青山正紀

1984年から医療、教育、産業の分野で働いて来ました。2002年に花巻市で「あゆみカウ…

青山正紀

1984年から医療、教育、産業の分野で働いて来ました。2002年に花巻市で「あゆみカウンセリングルーム」(http://ayumicr.jp)を開き、住宅街で心理療法をしています。資格は臨床心理士と公認心理師。

最近の記事

topics 7 森田療法は暮らしの知恵

日本生まれの心理療法で、一番知られているのが森田療法だ。神経症の治療法として開発され、「あるがまま」という言葉は有名になっている。日本森田療法学会はいまでも活発に活動していて、海外でも実践している人がいる。「生活の発見会」という自助グループもある。街中に広まっているのは、心理療法としては珍しい。私が働いていた精神病院は森田療法を実践していた慈恵医大と縁があって、「門前の小僧」くらいには断片的な知識が入って来た。耳学問が頭のポケットに入っている、「習わぬ経を読む」くらいのことを

    • milestones 5 精神科デイケアを立ち上げた

      精神病院に勤めて、二、三年経った頃だった。院長に呼ばれて、こう言われた。 「デイケアを始めるので、あなたがリーダーになって進めなさい」 いきなり、何を言いだすのだと思った。 デイケアとは、統合失調症の患者さんのリハビリの一環だとは知っていた。退院した患者さんたちが、日中を病院で過ごして治療や訓練を受けるということだ。でも当時は県内で二つだけ、国立と県立の大きな病院が実施していた。周りが田んぼの、しかも基準看護も取れないような場末の病院がやるのは無理だろう。それなりに施設

      • topics6 治療契約を考える

        いま日本で行われている心理療法のほとんどは、輸入されたものだ。催眠も精神分析も、ロジャースのカウンセリングも、行動療法や認知行動療法にしても、西欧生まれだ。たいがいは興味をもった人が文献を読んで、翻訳もして、留学をして、大学の教員になり、学会を作って、研修会を開いて……と、広まっていった。その過程で日本人の心性、文化や制度に合わせて変形しているだろうし、輸入もの「だから」良いとか悪いとか、そういう話は意味がないと思う。 でも日本語で文献を読み、日本人の先生に教わって、日本の

        • topics5 事例検討会

          私の若い頃は、あちこちで心理療法の事例検討会が開かれていた。それもひとつの事例で2時間とか、休憩をはさんで3時間とか、じっくり時間をかけてやっていたように思う。単発の研修会だと参加者が数十名になることもあるが、メンバーを固定した月例会だと数名から十数名で行われていた。 たいがいは司会者がいて、話を進めてくれる。発表者はレジュメをもとに、自分が担当した患者の経過を1時間くらいかけて説明をする。生活歴や家族背景、医療機関を受診するまでの経緯、医師による診断、心理テストの結果、心

        topics 7 森田療法は暮らしの知恵

          topics4 深層心理学への憧れ

          学生時代から、フロイトやユングの本はかじっていた。「フロイトは何でも性欲」とか、「ユングはオカルトだ」とか、「科学的じゃない」という批判もあったけど、科学ではダメだろうと思っていた。科学は普遍性と再現性を求めるもので、条件を統制すればだれが何回やっても同じ結果になる。だけど心理療法ではクライエントもセラピストも、ひとりひとりが異なっている。条件だって、統制し切れるものではない。それに何といっても、「こころ」をどう理解すれば良いのか、深読みしていく方法を開発していったのは、フロ

          topics4 深層心理学への憧れ

          topics 3 酒とバラの日々

          勤めていた精神病院には、アルコール依存症の患者さんも入院していた。自ら病院の門を叩いて来る人は、まずいない。たいがいは家族が困り果てて、病院に連れて来る。そうでなければ、「往診」と称する捕獲劇で連れて来られた人たちだ。いまではとても許されないだろうが、当時はそれもアリだった。病院の名前は、その地域では「オカシクなった人が行くところ」として知られていた。だから「とうとう俺にも、その番が回って来たか」と観念する人もいただろう。 アルコールを飲むと、酔うのはみんなが知っている。「

          topics 3 酒とバラの日々

          topics 2 サイコドラマは面白かった

          精神病院に就職する前、「実習」と称してあちこちの病院や施設に顔を出していた。いまから考えれば、東京での生活費や交通費、セミナーへの参加費などは自腹だったから、ブラックな話だった。いまで通用しないだろうけど、職安で「カメラマンになりたい」などと言って失業保険をもらえたのはラッキーだった。「カメラマン」はまんざら嘘でもなかったし、就職も確定していなかったので、違法ではないだろう。日本の経済もバブル前夜で上向きだったから、職安の人ものんびり構えていた。 その実習の一環として、19

          topics 2 サイコドラマは面白かった

          people 2 統合失調症の人々

          私が精神病院で働いていたのは、1984年の1月から2002年の3月までだった。いちばんありふれた病気は「精神分裂病」で、「うつ病」よりも多かった(2002年の8月に「統合失調症」に病名が変更された)。ドイツ語の Schizophrenie をもとに「シゾ」と呼ぶ隠語もあった。昔の精神科医のカルテは、ドイツ語と日本語が混じっていた。ドイツ語は権威をつけたかったのか、それとも患者さんに病名や症状を知らせたくなかったのか? 患者さんがカルテをチラ見するとか、医者からひったくって見る

          people 2 統合失調症の人々

          topics 1 いつまで続くかロールシャッハ・テスト

          心理テストと呼ばれるものには、実にさまざまなものがある。精神科の病院で働くと、必ず求められるのが「ロールシャッハ・テスト」だった(標準化されたテストではないので、私は面接技法のひとつとして「ロールシャッハ法」と呼びたい)。スイスのロールシャッハ(1) が神経梅毒(2) と統合失調症の鑑別のため、子どもたちの「インクのしみ遊び」を使えないかと思いついた。図版と検査法を出版したが、ほとんど売れないまま、発案者も亡くなってしまった。その数奇な運命にも、魅力を感じる。 その後の研究

          topics 1 いつまで続くかロールシャッハ・テスト

          people 1 「住み込み」で働く医者

          精神病院には、「住み込み」で働いている医者がいた。ここでは「森山先生」としておこう。ふだんは「宿直室」に泊っていて、たまに家に帰ることもあるらしい。それというのも移動が不自由で、ステッキをついてゆっくり歩くのがやっとだった。色黒でむっつりしている。年齢は50代なのか60代なのか、はっきりしない。白衣姿は見たことがないし、いつも同じような恰好をしている。申し訳ないけど、とても医者のようには見えなかった。彼は医者なのか、患者なのか。 言葉のやりとりも、不自由だった。看護師が報告

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          milestones 4 田んぼの中の精神病院に就職した

          私が就職した精神病院は、田んぼの中だった。車で30分くらい走らないと、街中には行けない。閉鎖病棟が一つ、夜間に鍵がかかる開放病棟が二つあった。どちらも男女混合で、実習した関東の精神病院のような、鼻が曲がる臭いはなかった。外来棟だけ新しくなっていて、私はその中の「心理室」に配属となった。と言っても、ふだんは私がひとりしかいない。月に二度ほど、非常勤でベテランの方が来られていた。彼女はふだんは大学病院に勤務していて、午前と午後にロールシャッハ法を一件ずつこなすエキスパートだった。

          milestones 4 田んぼの中の精神病院に就職した

          milestones 3 ゲシュタルト療法には腰が退けた

          東京での実習先には、神楽坂の「サイバネーション療法研究所」もあった。三味線のお師匠さんが暮らしていそうな、古い民家。家主さんが東大分院心療内科の石川中(いしかわ・ひとし)先生に、「サイバネーション療法」を実践する場を提供していた。家主さんは住み込みの事務員のようなもので、よほど石川先生にほれ込んでいたのだろう。 サイバネーション療法とは、「気づきとセルフコントロールに重きを置いた」心理療法で、その中にはバイオフィードバックやゲシュタルト療法なども含まれていた。私は石川先生の

          milestones 3 ゲシュタルト療法には腰が退けた

          milestones 2 精神病棟では鼻が曲がった

          新潟の病院に就職するため、1983年の9月から年末まで、とある関東の病院で実習をさせてもらった。病棟の入口には鍵がかかり、窓には鉄格子がはまっている、いわゆる精神病院だ。ご挨拶にうかがった理事長先生は、お年を召していた。 「本当に気の毒な、可哀想な人たちなので、尽くしてあげてください」 その訓示には、どこか違和感があった。病棟が古くて汚いのはまだしも、鼻が曲がるような臭いに衝撃を受けていたからだ。「保護室」はまさに監獄の独房だった。あんなところで暮らしている患者さんたちが

          milestones 2 精神病棟では鼻が曲がった

          milestones 1 カウンセラーへの道は藪こぎ

          高校生のとき、よく日本史の準備室に寄って話をしていた。悩みごとの相談をしていたつもりはない。先生はうんうんと聴いて、時おり何かを言ってくれたけど、何を言われたのかも覚えていない。でも帰るときに気持ちが軽くなって、また行きたくなるのだった。 ひとつだけ、覚えているやりとりがある。卒業が近づいた頃、大学で心理学をしたいと話したら、「それでお前は、カウンセラー的なものになっていくのか?」と聞かれて「はい」と答えた。私の中には「カウンセラー」という言葉はなく、ただ人の心の働きを知り

          milestones 1 カウンセラーへの道は藪こぎ

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          世の中は、情報であふれている。 たとえば人生に疲れてしまい、カウンセリングを受けたくなったとしよう。どこに行けばカウンセリングを受けられるのか、カウンセラーは何をしてくれるのか、そもそもカウンセリングとはいったい何なのか。ネットで検索をかければ、最大公約数から偏見まで、さまざまな情報が表示される。動画で見ることもできるし、質問すれば答えをもらえるサイトもある。大型書店に行けば、いったいこんなもの誰が読むのかと思うほど書籍が並んでいる。その書籍だってAmazonを見れば、評論家

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