ここではないどこかへ
私は、外国を旅することが好きだ。
生まれて初めて海外へ行ったのは18歳の秋。19歳になったら留学すると心に決めていたから、その練習として1人で日本を出てみようと思った。
行き先は、英語圏ならどこでも良かった。その地の美術館に行けたら嬉しいなと思っていたくらいで、そのほかの時間はマックに座って人の会話を聞く……とかで良いと思ってた。とにかく留学前に一度、日本を出て自分の英語力を測ってみたかった。アルバイト代もほぼ使わず、この旅のために取っておいた。
海外に住む知り合いもいない中、「父の同僚が学生時代ボストンに住んでいて、良い街だったらしい」という理由だけで、アメリカのボストンに行くことに決めた。
この7日間で旅で経験した想いは10代の自分が書き記し、当時小さなZineも作った。
(翌年私は味を占めて、ドイツ・オランダ・ベルギー・留学先のイギリスへと一人旅を重ねる。)
そもそも、なぜ外国を旅することが好きなのか?
私のMBTIは、何をどうしたってINFP。日本にいる時もハートは超敏感なのに、海外ではさらにその100倍くらい敏感になって、心身ともにクタクタになる。
それがわかっているのに、どこにも行かなければ心も平穏なのに、旅がしたい。自分にとってものすごく大金を払ってでも、旅がしたい。
多分、はじめての土地と人に囲まれて、全身アンテナみたいな状態で全力で心を動かし、そして今ある日常への感謝を感じることが、私にとって「生きてる!!!」と一番思えるのかもしれない。
夜な夜な日記に膨大な文章を書きこみ、この想いを絵にするか、文にするか、動画にするか、頼まれてもいないのに勝手に考え悩む。その時の私はきっと、めちゃくちゃニマニマしている。心を動かしてそれを表現することが、嬉しくて嬉しくてたまらないのだ。
大学生の頃と変わらず今も、別に美味しいグルメが食べられなくても良いし、絶対行くべき観光スポットに行けなくても良い。ただ、心の動きを全力で感じたいんだと思う。
学生時代、海外に行くのはいつも1人だった。社会人になって、二度ロンドンとパリへ出張に行った。(一度目は半分自費だったけれど。)
出張で上司と2人の時は、この感覚は少し違ったんだ。美味しいものも食べられたし、海外に慣れた彼女について行けば何時間も道に迷うようなこともなく、全てがスムーズだった。美しい場所も観ることができた。
でもなんだか、これまでの旅とは違ったんだ。2人部屋では夜な夜な日記も書けないし。もちろん、仕事も兼ねていたからかもしれないけれど。
大好きなイギリスを歩いても、違ったんだ。少し寂しくなった。心があまり動かない、大人になっちゃったのかななんて。
コロナ禍を経た昨年、8年一緒にいる彼との新婚旅行で、初めて2人で海外を訪れた。プライベートの海外は学生以来、10年ぶり。彼にとっては初めての海外だった。行き先は北欧、スウェーデンとフィンランド。
北欧の旅についてはまた改めてふれるけれど、久々に、心があちこちに動いた。喜びも、勝手なセンチメンタルも。全然大人になんかなれてなかった。
心身ともにクタクタになって、でもこれだ!と思った。この感覚。私が愛してやまない、旅をすること。
猛烈に動いた心の記録を、眠い目をこすって日記にたっぷりと綴る日々。彼とは、ひとり旅をしていた時の感情そのままに一緒に旅ができた。だからこそ私たちは結婚できたのだけど、その気づきもまた、嬉しかった。
久々の海外旅行から帰国してしばらく経った後。用賀の砧公園を訪れた時、ここはヘルシンキかな?と思った。都心から近くなのに、突然広がる緑。自由に過ごす多くの人々。
あ、行き慣れた場所だったけれど、フィンランドと似てるんだ!なんて、こっそり嬉しくなる。
洗足池に訪れた時も、同じ感覚を得た。あれ?ここもヘルシンキっぽい!
水辺に集まる鳥たち、周りの道沿いにジョギングする人、ベンチに腰掛けて本を開く人。気がついた瞬間から、嬉しくてたまらなくなる。一気に、東京のお気に入りスポットになる。
あっ……とあの時の風を感じるのは、私の記憶の中にその風があるからだ。
砧公園も、洗足池も、旅に行く前と行った後では感じ方が全然違う。
「ここは、私が好きだと感じた場所に似ている!」そう気がつくとスイッチがパチンと入り、見慣れた景色がキラキラ特別に感じる。
私の心が感じたことがあるから、懐かしく思い出せる。記憶を重ねられる。
みなとみらいを訪れた時、「港町の入口な感じ、なんだかストックホルムのSlussenみたい。」と思った。すると、隣を歩く彼が先にそれを口にした。
本当に本当に、嬉しかった。