milestones 1 カウンセラーへの道は藪こぎ
高校生のとき、よく日本史の準備室に寄って話をしていた。悩みごとの相談をしていたつもりはない。先生はうんうんと聴いて、時おり何かを言ってくれたけど、何を言われたのかも覚えていない。でも帰るときに気持ちが軽くなって、また行きたくなるのだった。
ひとつだけ、覚えているやりとりがある。卒業が近づいた頃、大学で心理学をしたいと話したら、「それでお前は、カウンセラー的なものになっていくのか?」と聞かれて「はい」と答えた。私の中には「カウンセラー」という言葉はなく、ただ人の心の働きを知りたいだけだった。あれで催眠にかかってしまったのかもしれず、人生は何があるか分からない。
大学は第二希望の哲学科に入った。愚かなことに心理学と哲学の区別もなく、とにかく東京に行きたかったのだ。衝撃的だったのは哲学の難しさで、カントなどは日本語とも思えなかった。「これはアタマの良い人の学問だ」と悟り、2年生になるときに試験を受けて心理学科に移った。
心理学科では、実験計画法が必修だ。テキストは分厚い英語で、数字を代入すれば計算できるように書かれていた。それでも推計学を理解するには、アタマが足りなかった。先生に「心理学は科学です、読心術ではありません」と言われ、そうか自分は読心術を習いたかったのだと思った。当時は実験心理学が全盛だった。
「サイコロジー」なる心理学雑誌には、偉い先生が「欧米にはキリスト教の懺悔があるが、日本人は話を聴いてもらっても金は払わない。日本でカウンセリングが職業として成立することは、未来永劫、絶対にあり得ないと断言する」と書いていた。未来永劫、絶対、断言、の強調ぶりが凄い。当時は臨床心理士の資格は影も形もなかったので、説得力があった。
親の手前で教職課程は取っていたけど、教師になる気はしなかった。写真が好きだったので、写真に関わる仕事はしてみたかった。人なみに企業に就職して、ビジネスができるとは思えなかった。結局は心理学がらみの公務員試験を受けて、二次試験の不合格通知が届いたのが木枯らしの吹く頃だった。「読心術ではありません」の先生が、就職はどうしたのか聞いてくれた。
「私の知っている会社で人を探しているので、行ってみませんか?」
まさに、棚からぼた餅。これでもう心理学とはおさらばだけど、社会人になって食っていけると思った。あの頃は大学や専門学校に行かず、高卒で働く人の方が多かった。大学を卒業したら、どんな仕事でも良いから働きたいと思っていた。
就職したのは写真植字の機械と文字を作っている会社で、配属先は文字のデザイナーが大勢いた。当時はバブル前夜で業績も良かったし、文字を管理する仕事は営業よりは向いていたと思う。でも二年目の夏に父が亡くなり、身の振り方を考えた。人なみにサラリーマン生活というのも経験したし、そろそろ新潟に帰ろうかと思った。
競争するよりは、人の世話をする方が自分に向いている。心理学をやったということで、雇ってもらえるところはないものか? そう考えて探したところが、帰郷して勤めた精神科の病院だった。24歳から、まずは3年やってみようと思った。あっちこっちに寄り道して、専門的な訓練を受けないまま「カウンセラー的なものになっていく」のスタートラインに立ったことになる。
いまの人たちは大学に入るときから、「カウンセラー的なもの」への道が開かれている。学部の4年間と大学院の2年間を経て、「臨床心理士」や「公認心理師」の取得を目指すのだから、言ってみれば整備された登山道だ。私は笹や竹に覆われたところを、藪こぎしていたようなものだった。
本や論文を読んで、実験をした。写真を撮り、暗室にこもっては現像と引き伸ばしに精を出した。美術館や写真展には足繁く通った。ジャズ喫茶で轟音に浸り、中古盤屋のエサ箱を漁った。レコードを聴くスピーカーは、自分で作った。ちょっとお金があるときは、ライブハウスや寄席に行った。言ってみれば「本物」に触れるみるだけの、6年間だった。
藪こぎで終わる山は、低山だ。標高が高くなれば藪はなくなるので、登山道を歩くことになる。私とて実習や研修会、スーパービジョン、教育分析などで登山道を歩いてきている。理論や技法を学ぶことはできなかったし、先の見えない不安を抱えてはいたけれど、遊んでいられたのは良かったといまになって思う。藪こぎで不安になる人も、カウンセリングに来るだろうから。道はなくとも地図やコンパスで方向を求めるのは、カウンセリングに似ている。
藪こぎは時間のわりに進めないし、蜂やマムシなんかも居たりするから、しないで済むならそれに越したことはない。私だってあの頃に臨床心理士の指定大学院があったら、間違いなく目指していたと思う。だから人さまにお勧めできることでもないし、自慢できることでもない。最悪のパターンは、下って沢から抜けられなくなることだ。そんな遭難をしなかったのは、運が良かった。導いてくれた人、支えてくれてた人がいたことを、有り難く思う。
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