初めに-Ayuo Talk Video: 2020年に見る勅使河原宏監督の「他人の顔」と「砂の女」
2020年に見る勅使河原宏監督の「他人の顔」と「砂の女」。
初めてアジア系の監督でアメリカのアカデミー賞のベスト・ディレクターにノミネートされていたのは「砂の女」の監督の勅使河原宏だった。これらの安部 公房の小説の重要なテーマは人間のアイデンティティー。
なぜ2020年にこうしたテーマが重要なのかを粟津ケンさんと二人で話す。今回は1時間36分。下記に話しているテーマをいくつかリストします。長いですが是非最後まで見てみてください。
その前に、名前がEugene Takahashi (Ayuo) x Ken Awazuとなっていることに気が付くと思いますが、これはAyuoのライターとしての名前。戸籍に書かれている名前がタカハシユウジだが、著作権協会で同姓同名の作曲家がいるために新たな名前が必要になった。生まれる前は「鮎」という女性のなまえしか考えていなかったようなのでそれを使って鮎が生まれる(鮎生)という名前でJASRACに作詞家・作曲家で登録した。しかし、銀行の振込みのたびにトラブルがよく発生した。銀行がもう一人のタカハシユウジが同じ人だと思ってしまい、タカハシユウジからタカハシユウジへは銀行の手数料がかからなかったりもする。毎回、戸籍や銀行の振込みをお願いする時も、長い名前の説明をしなければ振り込んでくれないケースがよくあった。最近の「Outside Society」の時もそうだった。「jr」などもないので、トラブルも多かった。日本人からは成人しても、いつになっても「君付け」(ユウジ君)だった。ニューヨークで育っている頃はユウジを英語化したEugeneと書かれることがよくあった。粟津ケンさんに、それを話すと、これからトークはEugene Takahashiにしようとすぐに言ってくれた。
日本語表記はタカハシユウジン。日系人らしく、アメリカで育っている時に呼ばれた名前なので、自分らしい感じがする。JasracではAyuoで登録されているので、音楽家としてはAyuoとして続きます。作家・思想家としては、Eugene Takahashi (タカハシユウジン)になります。10月生まれなので一ヵ月半位で還暦(60歳)になります。ジムなどではシニア扱いになっていた。多くの人には引退の年齢です。ちょうど良い時期だと思っています。
この3週間、この編集にかけました。日本語に間違いがありましたらすみません。一人でがんばってやっています。最初の30分はイントロ。それから、哲学の話になります。最後の36分で「他人の顔」と「砂の女」を細かく映画のスティルと僕の「他人の顔」の曲の演奏で説明しています。その後で草月アート・センターの話になります。2020年に見ているということを重視しています。長いですが、下記をクリックして見てみてください。よろしくお願いします。
2020年に見る勅使河原宏監督の「他人の顔」と「砂の女」
まだ映画を見ていない方は、取り合えずyoutubeで次の二つを検索すると見れます。
Suna no onna (1964) Hiroshi Teshigahara ENG/ESP SUBS HD
The Face of Another (1966)
5:44
安部公房の小説の重要なテーマは人間のアイデンティティー
6:03
初めてアジア系の監督でアメリカのアカデミー賞のベスト・ディレクターにノミネートされていたのは「砂の女」の監督の勅使河原宏だった。
6:14
今年の2020年2月のアカデミー賞で韓国の監督、ボン・ジョンノが初めてアジア系の映画監督で映画「パラサイト」で優勝した。
6:55
「砂の女」の英国のペンギン・ブックスの序文を書いたDavid Mitchelは現在ハリウッド映画「The Matrix」の次の続編の脚本を書いている。 (彼の小説に基づく映画 "Cloud Atlas"は一柳 慧の作曲作品からタイトルが来ている。)
7:43
David Lynch - "Lost Highway"
勅使河原宏監督の「他人の顔」に影響を受けただろうか?
10:00
John Nathanという文芸評論家・翻訳者によると安部 公房は満州というNo Man's Land に育って、20代になってから初めて東京に来た。
アイデンティティのテーマにこだわりがあるのは、外から来た人だという意識があるからではないだろうか?
11:15
"Because of World War Two, the dislike of things Japanese continued for some time"-
From a talk by Toru Takemitsu.
12:40
個人的なアイデンティティは何か?
国自体のアイデンティティは何か?
14:14
ナショナリズムを唱えている人たちほど本当は自分達が何かが分かっていない人達だったりする。
14:40
無職になった白人労働者階級を見方に付けたトランプ大統領。
分盲の人達や教育レベルの低い人達が支持者に多くいた。
無職になっているのことを移民や安い賃金でも働く海外の労働者のせいにした。本当は今回のパンデミックによって失った42%の仕事は機械によって代わり、帰ってこない。
15:45
「私は日本人」とか「私はフランス人」といった国家アイデンティティはフランス革命時期から現れた考え方だ。
Nation State (民族国、あるいは国民国家)はフランス革命の頃から国民全体に広がった考え方だ。
16:18
産業革命以前の社会では世界の多くの人々は自分の村や牧場から出ることが出来なかった。
ヨーロッパではSerfdomというシステム。
16:55
Sir Salmon Rushdie (サルマン・ラッシュディ)が1983年に「Shame(恥)」という小説でパキスタン系英国人のアイデンティティの問題をテーマに取り上げている。
9/11が起きる前からこうしたアイデンティティの問題がテロに発展すると見抜いていた。
19:28
Magical Realism は文学のジャンル。
ラッシュディ以外にも英国のアンジェラ・カーター。
コロンビアのガルシア・マルケスがその代表的な存在。
20:12
1990年代、そして2000年以後に起き出した多くのテロ事件は
ヨーロッパで勉強した人たちや移民の子供達によるものだった。
彼らの多くはヨーロッパの労働者階級と同じ文化で育っていた。
キリスト教とイスラム教の戦いではなかった。
むしろ、アイデンティティから来る問題だった。
22:12
アイデンティティがあいまいな人は過激なカルト教過激なテロ集団
への「政治参加」に誘われやすい。
24:38
最近の若い人達は世界起きていることにに関心がない。
関心があれば、youtubeなど情報が得られるところがたくさんある。
25:15
日本語しか分からない若い人々はより政府がメディアを使ってコントロールしやすい。
現在の文部省による教育システムでは日本語さえできればいいということになっている。
---------------------
Ayuoの本 「Outside Society」からの詩を朗読
----------------
35:25
なぜ1950年代から1960年代に文学、映画、音楽、美術などであれだけことができたのだろうか?
1980年代に自分達が活動し始めた頃はあまり面白くない時代だった。
36:45
Byung Chul Han の本「Good Entertainment」では儒教があった東洋の国(日本、韓国、中国)ではアートというコンセプトがなかったと書いている。
これを読むと第二次大戦争の後になぜ世界的に今でも認められている芸術作品が
これだけ多かったのを考えさせられる。
芸術作品のために良い時代だったのか?
37:55
Slavoj Zizek と Byung Chul Hanには共通点もあれば、意見が違っている面もある。
二人とも僕は近年最も面白い哲学者達」だと思っている。
38:24
儒教の文化があった東洋(極東アジア)の国ではアート(芸術)というコンセプトがなかった。
38:38
ゴッホやセザンヌは日本の浮世絵を見て、これは日本のアートとしてとらえたが、日本では芸術として見られていなかった。
俳句も西欧ではBuddhist Spirituality仏教徒のスピリチュアルな面を表現する芸術文学であると紹介されたが、実際は人々が集まった時にみんなで楽しむエンターテインメントだった。
39:25
西欧でアートとしてとらえたものは本当はエンターテインメントだった。
アート(芸術)というものはなかった。
今でも俳句を書いている人たちはアートをやっていると思っていない。
39:54
第二次世界大戦の後に、今までの日本にはなかった「新しい芸術」の運動を始めようとした。
40:32
Ken:
今日本ではアートという言葉が使われすぎていて、その本来の意味を勘違いすることがよくあるので、
芸術という言葉の方が良いかなと思った。
41:28
Byung Chul Han はエンターテインメントという定義はこの200-300年前に出来たものだと書いている。
それは労働者階級後が仕事から一息を取るためのものだった。
Escapist (現実逃避)のためのものだった。
42:17
貴族階級にとっては仕事をするのが恥ずかしいことだった。
現実逃避の必要もなかった。
42:31
そこでヨーロッパではFine Artとエンターテイメントという二つの違った流れが出来ていた。
42:48
クラシックの伝統 -モーツァルトなどはファイン・アートの伝統から来ている。
43:08
クラシック音楽の伝統では19世紀後半から20世紀半ばがそのピークだったと思っている。
ワグナー、リスト、ドビュッシー、シェ-ンベルク、ベルク、等
43:40
第二次世界大戦が終わった後に、ヨーロッパが今までの権力を失い、アメリカが権力を持ったことが影響しているかもしれない。アメリカではハリウッド映画などで代表される消費社会の文化がすでに成立していた。
44:00
ピエール・ブーレーズはベルクの「ルル」がヨーロッパの伝統的なクラシック・オペラの流れでは最後のオペラと書いていた。
44:20
僕(Ayuo)が思うには、20世紀半ばにそれまでのクラシック音楽がピークを迎えたとしても、1950年代と60年年代の武満徹、リゲティ、ペンデレツキ、クセナキス、などは西欧オーケストラ音楽の伝統をさらに引き継いだ時期として見ている。
引き継いだだけではなく、さらに新しいものを吹き込んだ。
44:58
武満徹のJose Torres (ホゼ・トーレス)や「砂の女」の弦楽オーケストラや室内オーケストラと電子音楽の作品は今聴いても素晴らしい。ぜひ聴いて欲しい。
Jose Torres (ホゼ・トーレス)ではデューク・エリントンなどのジャズの影響も聴こえてくる。隠れた名曲である。
45:42
武満徹の「砂の女」の音楽ではDorian Horizon(地平線のドリア)からの一部分も聴こえてくる。
46:15
キュブリックの映画「2001年宇宙の旅」ではすでに出来ていたリゲティの音楽に合わせて映像を編集した。
キュブリックの映画「シャイニング」ではペンデレツキの音楽に映像を合わせて編集をした。
46:33
第二次大世界戦争以後のアメリカの消費社会文化では、ハリウッド映画も西欧の芸術の伝統を引き継いで新しい芸術を作ることが出来た。
ヨーロッパ芸術音楽の伝統も 、その中で引き継ぐことが出来た。
46:55
ところがその次の世代(Terry Riley, Steve Reich, La MonteYoung、小杉武久)になるとベートーベンの交響曲の伝統ではないものから新しいものが作られてきた。
47:27
それは音楽の良し悪しとは関係なく、アヴァンギャルド・現代音楽はそれまでの伝統を一度壊してしまっている。
47:42
John Cale (Velvet Underground) をインタビューした時に、彼は自分達の世代は新しい社会と新しい文化を作りたいと考えていたことを僕に語った。
47:57
John Caleの仲間達にとっては、それはマルクス思想などの政治的なことではなかった。
むしろ、Lenny Bruceのようなスタンドアップ・コメディーの方が大きな影響があった。
48:54
1960年代後半のロックには5分間の曲の中に哲学的な内容や文化的内容を表現することが出きた。
49:12
John Caleをインタビューした時に、彼は今や前衛(Avant-Garde)はロックの曲にある気がすると語った。例にRadioheadを出していた.
49:24
今と比べて何故1950年代と60年代に、このような芸術が出てきたかというと社会の違いが大きな影響を与えている気がする。
49:48
Ken:
今や前衛(Avant-Garde)もロックも昔と違って
一つの表面的な形式になってしまったのだろうか?
50:58
Ken:
美術にしても、ポピュラー・ミュージックにしても型にはめてプレンゼンテーションしているので、
1960年代と比べると態度が全く逆になっているのではないだろうか?
53:15
「砂の女」や「他人の顔」は日本よりも西洋の方で古典になっている気がする。
55:08
安部公房や三島由紀夫や寺山修司は、それまでの何百年の日本文学を読まなくても分かる文学だった。
第二次世界大戦の後の世代は西欧の新しい芸術に影響を受けていたため、
それまでの日本の文化が知らない人でも理解が出来た。
55:35
そのため、こうした作品はインタナショナルに伝わる。文化研究をする前から理解ができる。
55:54
初めて「砂の女」や「他人の顔」を見た時、Ayuoは小学生だった。
105:23
Ayuo singing the "Waltz from Face of Another" melody at KEN,
produced by Ken Awazu.
112:42
スージー・アンド・ザ・バンシーズのStve Severinが作った舞台劇「砂の女」について。
勅使河原宏の映画の「砂の女」の音楽があまりにもパーフェクトなために、よっぽど違った音楽を作らなければ誰がやっても武満徹の音楽に超えることはできないと思う。
113:24
The Clash というパンク・バンドのJoe StrummerもAlex Cox から映画音楽を頼まれた時、監督と共に武満徹の音楽の付け方を研究してから自分の音楽を作り出した。
115:35
「空気を読む」とは日本と
東洋のライス・カルチャー
があるところの独特な
言い方。
一つの村で水を分かち合う
ために一人の人間が
周りの人々と違ったことを
言ってはならないという
考え方。人と違った発言は
自己主張として
とらわれてしまう。
昔では自己表現する人は
村全員に
殺されたりもした。
116:18
From "Face of Another" by Kobe Abe:
The racial disturbances in New York are a cause for concern at the beginning of this long, black summer. Harlem streets are overflowing with more than five hundred helmeted police, The contempt and mistrust that exist between police and colored citizens.・
116:43
From "Face of Another" by Kobe Abe:
"I had almost nothing in common with the Negroes, except for being an object of prejudice. The Negroes were comrades bound in the same cause, but I was quite alone."
117:24
From "Face of Another" by Kobe Abe:
"Perhaps, seeking points of similarity between myself who had lost my face and Koreans who were frequently the objects of prejudice, I had, without realizing it, come to have a feeling of closeness with them."
Ayuoのオンライン・レッスンの興味のある方は直接にAyuoにご連絡ください。また、CDや本はアマゾンでも売っていますが、Ayuoからも直接買えます。
#hiroshiteshigahara #Womaninthedunes #Kobeabe #torutakemitsu #japanesecinema #japanesefilms #FaceOfAnother #1960sfilm #1960smusic #1960svintage
2020年に見る勅使河原宏監督の「他人の顔」と「砂の女」 ー Eugene Takahashi (Ayuo) x Ken Awazu