【エッセイ&映画レビュー】悲しみに、こんにちはを観て
ども!
10月も後半を過ぎて寒くなりましたね。
皆さまお元気にお過ごしでしたでしょうか?
あ。
ご存じの方も居ると思いますが、流行り物が大好きなあゆさん、ついつい流行の波に乗ってしまい、まんまと流行り病(お察しください🙇♀️)に😷
そんなこんなで、少し元気になってからはただひたすら横になって映画見たり本読んだりしてここ数日間を過ごしていました。
映画は10本以上観ましたよー🤓
以前の記事にも少し書きましたが、現在あゆさんは料理に特化したブログサイトを運営しています。
そのほかにも仕事をしていて、そりゃもう本当は流行りに乗っちゃってる😷場合じゃないんですけどね💦🥴
ここ数ヶ月間、がむしゃらに頑張ってきたつもりだけど、時々自分のリミッター外れて限界が解らなくなって、”頑張っている”と思う自分と”頑張れていないんじゃないか” ”まだまだ甘い”と思う自分の中で葛藤したり見失ったりもしていました。
お気づきの方もいると思いますが、最近”映画レビュー”書くこと増えていたんですね、あゆさん。
本当はもっとブログに手をかけるべき時なのに🥹それは何故か。
昔から、映画や本が好きなのはある意味現実逃避出来て自分の”心の避難場所”になるからなんですね。
そして、何かを見失いそうになっている時、大切な何かを思い出せるきっかけに映画を見るってのもあるんです。
解りやすく言えば、自分を客観視したり、俯瞰で冷静に見ることが出来るからなのかもしれませんね。
ちょいと話逸れますが、今回寝込んでるあゆさんに届いたメッセージに中に私の事をよく知ってくださってる方がくださったこんなメッセージがあります。
「神様が休みなさいって言っているとおもってしっかり休んでね」
と。
しばらく連絡もやり取りもしていませんでしたが、見ていないようで本当はちゃんと見て知っていたんだなって思いました。
一見、誰かが見れば特別なメッセージには見えないかもしれないけど、上手く感情を言葉にして伝える事が苦手なその人がきっと一生懸命考えて送ってくれたメッセージなんだなって思うと 涙が出るほど嬉しかった。
そんなことがありました。
え?その話 映画に関係あるの?って?
まぁ、あるっちゃーある!(無理やりw)
では紹介させてもらいますね。
悲しみに、こんにちはってどんな映画?
今回ご紹介する映画は”悲しみに、こんにちは”スペインのドラマ映画で2017年に公開され、日本では2018年に公開されました。
第67回ベルリン国際映画祭でプレミア上映され、第90回アカデミー賞では外国語映画賞のスペイン代表作品に選出されましたが、ノミネートには至りませんでした。
しかし本国スペインの映画祭では8部門にノミネート、3部門で受賞している作品です。
ベルリン国際映画祭で新人監督賞を受賞したのカルラ・シモン監督(女性)の幼少期の経験や記憶を元に描かれたと言われるこの映画。
原題は”1993年 夏(邦題)”スペインのカタルーニャの村での夏の出来事のお話です。
あらすじ 1993年 夏
※ネタバレを含みます
家の中で荷物を片づけながら大人たちが何かヒソヒソと話している時、一人の少女が母親が寝ていたベットをじっと見つめていました。
少女の名前は”フリダ”
彼女はエイズで両親を亡くし、大好きなバルセロナの祖父母の元から離れ、カタルーニャという田舎の村に暮らす叔父エステバと叔母マルガの家に引き取られることになりました。
森の中を抜けた所にあるその家にはフリダよりも小さい従姉妹”アナ”もいました。
自分の部屋に着くとフリダはお気に入りの人形を並べ、誰がその人形をくれたかをひとつひとつ説明しながら「絶対に触らないで!」とアナに強く言い聞かせます。
「私はこんなにみんなに愛され、人形だっていっぱい買ってもらえるんだから!」まるでそうアナに解らせるように。
次の朝。
起きてみると、庭に朝食が用意されていました。
フリダは牛乳が苦手。叔父のエステバが「姉さんに似てるな」と言ってこそっとフリダの牛乳を飲んであげました。
その様子を見た叔母のマルガは「甘やかしてはダメ!」とエステバに注意をします。その様子を何とも言えない表情で見つめていたフリダ。
都会で育ち、祖父母に甘やかされてきたフリダにとって、田舎での暮らしは驚きの連続でしたが、なかなか生活にも叔母やアナにもどこか馴染めずにいたのでした。
叔母マルガの想い
叔母マルガに対して何かと反抗的なフリダ。
ある日血液検査に行く途中、不機嫌な様子のフリダを見たマルガは「何が不満なの?」と聞きます。
「前髪が変なの」と言ったのでマルガはクシを渡しますが、フリダはポイっと車の外にクシを放り投げました。
マルガはフリダを叱ることも無く黙ってクシを拾いに外へ行きました。
マルガは何かとフリダに心を配ります。
ある時は同じくらいの年齢の子供たちと遊ばせるために広場にフリダを連れて行きました。
みんなで鬼ごっこをして遊んでいる時、フリダが転んで膝を擦りむきました。
心配して近づいてきた少女を見ていたその子の母親が大声を上げ「近寄っちゃダメ!その子は病気なんだから!」と言います。
マルガは慌ててフリダを抱え広場から出て行きました。
「もう大丈夫よ」優しくフリダに声をかけながらマルガは丁寧に消毒をして傷口を手当てをしました。
またある日、マルガはフリダに自宅の畑で作っている「レタスを持ってきて」と頼みます。
フリダは間違ってキャベツを持っていたので「それはキャベツだよ」とアナに言われますが、そのままマルガに渡すと「それはキャベツよ」と言われてしまいます。
引き返す途中アナがレタスを持っていたのでそれを取り上げ「レタス私が採ったんだよ」と言うアナに「採ったのは私!!」というフリダ。
マルガは呆れてフリダをみていました。
いつの間にかアナがフリダの真似をしてわがままを言うようになったり、さすがのマルガも「アナがあんなわがまま言うなんて!フリダのせいよ!」そう怒ることもありました。
戸惑い
いつものようにフリダが外で遊んでいると、アナが遊んでと言ってきました。何度も何度もアナが言うので、フリダは手を繋いで森の奥へ連れて行き「ここから出ちゃダメ」と木の根元に囲われた場所にアナを置き去りにしてフリダは一人で家に帰ります。
アナの姿が見えなくなって心配するマルガは
「アナがどこにいるか知らない?」と何度も聞きますが「知らない」と答えるフリガ。
しかし、アナが全然戻ってこないので心配になったフリダは森へ戻って置き去りにした場所へ行きましたがアナはいません。
仕方なく家に戻ると腕に包帯を巻いたアナを抱いたマルガが家に戻ってきました。
その夜、叔父エステバと叔母マルガの言い争う声が聴こえてきました。
「あの子には良心ってものが無いのよ!アナに何かあったらどうするの!」
その声をフリガは聞いていました。
そんなことがあっても、エステバやマルガはアナと同様、フリガには我が子のように接しました。
ある夜、アナがエステバとマルガの部屋に行こうと誘いました。
ベットに入った途端フリダは「ママ!パパ!」と2人を呼んで「ここで寝ていい?」と4人で眠る夜もありました。
少しずつフリダも心を開き始めたように見えます。
先日の血液検査の結果を聞きに行ったマルガとフリダ。
フリダはアイスキャンディーを頬張って、それをマルガも一緒に頬張りました。
その姿は本当の母娘そのものに見えます。
ある時、川で子供たちが遊んでいました。
フリダは足を付かずに泳げることをアナに自慢げに見せていました。
それを楽しそうに見ていたアナが川へ入ろうとしましたが、足元を踏み外し溺れそうになりました。
近くにいたエステバに間一髪アナは助けられました。
「アナが死んだらどうするんだ!」エステバは泣きじゃくるアナを抱いてフリダを𠮟りつけました。
フリダはその後もわがままを言っては叱られ、”私は嫌われている”と思うようになっていきます。
フリダはある夜自分のリュックに荷物を詰めていました。
その様子をじっとアナが見ています。
「誰にも好かれてないから出て行く」そう話すフリダに「私は好きだよ」とアナが答えます。
そんなアナにお気に入りの人形を一つ渡してフリダはそっと家を出て行きました。
居場所
真っ暗な夜道を一人歩き出したフリダ。
エステバやマルガは心配して家の周りを探していました。
フリガはその様子をそっと家の陰から見ていました。
「出て行くのは明日にするわ」そう言いながらフリガが暗闇から現れ家の中に入って行きました。
寝付けない様子のフリダにそっと寄り添い抱きしめながら添い寝をするマルガ。
それから村のお祭りの日、フリダはみんなの中心で旗振り役。楽しそうに走り回っています。その様子を温かい眼差しで見つめるエステバとマルガ。
そんな様子を見ていたアナもとても嬉しそうでした。
ある日、新学期の準備をしていたマルガとフリガ。気が付くとわがままを言わず自分の事は自分でやろうとするフリガがそこにはいました。
フリガはマルガに聞きます。
「ママはなんで死んだの?」
マルガは優しくフリガに説明をします。
「病気と戦う力が無くなってしまったの。フリガに何もしてあげられないって悲しんでたわ。そしてあなたを心から愛してた」
フリガはマルガを見つめて
「病気にならないでね」そう伝えました。
夜。
フリダとアナは一緒にベットで飛んだり跳ねたりして遊んでいました。
「ベットが壊れちゃうぞー」そう言いながらエステバがアナとフリガをくすぐったり抱っこしたりして遊んでいると、突然フリダが大声で泣きだしました。
「どうしたの?」マルガも慌ててフリガに寄り添います。
溢れ出す感情が抑えきれず、フリダは大声でしゃくり上げながらいつまでも泣き続けました。
感想
この映画は、まるである家族のドキュメンタリーを見ているような錯覚を起こすくらいの自然な演技と映像が印象的でした。
また誰に偏った目線でもなくいち傍観者として見ることが出来る映画だったと思います。
まだ幼いフリダが両親の『死』をどうやって受け入れていくのかがひとつ目のテーマ。
この映画に出てくる1993年、スペインは軍政権が崩壊し、自由と同時にドラックがまん延し、HIV感染が爆発的に増えた時代だったそうです。
そんな混沌とした時代の中 幼くして両親を亡くしたフリガは『死』をどのように受け止めどうやってまた新しい『家族』になっていくのか、それが2つ目のテーマです。
当初、フリダはわがままばかりでアナに対しても一見、意地悪とも思えるような行動ばかりとっています。
そんなフリダを時に優しく 時には厳しく接するエステバとマルガ。
腫れ物に触るように接するでもなくごく自然にフリダを受け入れようとする姿を見ていて
「そりゃ、こんな両親に育てられたアナは絶対良い子やん」そう思って
アナが可愛くて仕方ないあゆさんw
叔母のマルガだって、自分の立場に置き換えりゃ、あんな優しい人なかなかいませよ…。
てかいくら優しい人でも戸惑いますよね。
フリガのあの行いを見ていて「あの子には良心ってものがないの!」そう言った気持ちもすごくよくわかります。
母の『死』をあんな幼いフリガはどうやって受け入れる事が出来たんでしょう🥹
初めはマルガやエステバに愛されるアナをどれ程羨ましいと思って見ていたことでしょう。
そう思うと胸が痛みました。
そして見ていて思いました。
人の優しさや、想いってなかなか伝わらないし簡単にはわからない。
フリガはまだ幼くエステバやマルガの気持ちなどわかりませんよね。
私達いい大人でさえ、目に見えることや上辺だけの優しさを勘違いしたりして
「この人は優しい」
「この人の気持ちは本物」
なんて…実はその人の本質が見えてないことが多かったりするんですよね。
優しくしてくれるからってその人は
”本当に優しい人?”
良いことたくさん言ってくれるからってその人が”本当にいい人?”
違うんだよな、、、自分の経験上。
本当に心の優しい人って時には厳しいこともはっきり言ってくれる人。
辛い時には何も言わずそっと気持ちに寄り添ってくれる人。
本当に強い人は自分の弱さをちゃんとわかっている人。だからこそ人の弱さも理解できるんだと思うんですよね。
フリダは両親を亡くしてしまったけれど、エステバとマルガ、そして真っすぐに純粋な目でフリガ見てくれる可愛いアナがいて本当に良かった😭
フリガ、最後に感情が溢れ出して大声で泣いてしまいますね😭
もう泣きじゃくりまくります(日本語あってる?w)
それってすごくよくわかる。
やっと心が解放されて、楽になれたねフリガ。良かった😭良かったよぉ😭
あれが本当のフリガの姿なんですよね。
心の居場所が…家族が出来て良かった😭
本当のフリガになれて良かった😭
あゆさん泣きすぎ!😭
いつかあゆさんも心が大解放される日が来るといいなぁ・・・
ジャンジャンバリバリ泣ける日が(パチで例えて〆るのやめぃ👋w)
ま、これがあゆさん流という事で🤣
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