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変化と習慣のバランス

今週はあまり出かけることもなく、落ち着いているはずなのだが、先週よりも時が早く過ぎていき、日々が流れ落ちていってしまうように感じる。気づいたら10月に入っていた、というように、日づけの感覚が鈍くなっているのは、生活のペースが確立してきて、習慣化が進んでいるからだろう。

2週間までは、まだ「たった」という形容詞をつけても良いような気がするが、3週間というと「たった」と言うには長いような気がする。今はそんな中途半端な期間の最中にいて、緊張による気持ちの昂りと適応による慣れが綱引きをしている。気持ちの上ではまだまだ慣れたくない、新鮮な驚きを失いたくないと思っているけれど、身体や感覚は環境になじんでくる。例えば、眠る時間と決めた23:30が近くなると、まだ起きていたいと思っても、劇場の幕が降りるようにゆっくりとまぶたが落ちてくる。駅伝で襷を渡した途端に崩れ落ちる選手がよく映し出されているが、あんな感じで、今週は少し落ち着いてかえって疲れが出てきたのか、10時頃にはうとうとしてしまう。

平日のスケジュール
日曜日のスケジュール

1日の時間割にせよ、曜日ごとのスケジュールにせよ、習慣が定まってくると、それを崩さないように行動するようになる。すると生活はミニマムになる。習慣にない「余計なこと」はしなくなるからだ。それは合理的で無駄がなくなるが、日々が単調になって1日の広がりはなくなり、時の進みが速くなる。

スザンナやクローディアは2-3週間でボルドー、ひいてはフランスを味わえるだけ味わおうと予定を詰め込んでいたが、私は同じようにはいかない。一年間旅行のテンションでいられる体力と気力は無いし、お金も無い。滞在期間の短いクラスメイト達は、毎日の休憩時間にカフェでコーヒーやカフェオレを楽しんでいるが、私は同じように飲んでいたら出費がかさんでしまうのでいつも同席するだけだ。

カプチーノが一杯4€=640円もする

変化と習慣化のバランス。旅行者でもなくその土地の人でもないという曖昧さと、これからは向き合うことになる。

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