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「ありがとうと言って欲しかった」という子供からの言葉の、隠されていた本当の意味


この間投稿した、ありがとうは最強の話。
それはその通りだと思う。
感謝の気持を伝えることは、
できているようで、できていない時もあるから。

ただ、子供が言った、
「ありがとうって言って欲しかった」という言葉。

そこの本質にあの時は気付けていなかった。

その言葉の裏に隠れていた本当の気持ちを。



それは
「私に喜んで欲しかった」
という意味だったんじゃないか。

「すごいね」
というほめてもらう事ではなく、
私に喜んで欲しかった。


私は子供達に、
いつまでも自分の心に素直でいて欲しい。

いつまでも心からの笑顔を絶やさずにいて欲しい。

そして自分が納得して、
自分の意志で行動できるようになって欲しいと思っている。



だけど、親の言葉は子供に大きな影響を残す。

いい意味でも悪い意味でもだ。


お母さんに褒めてもらうのではなく喜んで欲しい。
素直にそう思ってくれているのなら嬉しい。

ただ、それはお母さんの気持ちを考えるあまり、

子供の、自分の気持ちを
ないがしろにさせてしまう時もあるかもしれない。


私がいつも願っている、
だけどあえて伝えていない言葉。

ずっと笑顔を絶やさずに、
幸せに生きて欲しいという願いも、

それを子供達に伝えてしまえば、
それが子供達の縛りになってしまうかもしれない。

お母さんに喜んでほしいから、
本当はつらくて悲しくても、
それを隠して笑顔でいられるようにいなきゃと、
本人の自覚はないにしても、
思わせてしまうかもしれない。

私はそんなつもりがなくて言った言葉でも、
子供達にとってはそれが全てになってしまうかもしれない。

常に言葉には気をかけて話しているつもりだった。

だけど、知らずのうちに…いや、本当は少し気付いていたんだ。
子供がかわいい行動をすると、
私もつい、かわいい!と喜んでいて、
それを見た子供は嬉しそうにしていた。

ある時、
そういった行動をあえてしているのでは?と思った時があった。
でも気のせいかな?とも思い、
そのままにした。
結局、自分の判断に自信がなく、
確信が持てなかったんだ。

だけどあの言葉で決定的になった。

やっぱり心を縛ってしまっている。


では毎日一緒にいて、
たくさんの言葉を交わすのに、
どうしていったらいいのだろう…

言葉は難しい。
願いを込めて言った言葉でも、
それこそがその子らしさや自由を奪ってしまう言葉にもなってしまう。
考えればきりがない。

言葉にする時は、
その度に違う言い回しはないか、
と考えてみるのは続けていこう。

それでも、つい口に出てしまうときもある。
その時は訂正できるならちゃんと言葉にして伝え直そうと思う。

そして、一番大事なのは根本的な事だ。
これが伝わっているかどうかで、
子供の受け取り方も行動も変わると思う。

それは、
どんな事をしていても、
歳を重ねて大きく成長していっても、
いつまでもずっとお母さんはあなた達の味方だよ。

お腹の中に来てくれた時から、ずっとずっとお母さんは幸せで、ずっとずっと大好きなんだよ。
あなた達が生きていてくれる事が私の誇りだよ。
そのままのあなたでいいんだよ。

それを伝えること。
いっぱい、いっぱい、伝えることだ。
そしてギュッとしたり、行動で示そう。


私は親から愛情を注いでもらったけど、
そうした言葉や行動はあまり記憶にない。

考えていて、
本当は私自身がしてもらいたかった事なんだな…
とも気が付いた。

私が経験がないからか、
素直にそういった言葉や態度を示す事に
気恥ずかしさや躊躇がある。

だけど、
本当に大事な事は言葉にして伝えたり、
行動で示さないと伝わらない。

少しずつでもやってみようと思う。

まだ生まれてから数年しか経っていないのに、
心の自由を奪ってしまっているかもしれない。

この事に気が付けたんだ。

それなら変えられる。

今からでも遅くない。

私の心が子供達を本当の意味で自由に、
と望んでいるんだから、
この先も子供達の言動で気付けるはず。

その度に向き合いながら、ほどいていこう。


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