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世の中は、情報であふれている。
たとえば人生に疲れてしまい、カウンセリングを受けたくなったとしよう。どこに行けばカウンセリングを受けられるのか、カウンセラーは何をしてくれるのか、そもそもカウンセリングとはいったい何なのか。ネットで検索をかければ、最大公約数から偏見まで、さまざまな情報が表示される。動画で見ることもできるし、質問すれば答えをもらえるサイトもある。大型書店に行けば、いったいこんなもの誰が読むのかと思うほど書籍が並んでいる。その書籍だってAmazonを見れば、評論家みたいな人が星をつけている。AIだって、ありとあらゆることを解説してくれる。

それで、あなたはどうしますか?

情報の海におぼれそうになるは、発信者が「どんな人か」が分からないから。ロジャースやユングなど偉人の書物は難しいし、いまの時代に通用するかも分からない。偉人かどうかすら、賛否両論だったりする。大学の先生でも、変てこりんな人はいる。そもそも彼らの多くは、学生の世話と研究と雑務に追われて臨床ができない。動画サイトやSNSは、怪しげな商売の広告であふれている。体験談も、公平に書かれているか分からないし、本当に体験したのかも分からない。

そうかと思えば役に立つ情報や、洞察に満ちた文章もある。あるところには、しっかりとある。

情報の海の中でも、「その人の物語」が岩になって足をつけるかもしれない。昔は物語にこそ、力があった。それはコミュニティの立ち位置や暮らしぶりを、お互いによく知っていたからだろう。科学的、客観的に精錬された情報が崇拝されるようになってから、物語は見向きもされなくなった。

生涯をかけて物語に光を当てようとしたのが、河合先生 (1) だ。京都大学で数学を専攻していたから、統計学の効用も限界もよくご存じだったのだろう。一部の人たちには「非科学的」とか「オカルト」とか言われて、理解されなかった。でも「未来への記憶」(河合隼雄著、岩波新書)という物語は、河合先生に関わった人たちや、河合隼雄の読者への、かけがいのない贈り物だと思う。

「こころ」に触れる仕事をして、40年が過ぎた。その間に結婚をして、子どもたちが生まれ、巣立っていった。国家資格もできて、職業としての臨床心理学がようやく形になってきている。喜ばしいことではあるけど、これで良いのかと思うようなこともある。暮らしの糧となってくれた臨床心理学への、そしてクライエントへの恩返しも兼ねて、だれかが書いた方が良いであろう物語を書いてみたい。

(1) 河合隼雄(1928-2007) 日本人としては初めてのユング派分析家になり、日本の臨床心理学の礎を築いた。


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