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ピース・オブ・ケーキ

言葉によらず通じ合う瞬間というのを、経験したことがあるだろうか。
心と心だけで、分かり合える。
一見すると親密な関係のようだが、そうでない間柄でも同様のことが起こる場合もある。
今回は、私が体験した“そうでなかった”事例を書こうとおもう。


突然だが、私はゲップが出ない。
ゲップが出たことが人生でほんの数回しかない。その分おならはよく出る。
子どもの頃は、小学校のトイレで大便を我慢してる女子たちも、家ではこきまくってると思い込んでいた。

それが覆されたのは小学6年生の時だ。
ワンレンストレートの髪を右側に流してヤンキー気取りだった同級生のA子に「1日におならって何回くらい出る?」と不意を装って聞いてみたところ「えー5回くらい…かなぁ」と言われて、衝撃を受けた。

A子に嘘つかれてる…?
それとも、私が異常なん?

それもそのはず、私は毎日30〜40回以上は放屁していたのであった。


今から15年くらい前のこと。
東京で取材があり、編集長に東京在住のひと回りほど年上のカメラマンを紹介してもらった。撮影は無事終わり、リラックスしたムードのなかでお互いに同じミュージシャンが好きだという話になった。
昔のライブCDの話で意気投合し、好きな音楽、これまで行ったライブの話など、最終の新幹線ギリギリまでふたりとも夢中になって話し込んだ。

その数ヶ月後、また東京へ行く機会になった時、同じカメラマンさんに撮影をお願いすることにした。今回はオールナイトのイベント取材で、早くても終わりが朝方になるようだ。妻帯者の男性に朝帰りのイベント取材を申し込むことを倫理的に問う気持ちが高速で心を駆け抜けたが、私は迷うことなく彼に発注した。
そうして彼からもすぐに「スケジュールオッケーです」とメールが来たのだった。

23時に集合し、あらかたの取材が終わったのがam4時頃。
どういう話の流れでそうなったのか、ふたりで靖国神社に行くことになった。
朝方の靖国神社に何か見どころがあると彼が言ったのかもしれない。
兎にも角にも靖国神社に向かうタクシーの、小指が触れそうな距離のなかで、私はこれからの展開を考えていた。とりあえず靖国神社をクッションに入れたものの、その後どこかに誘われることも想定してみる。
タクシーが靖国神社に着く頃には、クラブに充満していた夜にだけ許された発露的なムードは溶け出し、入れ替わるように辺りが白み始めていた。

「わ〜、初めて来ました〜」

薄明るい光が仕事以外の時間にふたりでいることを咎めるようで、演技っぽいセリフを吐いてしまう。
肩を並べて歩くと、身体から発せられる何かの前触れのようなムワンとした湿り気を感じて、喋り続けた方がいいとは思いつつも、すっかり黙ってしまった。
たったふたりだけの境内で、石畳を踏む足音が静かに響いていた。

鳥居をくぐり、拝殿まであと20メートルという時だった。


あぁ!
もうあかん…!


私は肛門にぎゅっと力を入れた。
23時からずっと我慢していたけっこうな量のガスが、すぐそこまで来ていた。


あ、でも…

もう限界や…


と思うのと、おならが出たのは同時だった。


プゥ〜〜〜


その瞬間、神社に向かってダッシュした。


走るしかなかった。


緊急!
緊急!
ごまかし不能!


ビビー!ビビー!
脳内緊急アラートが鳴る端っこで「あ、でも今のままやったらおならの勢いで走りだしたと思われるかも」と急に走ったことを猛烈に後悔し、ピタっと足を止めた。

前を見つめて立ち止まる私の横に、歩幅を変えることもなく、何事もなかったかのように歩いてきたカメラマンと、そのまま歩調を合わせて神社に足を進め、神様に向かって手を合わせたのであった。


交わす言葉などなかった。



その後のことはまったく覚えてない。
カメラマンとも仕事をしたのはその日が最後になってしまった。

40歳を過ぎた今でもこの体質はまったく変わっていない。ここぞという大事な瞬間、私の頭の円グラフには必ず「おなら」の項目がピース・オブ・ケーキのように挟まり、今かいまかと決断の時を待っているのである。

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