗北を悟った弁慶は義経を主君と定めて、以後、忠誠を誓う。


油で揚げていく。

弁慶の活躍は源平の戦よりもその後。義経が頼朝に追われる身となり、奥州への逃避行の間が大きい。平家相手の戦では八面六臂の活躍を見せた義経、頼朝に追われる身となると、それまでとは変わってしまったように運に見放され、知恵や軍略も冴えず、変わって弁慶がそうした役割。
逃避行の間、様々な場面が能や歌舞伎のネタとなっています。
大物浦から船出した義経一行、荒れる海に現れた平知盛の亡霊に、海に引きずり込まれそうに。弁慶は経文を唱えて、祈りの力で亡霊は消えゆく。というのが能、「船弁慶」


揚がったら油を切る。

奥州への途中、加賀国まで来た義経一行、関所を通行するために山伏に変装。東大寺再建の勧進、つまり寄付を募っているという設定で安宅の関所を抜けようと図る。
関守の富樫左衛門は勧進帳を見せろと迫る。山伏一行の座長役となった弁慶は見せることは御法度と返答。ならば聴聞したいと富樫。つまり読んで聞かせろということ。
弁慶は持っていた巻物を広げて、朗々とそれっぽい文やら経文を読み上げる。勿論、口から出任せ。それでも一応の仏道修行をしていたから、それらしく聞こえたらしく、この危地を切り抜ける。
ところが、富樫の部下が一行の小柄な者が義経に似ていると言い出す。
すると弁慶、
「そなたが義経に似ているとかで、他の皆が迷惑している」と怒鳴り付け、杖で散々に打ち据える。
もし小柄な男が義経だったら、郎党が打つ筈がないということから、富樫も疑いを解き、一行の通行を許す。
能の「安宅」歌舞伎の「勧進帳」という物語。


ヤンニョムをたっぷりとかけて、
甘エビからヤンニョム蔵坊弁慶。

唐揚げにした甘エビ、頭からすべて頂けます。頭や殻も香ばしくパリパリ。カルシウムたっぷり。そこに絡むヤンニョム、辛みと少しの甘味が混じり、正に滋味。
唐辛子のカプサイシンが脂肪燃焼、体もホットにしてくれる。

義経主従は弁慶の活躍により、無事に奥州に辿り着く。
弁慶を筆頭に義経の郎党、義経を裏切るような者の話は聞きません。そう思うと、源義経には守りたくなる、助けたくなるような人間的な魅力があった?
奥州も義経主従には安息の場にはならず、衣川の館を襲撃されて殆どの郎党諸共、義経も討ち死に。
この場面で有名なのが、弁慶の立ち往生。
義経を守るために盾となり、射かけられた矢でハリネズミのようになりながらも倒れることなく絶命。
死ぬまでどころか、死んでからも義経に忠誠を尽くした弁慶。その生き様は「色を変えぬ松」とも称されます。
多くの木々は冬になると葉が枯れ、落葉して姿を変えてしまうが、松のみは年中、青々と松葉を茂らせている。それが弁慶の変わらぬ忠誠の象徴に。

ところが北海道にも弁慶が相撲を取った土俵跡とか足跡とか伝えられる場所。英雄不死伝説?或いは義経主従、北海道へ逃げた?
そんな妄想を楽しみながら、甘エビからヤンニョム蔵坊弁慶をご馳走様でした。

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