【映画レビュー&エッセイ】JOKERを観て
善良な人間が悪へと変わる時
2019年に公開された映画【JOKER】
ずっと観たいと思っていた映画でした。
公開当初、色々と物議を醸した話題作でしたね。
映画館で観るより、自宅でじっくり観る方が好き
なので、“JOKER“も動画配信されるのを待ってい
ました。
今回はAmazonプライム・ビデオで視聴しました。
(まだ有料でしたが😅)
この映画に関してはボヤ~っとしか内容を知らなかったので、あまり先入観無く観れました。
観た方はわかると思いますが冒頭、鏡の前で主人公のアーサーは派遣の仕事でやっているピエロのメイクをしながら涙を流すシーンから始まります。
その目が何とも哀しい、、、🥺
そして、涙を流しながら必死に笑顔を作るんです。
主人公アーサー(ホアキン・フェニックス)の抱えている哀しみや苦しみが、まだ内容を知らずに見ていてもそこだけは痛いほど伝わってくる。
そんな“哀しみの涙“と””作り笑顔”で始まった【JOKER】
もうこの時点で、胸が苦しいよぉ。。。🥺
心臓病や認知症を患う母親を介護しながら街の片隅で暮らすアーサー。
貧しい生活ながらも大道芸の派遣業(ピエロ)で働いていました。
そんな生活の中で、アーサーはコメディアンを夢見て目指していました。
「どんな時でも笑顔で人を楽しませなさい」
母ペニーが、子供の頃からいつもアーサーにそう言い聞かせていたからかもしれません。
そんなアーサーには憧れのコメディアンがいます。
それはテレビで活躍しているマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)でした。
アーサーと母ペニーはマレーが司会をしているコメディ番組を毎週楽しみに見ていました。
一方アーサーは、同じアパートに暮らすシングルマザーのソフィーという女性に恋心を抱いていました。
そんなアーサーは脳に障害があり、週に一度、福祉センターで不毛なカウンセリングを受けながら向精神薬に依存する日々を送っていました。
そして彼は脳と神経の損傷から緊張状態になると笑いが止まらくなってしまう”笑いの発作”に襲われるという疾患を抱えています。
アーサーはその”笑いの発作”せいで幾度となく誤解を招いてしまいます😣
実際このような疾患を自分が抱えていたら、、、、なんて考えてみたけど想像すらつかなかった😓
(かなり考えてみたケド💧)
話の中ではこの脳の疾患からくる ”笑いの発作”こそがこの映画の話の肝になっています。
実際、アーサーの様な疾患は存在します。
彼の周りにいつも幸せいっぱいの笑顔が溢れていたらなら”緊張からくる笑いの発作”ではなく、心から本当に笑えていたかもしれないのに、、、なんて考えちゃう🥺
「笑ってはダメ!」という場面は、笑うことが不自然、不謹慎な場合が多い。
そんな場面で、声を上げて笑ってしまうなんて😢
当然、心から笑ってる訳では無いのに…
想像しただけでも、アーサーが心にどれほどの苦痛を抱えていただろうかと思うと察するに余りある。実際、世の中には色んな病気や障害など、数えきれないほどの種類があり、それを抱えて生きている人はたくさんいる。
よく人は“普通“とか “人並み“ なんて言葉を使うけど、そもそも“普通“や“人並み“ってなんぞや?🤔
何かを基準にして、“普通とか人並み“ってなんとなく決まるのだろうけど、その基準とは一体なんなんだ。人間の長い歴史の中から導き出された平均値と言う事なのか?
でもそもそも平均ってのは正しい解釈なのか?
病気や障害があっても無くても、健康でも、健康じゃなくてもみんなそれぞれ十人十色。
男、女、どんな人種だって、言ってしまえばその全部が個々が持つそれぞれの個性。
そんな当たり前の価値観こそ“普遍的なスタンダード“になれば世の中もっと生きやすくなるのに🥺
森の外側だけを見てても何も分からない
“木を見て森を見ず“ってよく聞くビジネスの場面でよく使われる言葉。
目の前(目先)の“木“にしか目がいかず、“森“(全体)を見ていないという意味。
この言葉だけど、、、
その考え方、私は時として疑問に思うことがある🧐
“森を見て木を見ず“
それこそが、“個という木“を見ずして“森“という括りで捉えてしまう事の怖さなのではないのか?
“森“の外側だけを見て、それぞれの ”木”(個)ひとつひとつを丁寧に見ていないと言う事ことは、“そこにどんな木が存在するのかすら知り得ない“ということにはならないのか?
森は1本1本の木があってこそ成り立ち、森として存在するはずなのに。
私たちの暮らす社会だって人間一人一人がいるからこそ成り立っているのに。
悪の誕生
この映画を見進めていくうちに湧き上がる疑問🤔
(※注・以下ネタバレあり)
“悪“ って一体何?
ある日の仕事中、不良に絡まれたアーサーは酷い暴行を受けます。
それを知った同僚のランドルが”護身用”にと半ば強引にアーサーに銃を渡し、受け取らせました。
後日、派遣先の小児病棟で、ピエロ姿をして仕事中、護身用にとランドルから渡され身に付けていた“銃“を子供たちの前で落としてしまい、それが原因で派遣先から即解雇されてしまいました。
アーサーは着替える間もなくピエロ姿のまま帰りの地下鉄に乗り込みました。
すると、地下鉄の中で偶然同じ車両に乗り合わせた若いビジネスマン三人が、酔って女性に絡んでいました。
絡まれていた女性はアーサーを見つけ視線で助けを
求めますが、それを目撃したアーサーは緊張状態になり”笑いの発作”が起きてしまいます。
女性は隙を見て無事逃げ出すことが出来ましたが、矛先が”笑いの発作”が止まらないアーサーに向きました。
三人のビジネスマンは笑い続けるアーサーに苛立ち、理不尽にも殴る蹴るの暴行。
アーサーはとっさにランドルから渡されていた“銃“で三人を次々とを撃って殺してしまうのです。
銃の所持が認められているアメリカに於いて、銃を持つことは合法。所持する理由は身も護る為。
アーサーは自身の身を守る為、無意識に銃を手に取り、恐怖や怒り、哀しみの中で追い詰められ我を忘れて衝動的に引き金を引いてしまったのだと思うんです。
その瞬間アーサーは何を感じたのか。
初めは人を殺してしまった事に動揺していた様子のアーサーでしたが今までに味わった事のない”高揚感”が沸き上がったようでした。そして、、、、
劇中何度も見ることになるこのダンス。
(アーサーの舞ですな🤓)←名付けるなw
このダンス、、、、クセが凄いんじゃ🥴笑
その後アパートに戻ったアーサーはソフィーの部屋を訪ね、いきなりキス💋をします😳😳😳
(あまりのキャラ変で😳💦💦)
その後もアーサーはソフィーとデートをしたりと親密になっていきます🧐
いきなりのキャラ変に戸惑う私😅
えっ?これ現実?🙄🤔🤔
きっとアーサーは人を殺したことで、今まで感じた事のないような高揚感に満たされ、今までの苦しみや哀しみから解き放たれたような感覚だったのではないのかと思うんです。
“なれなかった自分“ から
“なりたかった自分“ に
になったのではないのかな…と。
それを“悪“と呼ぶのか、、、、
あまりに悲しすぎる“悪の誕生”🥺
”怒りや哀しみ、憤りから生まれてしまった”副産物”それこそが
“悪“
なのではないだろうか?
肯定は出来ないけど、なぜか否定も出来ない、共感すらしてしまう不思議な感情で映画の中のアーサーを見ていた私です🙄
貧困が生み出すもの
”貧困”それは世界中においても大きな問題です。
豊かと言われる日本においても例外ではなく今
現在も確かに”貧困層”と呼ばれる層の人たちは
存在する。
私たちはこの世に生まれ落ちる瞬間まで一つの命を持つものとしては誰もが平等なはず。
しかし生まれ落ち、育った環境でその後の人生が大きく変わってしまう。
決して自分では生まれ落ちる環境や親を選べない。
そんな理不尽な事ってあるかいな👋😩
(謎に急に関西弁がw)
豊かな家庭に生まれ、何不自由ない暮らしの中
家族や環境に恵まれ、愛情たくさん受けて育てば
人は必ず幸せになれるのか?
そして、そこからは”悪”は決して生まれないの
だろうか?
地下鉄でアーサーに撃たれ死んだビジネスマンの若者達は、想像するに上記にあるような何不自由なく育った類の人間だったのではないかと思う🧐
そんな人生勝ち組のような彼らに足りなかったものは一体何なのか?
それは “想像力“ だったのではないかと思うんです。
幼い頃から何を見て、何を聞き、どんな風に愛され
て育ち、どんな環境でどのような教育を受けて来たのか。
恵まれた環境に育ったとして、その人達はそれが特別な事ではなく“当たり前“そう思ってる人は多い。
もちろん全員ではないけれど。
恵まれた環境にいることが当たり前。そういう人は
そうではない環境にいる人へ対しての”想像力”が持てないことが多い。
きっとそういう“想像力“を育てる事こそが人と関わりながら生きていく中で必要な事であるのはずなのに、教育者や周りの大人、親から子へを含め、どこか蔑ろにされてしまっていたのではないのだろうか?
そう思えてならない。
“富“の対義語は“貧“ 相反するものだからこそ。
”貧困”は何も経済的な問題だけに留まらない。
教育格差、社会的格差。
”格差”の背景には貧困が原因の多くを占める。
よりレベルの高い教育を受けたいと思っても
それを受ける為にはそれなりの経済力が必要。
それなりの経済力を持つ為には、それなりの職業に就かねばならないし、全部が、そうではないけれどそれなりの職業に就くため、または自ら起業するにしても最低限でも”大学卒業程度の学歴”や、大学に行かずともそれ相応の教育は受け知識を持つ必要はあるだろう。
しかし、貧困層は学ぶ意欲があったとしても経済的な理由で当然のように
それが受けたい教育を受けられない場合が多いのだ。
結局、貧困という環境は更なる貧困を生んでしまう。抜け出したくてもなかなか抜け出せない人は多く、本当に難しい問題だと思う。
貧困こそが格差を生み出し、格差が、偏見や差別を
生み、やがてそう言った不満が社会や人に対して憎悪を抱くきっかけになる。
正しい方程式ではないかもしれないけど、ある意味理解は出来てしまうんだよな😔
ここまでの話を見ていて既に疲労感満載でした😵💦
その後のアーサーが辿るであろうこれからを考えると胸が痛い、、、いや胃が痛い😓
アーサーからジョーカーへ
地下鉄での殺人事件は新聞やテレビで大きく報じられました。
アーサーが殺した三人は市議会議員 トーマス・ウェインの経営する会社の社員だったのです。
ウェインは
「仮面をつけなければ何もできないやつ」
とテレビで公に犯人を非難します。
それを見た街の貧困層の多くは犯人を支持していました。
この事件をきっかけに富裕層に対する反感はますます高まり、“犯人をヒーロー化する風潮“が広まり、街中にはアーサーのしていたピエロのメイクを模したピエロのお面を付けた人々が溢れます。
一方アーサーは以前から度々足を運んでいたスタンダップコメディーのバーで初めてコメディアンとして舞台に立ちます。その姿をソフィーも見に来ていました。
殺人犯を非難したトーマス・ウェインですが実はアーサーの母親(ペニー)が若い頃に家政婦として働いていた時のお屋敷の主。
そしてそのトーマス・ウェインに幾度どなく救いを求める手紙を書いていたぺ二ー。
ある時、アーサーは母がウェインに宛てた手紙を読んでしまいます。
その手紙には母の元恋人は”トーマス・ウェイン”で実の父親だと書かれていました。
うーん🤔ちょい想像はしてたけども…
母ペニーに手紙の事を問い詰めると、家政婦として働いてい時に2人は恋に落ちアーサーが生まれたが、身分の違いから実子と認められなかったのだと告白しました。
その事を確かめる為アーサーはウェインの邸宅を訪ねます。
そこにはウェインの息子、”ブルース”がいました。
ブルースに向かっておどけて見せるアーサー。
しかしウェインの執事、”アルフレッド”に見つかってしまい追い返されてしまいます。
何とかしてウェインに真実を確かめたいアーサーは
ついに対面を果たすことが出来ました。
「僕はあなたの息子だ」
と主張しますがウェインはその言葉を否定します。
それどころか、母ペニーには妄想癖があり、自分とのことは全部”妄想”で、しかもアーサーはペニーの実子ではなく養子だと。
(えー😩何が真実なん?)←心の声😲
アーサーはペニーが入院していた精神病院へ向かいます。そこで当時のカルテを手に入れ、真実を知ることに。
そこにはペニーが精神病を患っていたことや、ウェインが言っていた通り自分が養子であったことが記されていました。
それだけでなく自分がペニーの元恋人からDVされていたにも関わらず母ペニーはそれを止めなかったとして逮捕されていたことも知ってしまいます😫
ずっと苦しんできた”笑いの発作”は幼い頃に受けた虐待が脳に障害によるものだと。
でも、そもそも何でペニーはわざわざアーサーを養子にしたん?🤔 謎に過ぎる。まぁアメリカでは養子に取ること自体は珍しくないけど(アンジーとブラピが有名よね🧐)
母親に愛され、母を大切に思ってきたアーサーはすべて幻想だったと知り、愛情が憎しみへ変わってしまい、母ペニーの病室へ行き、枕を押し付け窒息死させ殺害します。
殺しちゃいけないのは当たり前だけど、それでも殺してしまいたくなる気持ちはわかる。。わかっちゃいけないのかも…いや、分からない人居るのかな?🤔
アパートへ戻り失意のドン底にいるアーサー。
そこへ一本の電話が。
それはマレーの番組から出演依頼の電話でした。
アーサーは出演依頼を受け、それまでに何度も一人リハーサルを重ねていました。
そして本番を迎える当日。
同僚のランドルが”銃の件”でやってきました。
口裏を合わせようとしたランドルをアーサーは惨殺します🥶🥶🥶
そして何事も無かったかのように笑みさえ浮かべながら部屋を後にしました。🚶
街はピエロのお面🤡を被った群衆で溢れかえっています。アーサーを追っていた刑事たちは暴徒化した群衆に襲われてしまいます。
アーサーは刑事から逃げ切りテレビ局へ向かいました。
到着したテレビ局の楽屋で何食わぬ顔をして待機しているアーサーの楽屋に、マレーが訪ねてきました。
アーサーは自分のことを「ジョーカー」と紹介してほしいとマレーに頼みます。
”ジョーカー”
この名前は以前マレーがアーサーの映像を紹介した時に自分のネタで笑わせるときにバカにして呼んだ名前でした。
夢だったマレーの番組でスポットライトを浴びるアーサー。早速ジョークを披露するようマレー言われますが上手く言えずに失笑されてしまいます。
するとアーサーは突然
「地下鉄でビジネスマンを殺したのは自分だ」
と話し出します。初めはネタだと思って聞いていたマレーや観客たちでしたがそれが真実なのではとざわつき始めます。ザワザワザワザワ。。(byカイジw)
マレーは人殺しをしたと平然と話すアーサーを非難しました。しかしアーサーは話続けます。
「あの三人が死んだらニュースになるけれど、自分が死んだところで誰も気にかけやしないし、踏みつけてさえ行くだろう。
もう、僕には守るものや失うものなんてない。
自分の価値や善悪は自分で決めることにしたよ」
「あなた(マレー)だって僕を笑いものにする為ここに呼んだんだろう?」
そう言って銃をとり、マレーを撃ち殺してしまいました。
会場は大パニックに😱😱😱
数時間後、アーサーは逮捕され、パトカーの後部座席に座らされていました。
アーサーの殺人行為がきっかけとなり、街中でピエロ🤡の仮装をした群衆が破壊や略奪を行っていました。
そんな中で群衆を避け、逃げようとしていた”ウエイン夫妻”と息子の”ブルース”の目の前に、銃を持った強盗が現れ、夫妻から金品を奪いブルースの目の前で両親であるウエイン夫妻は射殺されます。
傍で見ていたブルースの頬には飛び散った血が、、、((((;゚Д゚))))
一方、満足そうな表情を浮かべながらパトカーの後部座席でぼんやりと街の様子を眺めていたアーサー。突然そのパトカーに救急車が追突して来ました。
パトカーは横転し、それを見ていた群衆は中からアーサーを助け出し車のボンネットにアーサーを寝かせました。
やがて気を失っていたアーサーは意識を取り戻しボンネットの上に立ち上がると、ピエロ🤡の仮装をした多くの群衆から”英雄”として喝采を浴びるのでした。
ラストシーン。
アーサーは州立病院に収容されカウンセリングを受けていました。
笑いの発作が出ているアーサーにカウンセラーが理由を聞きます。するとアーサーは
「いいジョークを思いついたんだ。君には理解できないだろうけど」
と言い放ちます。
そして最後、血まみれの足跡を残しながら軽快な足取りで病院の廊下を歩いていくのでした。
現実?妄想?
見る人によって解釈の分かれるこの映画。
現実なのか妄想なのか正直途中からわからなくなっていました💦😥💦
おまけに母ペニーの妄想癖といい、妄想祭りやん😩
しかし、これがアーサーの妄想だったとしたら、それはそれであまりにも哀しい。哀しすぎる。。🥺
現実であって欲しいとさえ思ってしまう(複雑な感情)
ただ冒頭に立ち返り考えてみる🧐そして思った。
彼がここまでの”悪”に本当になれたのだろうかと。あの心優しい彼が、、、と。
本物の”悪”になれないからこそ妄想の中で完璧な悪の権化”ジョーカー”作り上げたのではないだろうか?そう思えてならない。
誰の中にも”悪”が芽生える瞬間や可能性はある。
心に芽生えた”悪”。それが具現化して本物の悪となるのだけれど、生まれた時から悪い人間なんて一人もいない。
誰もが生まれ持った真っ白な心のキャンバスに、どんな色を重ねられ何を描かれるか。
それが人格の基礎を形成する。
”心のキャンバス”それは決して本人には描けないものなんだよね😔
これが”現実”だったとしたら”ジョーカー”を作り出したのは本人ではなく周りの人間や環境だろう。
だからと言って人を殺めることは決して許されることではない。
世の中はこんな”不条理”で溢れているのかもしれない。そして”ジョーカー”が今日もどこかで哀しくも誕生しているのかもしれない。
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