仏教に救われた
奈良市に「喜光寺」というお寺があります。
喜光寺をひらかれた行基菩薩は749年2月2日に喜光寺で入寂されました。
喜光寺では月命日の2日を、喜光寺縁日として法要と法話とお写経の会を開催されています。
5年前の夏、縁日に誘われてお参りしたのが、喜光寺にご縁をいただいたきっかけです。
当時は「お写経っておもしろい」という感想だけしか持っておらず、お参りしたのはその1回きりでした。
そこから3年間、喜光寺のことは忘れていました。
3年ぶりのお写経
初めてのお写経から3年後の8月、ふと喜光寺のことを思い出しました。
お写経から離れていた3年間は人生の荒波期におり、その波が一区切りついたところでした。
3年ぶりのお写経は、心洗われる時間でした。
墨を摺り、筆を持つと、精神がシャキッとし、心の中が静かになっていくのを感じます。
「ああ、この瞬間を欲していたんだ」
無心になれる。心が満たされていく。
精神的にもギリギリの状態で慌ただしい毎日を過ごしていた3年間。
時間を自分のためだけに使えることの豊かさを思い出した瞬間です。
私を救ってくれた山田法胤ご住職の法話
毎月2日の縁日では「いろは写経」だけでなく、山田法胤(やまだほういん)ご住職の法話があります。
この日、ご住職の法話を聴けたのが、私の大きな転機となりました。
精神的な転機です。
法話の最後にご住職と一緒に唱える言葉。
「かたよらない心。こだわらない心。とらわれない心。広く広く、もっと広く。これ般若心経、空の心なり。」
この言葉を唱えた瞬間、涙がハラハラと流れ、心の中のよどみも流れていきました。
毎月2日は喜光寺縁日、いろは写経と法話
この日以来、
「毎月2日は喜光寺縁日」
にお参りすることが、最優先事項となりました。
いろは写経をしたい。
ご住職の法話を聴きたい。
ご住職の法話を聴くと、心がす~っと軽くなります。
生きやすくなるのです。
あまりにも感動したので、周りの人にも聴いて欲しい、触れて欲しい。
47歳の私が、法話を聴いている人の中で最年少の部類に入ります。
もっと若い人にも聴いて欲しい。
仏教、お寺って、敷居が高くなっている人も多いと思います。
法話を聴いて勉強していくと、仏教って日常生活に根ざしていることがわかるし、仏教がものすごくロジカルなこともわかってくる。
あれもこれも、仏教の考え方で解決していけるように感じる。
もっと知りたい。
そして、もっと広くみんなに知って欲しい。
生きやすくなるから。
きっかけ作りをしたい
仏教を、お寺をみんなに知って欲しい。
気軽にお参りできるお寺っていいよね。
私にできることは、お寺に興味を持ってもらうこと。
お葬儀だけがお寺の役目じゃない。
でも実際は、人が亡くなってから関わる場所であったりする。
もっと、生きている間から仏教に関わることができると、生きやすくなるはず。
ということで、私をきっかけにお寺を、仏教を好きになってくれる人を増やしたいと、勝手に使命感を持っております。
毎月2日、喜光寺縁日にお参りしております。
御齊(おとき)もふるまってくださいます。
ご興味おありの方、是非お参りにいらしてください。
(もう関係者レベルで推しています)
(この記事を見て行こう!と思われた方、私までご一報くださると嬉しいです。例えば、LINE公式でお友達になってください)
こちら、喜光寺公式サイト
心の内側が表情にも表れる
仏教を学ぶようになってから、友達に言われるようになったことがあります。
「表情が柔らかくなった」
「とげとげしさがなくなった」
「話しかけやすくなった」
それまでの私は、ちょっと尖っていたのかもしれません。
常に誰かと競ったり、秀でていなければならないという強迫観念のようなものがあったり、自分は劣っているのではないか?と恐れたり。
「自分の外側」を固めることばかりに意識が行っており、心の中はすっかすかだったのかもしれません。
仏教に触れることで「自分の内側」を充実させることができて、心の中が平和になりました。
そうすると、表情も穏やかになってきて、私から発する雰囲気も変わったようです。
私は「顔ヨガ」という、受講生さんたちの顔を変えるためのレッスンをしていますが、それは入り口に過ぎないのです。
顔が変わることで、心の内側も満たされて、それがいいループとなり、「顔つき」「表情」も変わっていきます。
表情は心の内側を表現してくれます。
内側が充実してくると、自分の目の前に広がる景色が、開けてきます。
昨日と同じ今日かもしれませんが、一気に輝きが増してくるのです。
顔ヨガを指導される先生方はたくさんいらっしゃいますが、「私」というフィルターを通して顔ヨガを学んでいただくことで、何か感じることがあればいいなと思っています。
小林澤應(こばやし たくおう)副住職とパチリ。
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